二節フリバー・ライヘルド19
――私の邪魔をしないでください。
目の前の”悪”はそう言って、容赦もなくブレイルに聖剣を突き立てる。
あたりは既にブレイルの血で染め上がっていたが、新しい鮮血が――頬を伝った。
聖剣の刃が頬を掠めた。
そう気付くのには少しだけ時間がかかった。
目の前の”少女”は、ブレイルに刃を突き立てる訳でもなく、その顔すれすれに聖剣を突き立てたのだ。
――どうして?
その疑問が浮かぶが、声は出ない。
”彼女”の無感情な瞳がただ見下ろす。
「――抵抗一つできないとは、主共々役立たずですね。勇者ってこんな物なんですか」
静かで、心底呆れ果てたような声が降り注いだ。
次の瞬間、ブレイルは顎に強い衝撃と共に身体が吹っ飛ぶ。
”少女”がブレイルを蹴り飛ばしたのだ。
そのまま彼は建物へとぶつかり、ガラガラとレンガが崩れる。
能力増幅の魔法は既に解けていた。強い衝撃が背中へと響き、ブレイルは血反吐を吐いた。
あばらが数本、背骨が完全にイッた音がした。
あまりの痛みに目がかすむ。
――そんなブレイルを前に、”死”は聖剣と、そして切り落としたブレイルの両腕を手に近づいて来たのだ。
「な……に…を……」
「――あ、足折っておきますね。どうせすぐ治りますし、追って来られると面倒です」
「あ、が――っ」
近づいて来た”死”が何よりも先に行ったのは、ブレイルの足を容赦なく踏み潰す事だった。
踏み潰された足は「ぐにゃり」と奇妙な方向へと曲がり、折れたと言うより潰れたカエルと表現した方が近い。
完全に抵抗など出来なくなった。
そんなブレイルに死はとどめを刺す――
――そのようなことはしなかった。
まず、手にしていた聖剣を”彼女”はブレイルに放り投げる。
聖剣はこれ以上、主を傷つけることなく、潰れた膝の上へと落ちた。
次に、動けなくなった彼の前で座り囲んだかと思えば、手にしていた彼の腕を、その切り口に、くっつける様に押し付けたのだ。
自身の腕といえ切り離された異物に違いない。それを傷口に容赦なく押し付けられたのだ、その痛みにブレイルは声にならない声を上げた。
それでも、”死”はブレイルに興味が無いのだろう。勿論気遣いなども無い。
ウザったそうに暴れるブレイルの身体を押さえつけて、さらにぐりぐりと腕を押し付け、数十秒。
「――まあ。これでいいか」
そう小さく呟いて。ポケットから何かを取り出したかと思えば、腕の繋ぎ目にその“何か”を押し付けたのだ。
ガシャン…小さな音と、小さな痛みが走る。それが数十回。
腕を切られた痛みに比べれば小さいが、まるで注射でも撃たれているような痛み。
終わったかと思えば、もう片方の腕もまた――。
数十回の音が終わると死は、ふらりとブレイルから離れた。
「あ……が…な……にし……」
ならない声で必死に「なにをしたんだ」と訴えかける。
視線を移せば、何故か切り落とされた腕はいくつもの銀色の留め具で非常に不格好に繋がっていた。
ただ、適当に“繋げただけ”なのは目に見えて分った。
腕はピクリとも動かないし、もはや痛みは熱に変わっている。
”死”は荒く息をしながら睨み上げるブレイルの前で、手にする“何か”をカシャカシャとならしながら、無表情のまま当たり前のように一言――。
「治療」
――は?
きっと声が出ていたら、ただそう漏れていたはずだ。
「治療?」この”女”は治療と言ったのか?
両腕を切り落とし、足を踏み潰し、骨と言う骨をたたき割った張本人が?
そもそも治療になっていない。この”女”はただ、ちぎれた腕を見たこともない留め具でくっ付けただけだ。
――そんなブレイルに気に掛ける様子もなく。
”死”は彼から視線を外し、次は倒れているパルへと身体を向けた。
――やめろ!
そう精一杯叫ぶ。しかし、やはり声にはならない。
潰れた足も、繋がっただけの腕も動かない。それどころか身体一つピクリとも動かない。
無情にも、ブレイルの目の前で、”死”はパルの側へと屈んだ。
パルの首からは、まだ血が溢れ続け、それでも何とか彼女は生きている状態だった。
「かひゅ、かひゅ」と微かに、今にも消えてしまいそうな息遣いだけが、死だけに聞こえる。
そんなパルに、”死”は同じように手にした器具を伸ばす。
ブレイルの抵抗なんて意味もなく。
またガシャン…音がする。それがまた数十回。
――暫くして。
終わったのだろう。”死”が立ち上がる。
足元に転がるパルの腕は留め具で歪に繋がれ、首にも同じく銀色の留め具が何本も突き刺さっていた。
その光景を見てブレイルはただ叫ぶ。
「な…にを……!!パルに……なにしやがった!!!」
怒りからか、残った力を出し切ってなのか、ブレイルの声はようやく響いた。
”死”はそんな彼に振り向く。そしてまた一言。
「治療」
――全く同じ言葉を一つ。
その言葉にブレイルは怒りしか湧かなかった。
何が治療だと言うのか、敗者をさらに貶めただけではないかと、睨む。
「…あー。えっと…違いますね」
そんなブレイルの目を見てなのか、”死”は一瞬目を逸らして、考えるように視線を空へ向けて。
「ああ」と思い出したように、
「応急処置……で、これは――『ホッチキス』です」
カシャカシャ、手の中で器具を鳴らしながら”彼女”はそう言った。
ああ、もう。理解が追い付かない処の話じゃなかった。
”彼女”の行動理由全てに理解が出来ない。
ここまでブレイルとパルをボロ雑巾の様な姿にしておきながら、元凶が何を当たり前にそんなバカげたことを口にするのか。
そもそも、治療。応急処置。
それら全てが、もう意味が無いのはブレイル自身が良く分かっていた。
だって、自分の身体だ。嫌でも理解できる。
――もう自分は数刻のうちに死に至ると。
そしてそれは、彼女も同じ……。
今こうしている間にも、パルの呼吸は浅くなる。
――……いや、パルに関してはもう遅い。手遅れにも程かある。
現に、遠くで倒れたまま動けなかった彼女は今しがた――その瞳から完全に光を失った。
――………あ、あああ、ああああああああああああああああああああああああ。
分かっていた、どうしようもなく間に合わない事は気付ていた。
それでもブレイルは声を上げる。
その声すら、聞き取るのがやっとの程のかすれ声をひねり出す。
動かない手を怒りのままに目の前の”死”に荒々しく振り回す。
もがけば、もがくほど、繋げられた部分から血は夥しいほどに流れるが、ただ振り回す。
「………体力お化けですね勇者って。なんで顎叩き割ったのに喋っていると言うか……それ以前に普通死んでいるか、気を失うと思うんですけど?むしろその方が楽なのですが?」
その様子を”死”は怪訝そうな顔で見下ろしていた。
ただ、何かに気づいたのか、ポケットから銀色の別の「何か」を取り出し確認すると、クルリと背を向ける。
「まぁ、いいです。もうすぐ気を失うと思いますし……。」
手にする本を開き何か確認しながら、死は完全にブレイルに興味を失ったのだろう。
少し速足で、その場を離れていく。
「目が覚めたら一応、パルさんに回復魔法と浄化魔法掛けてもらってください。感染症とかになったら困りますし、心配ならアクスレオスの所に行ってください。いいですね」
まるで義務的な言葉を残して、”死”は去っていく。
”彼女”の言葉が、何処までブレイルに届いているかは分からなかった。
ただ、ぼんやりしてきた視界の中で、黒い小さな身体だけが遠ざかっていくのだけは、はっきり分かった。
「――い――。――かってな――。」
ブレイルが最後に見たのは、そんな”小さい黒い影”に、別の黒い影が近づいて来た様子。
二人が何か話している。そんな有触れた光景が、”死”と交戦した記憶に残る最後の光景だった。
――違う。違う。
有触れた光景じゃない。もう一つ異様な光景があった。
パルの周り、彼女の周りに広がった赤い液体が、スライムの様に“ぐにゃり“――そう蠢いたのだ。
だが、驚く暇も、それ以上考える暇もブレイルには無かった。
――もう意識が持たない。
周りでぐにゃぐにゃ。赤いナニカが蠢くのをぼんやりと眺めながら、暗くなっていく意識の中で、ブレイルはコレが死だと確かに感じたのだ――。




