一節ブレイル・ホワイトスター16
「うあああああああああああああああああああ!!!!!」
男が再び、アーノルドに襲い掛かった。
ぶつかる身体。
その手は、銀色のナイフに伸びる。
力いっぱいに男はナイフを抜き取る。そのまま、また後ろへ数歩。
嫌な音と共にアーノルドの腹から銀色の異物が飛び出た。
同時に“栓”が無くなった穴からは真っ赤な液体が溢れ出す。
アーノルドはただ、理解が追い付けず、その穴を押さえるようにゆらりと屈みこんだ。
でも、まだ終わらない。男はまだ許してくれない。
手にナイフを握ったまま、男の手がアーノルドの髪を鷲掴み、容赦なく地面へと叩きつけたのだ。
男は仰向けに倒れ込んだアーノルドに馬乗りになる。
血走った目、狂気に染まった目、理性も全て無くした目。
男はそんな目をしていた。アーノルドの目に、そんな男の顔が映っていた。
男は、その目のままに、ナイフを振り上げ、振り下ろす。
再び、肉に刃先が食い込む。血が、白衣を染め上げる。
終わらない。
振り上げる。振り下ろす。
まだ。まだ。まだ。
何度も、
何度も、
何度も、
何度も、
何度も、
――同じ行動を続ける。
「あああああああああああ!!!しねしねぇぇ!!ああああああああ!!!!」
気が狂った男の声がひたすらにあたりに響く。
ただ「死ね」と狂気じみた声だけが辺りに響き渡る。
あまりの事にその場にいた全員が、動けなくなっていた。
ただ、その見知らぬ男の狂気を目の当たりにして、だれもが、愕然と、唖然と、呆然と佇むしかなかった。
ああ、いや。見知らぬ男。違う。
ブレイルだけはその男を知っている。
だって、その男は、つい先ほどブレイル自身が“医術”の元に連れて行った。――暴漢の一人だ。
「――!!!やめろ!!!」
ようやく身体が動いたのは、その事実に気づいた時。
ブレイルは“少女”から目を逸らし、ナイフを振り回し続ける男へと駆け寄りぶつかった。
男が弾き飛ばされる。
「――う…あ、あ」
パルとリリーが我に返ったのはアーノルドがわずかに身動きを取った時。
アーノルドの口から大量の血が吐き出る。
「いやぁぁぁ!!父さん!!」
リリーはそんな父に泣き叫ぶように縋りついた。
パルも慌てて走り寄る。
アーノルドは酷い状況だった。
生きているのが不思議なぐらいに彼の中心はぐちゃぐちゃだった。あたりに液体が広がり続ける。
――しかし彼はまだ生きている。
それならば、パルの魔法で助けられる。
パルは名一杯自分の中の魔力を身体全身に集中させ、アーノルドに手を掲げた。
「‴妙手回春‴――っ!!」
それはパルの覚えた限り最上級の回復魔法。
死んでいなければ、わずかに心臓が動き、息をしていれば、脳がまだ活動しているのなら、全てが嘘のように元通りに治す。聖女される彼女だけが使える神代の魔法。
――アーノルドはこれで大丈夫だ。
ふと気づけば、あの“少女”のカウントダウンが止まっていることに気づいた。
間に合ったのか、なんて。
ブレイルは安心する暇もなく、発狂した男に視線を向ける。
今すぐにあの男を取り押さえなくては不味い。また襲い掛かって来ないとは言い切れない。
だから、発狂した男を見て。
「――――」
言葉を失う。
あの男。ブレイルが助けた結果、アーノルドを殺しかけた男。
その男がたった今、アーノルドを突き刺した銀色だった赤いナイフで。
自身の喉にナイフを突き立てていたのだから。
赤い鮮血が噴き出る。
助けようにも、今パルが回復をやめるわけにはいかない。
そもそも、アレはどうやっても助からない。
血走り涙にくれた男の目は、ぐるりと反転した。大きな体が音を立てて倒れる。
――その様子を、その側で、あの“少女”が彼の目の前で目を逸らさずに見続けていた。
助けようとするわけでもなく、ただ本を開いて、小さく手を動かして。
「……レイジー・グレイス………………」
表情だって見えやしない。ただ、ポツリと聞こえたのはそれだけ。
たが、その姿が、その様子が。
ブレイルは心の底から、初めて恐ろしいと思えたのだ。
「ブレイル!!」
後ろでパルが悲痛な叫びをあげる。
振り向けば、パルが酷く困惑した顔で、何度も何度も同じ魔法をアーノルドに掛けているのが分かった。
――それはおかしい。
だって、彼女の最上級魔法はたった一回で、全てを治す神がかりの魔法だ。
あんなに何度も掛ける必要はない。それなのにパルはただ必死に何回も幾つもの魔法をアーノルドに掛け続けるのだ。
「おかしいの!傷はふさがった!なのに顔色が一つも良くならない!手足が冷たい!!毒かと思ったけどそれも違うの!!!このままじゃ死んじゃう!!」
駆け寄り、膝を付いたブレイルに、パルが言ったのは信じられない言葉だった。
慌ててブレイルはアーノルドの顔をのぞき込む。
パルの言った通りだ。
アーノルドの顔は死人のように酷い。
息が荒く、震えも絶えず、なのに汗が異常に多い。意識だけはあるようだが、目の視点が合わない。
目に見えて異常な状態。
リリーの泣き叫ぶ声が聞こえる。早く助けてくれと声が響く。
しかしブレイルもパルもただただ意味が分からず困惑するしかなかった。
だって魔法はしっかり掛けたのだ。生きているのなら治る筈なのだ。
「――無駄ですよ。回復魔法…?…此処では聞きませんよ」
いつの間にか、側に立ち見下ろしていた“少女”が口を開いた。
“彼女”が側に立っていたと気づいた瞬間、怯えた様子でリリーが腰を抜かす。
そんなリリーに興味も無いように、“少女”がアーノルドを見つめ、パルに視線を移す。
「ここではどんな回復魔法も表面しか治せません。内臓の修復、筋肉や肌――?それらの回復は可能ですが、無くなった物はどうやら戻せないし増やせない様ですから…」
あまりに場違いな静かな声。
意味が分からない。“彼女”の言っている言葉も、彼女の態度も全てが、意味が分からなくて恐ろしい。
フードの奥で初めて“彼女”の黒い目を確認する。
光のない、何処までも黒い目。――この目はどこかで見たことがある。
“少女”はブレイル達の様子に興味が無いように小さく首をかしげた。
「あれ、もしかして貴方の世界の魔法って無限に増殖でも出来るんです?元に戻すとかじゃなくで、増殖魔法………。だったら理解できるかも。でも、ここでは無理ですよ。普通に考えてください」
――“少女”は静かに喋る。
「ほら、なんて言いますか……。ずっと思っていて、普通、無理ですよね?ゼロから生み出すなんて」
――あまりにも静かに、当たり前のように。
「ほら、『血』とか………?――……だから、無理だと思います。あなた達神様じゃないんだから」
冷酷に、言い切った。
その姿は異常。淡々とあまりに淡々としゃべる。声を出し話しているのに感情が全く感じられない。
まるで取り敢えずの暇つぶしに独り言をつぶやいているようだ。
仕方がなく録音された言葉をしゃべり続ける人形。
「うううう、ああ、ああああ…」
今まで、ただ震えていたアーノルドが絶叫を上げる。
気が狂ったように手が宙を舞い、苦しむ用に胸を搔きむしる。
それが数十秒。多分そんなぐらい。
目玉がぐるぐるして、口から泡を吹いて、彼からすれば長かったかもしれない。
その形相は目に映すのが恐ろしく感じるほどに、遂にアーノルドは動かなくなった――。




