第5話 樋口一葉
明日からの食事や衣服、原稿を書く道具の金を誰が出すのか。一葉の問いに、誰も答えなかった。
帰る方法については全員で話したのに、帰れるまでどう暮らすかは誰も考えていない。期限さえ分からない以上、明日どころか一年後も六人がここにいる可能性だってある。
「俺が出しますよ」
結局、答えられるのは俺しかいなかった。
「食費も服も、書くのに必要な物も。普通に暮らす分なら問題ありません」
「六人分を、いつまでか分からないのに?」
「まあ、それくらいは」
一葉は納得せず、俺の顔を見ている。疑っているというより、言い方が曖昧すぎると責められている気分だった。
「三宅さんは、お仕事をなさっていないと聞きました」
「宝くじに当たったんです」
「たからくじ」
言葉は通じても仕組みは伝わらなかったらしく、俺は大勢が少額ずつ出した金を、抽選で当たった人がまとめて受け取るものだと説明した。
「つまり、働いて得たお金ではないのですね」
一葉の声に責める響きはない。それでも、なぜか背筋を伸ばしたくなる。
「そうです。ただ、当たる前は会社員でしたし、辞める時も引き継ぎはちゃんとしました」
「そこは聞いておりません」
余計な弁明だった。
画面の太宰が、面白そうに身を乗り出す。
「それで、おいくら当たったんです?」
「言いません」
「僕たち六人を養っても平気なくらい?」
「普通にしていれば」
六人がそれぞれ「執筆に必要だ」と言って買い物を始め、太宰が有料サービスへ片端から登録した場合は分からない。まだ何もしていないのに、嫌な未来だけはよく見えた。
「金額をおっしゃりたくないなら、それで構いません」
一葉は太宰を制し、今度は俺へ尋ねた。
「ただ、何にいくらまで使ってよいのかは決めてください。払えることと、好きに使ってよいことは別でしょう」
もっともである。俺は必要な物をそろえたあと、毎月使える金額を話し合うと約束した。
その晩は村瀬さんの煮物と、家にあった米や冷凍食品でどうにか六人分の夕食を作った。太宰は食べられないのに、モニターの中へ白飯と煮物を表示し、味まで分かるような顔で感想を述べていた。
翌朝、一葉を連れて駅向こうのショッピングセンターへ向かった。家から川沿いへ出て、古い商店街を抜ける道である。
五人とも今の服を持っていないが、全員で昔の姿のまま出歩くのは目立ちすぎる。まず一人と買い物の手順を確かめ、残る四人も順番に連れ出すことにしたのである。
一葉は着物姿のままでも気後れせず、店へ入るなり案内板と値札を見比べた。天井まで続く照明にも、棚を埋める商品にも驚いていたが、足を止めたのは華やかな売り場ではない。
「こちらとこちらは、同じ物ではないのですか」
手にしているのは、容量の違う洗濯洗剤だった。
「大きい方が少し割安ですね」
「では、なぜ小さい方を買う人がいるのでしょう」
「置く場所とか、一度に払える金額とか。持って帰るのが重い人もいますし」
一葉は大きい容器ではなく、小さい方の値札をもう一度見た。
「安く買うにも、先にお金と置き場所が要るのですね」
洗剤一つで、俺が考えたこともないところまで見ていた。
衣料品売り場では、俺が勧めた一番安い服を一葉が却下した。遠慮して高い物を避けると思っていたので、少し意外だった。
「縫い目が弱そうです。すぐに買い直すなら、こちらの方が高くつきます」
「なるほど」
「何でも安ければよいわけではありません」
俺より買い物がうまい。
一葉は動きやすい服を何組か選び、最後にノートと筆記具を求めた。パソコンも用意すると言ったが、まずは自分の手で書きたいらしい。
「これで小説を書いたら、原稿料はいくらになるのですか」
「投稿しただけでは、基本的にゼロですね」
一葉の足が止まった。
「一位になっても?」
「ランキング自体には、たぶん賞金はありません。人気が出れば広告収入とか、書籍化とかはありますけど」
「帰るために書き、読まれても、お金になるとは限らないのですね」
一葉はしばらく考え、ノートを買い物かごへ入れた。稼げないなら書かない、という顔ではない。書いた物の値段と、書くための生活費を別々に数えているのだろう。
会計を済ませて外へ出ると、ちょうど村瀬さんが買い物袋を提げて歩いてきた。
「秋人さん。昨日のお客さんとお買い物?」
「しばらくうちに泊まることになりまして。こちら、樋口さんです」
「そう。樋口さん」
一葉が丁寧に頭を下げる。村瀬さんは新しい服の袋と、彼女が手にしているレシートへ目をやった。
「昔の五千円札の方も、こんなふうに値段を見ながら歩いたのかしらね」
唐突な話だった。昨日、俺が一葉へ旧五千円札を見せたことは、村瀬さんに話していなかった。
「ええ。見ないわけには参りませんでしたから」
一葉が静かに答えると、村瀬さんは「あら、そう」とだけ言って笑った。
二人の間では何かが通じたらしい。俺だけが置いていかれていた。
帰宅した俺たちを迎えたのは、空になった炊飯器と、流しへ積まれた六人分の食器だった。一人暮らしの流しで見ると、十分すぎるほど多い。
一葉は買った物を置き、流しと食卓を見比べた。
「今朝のお食事は、どなたが用意なさったのですか」
「私と三宅君だ」
漱石が答えた。
「では、この後片づけは?」
誰からも返事はなかった。
一葉がため息をつくより早く、晶子が席を立った。
「決めていないのなら、決めましょう」
その声には、話し合いではなく会議を始める響きがあった。




