第4話 芥川龍之介
「肝心なことが書かれていません」
芥川は紙に書き写した帰還条件を指でなぞり、二本線を引いた箇所をこちらへ向けた。
――ノベルポートの週間総合ランキングで一位になれ。
短い。命令としては、これ以上ないほど分かりやすく見える。
「一位になれば帰れるんですよね?」
俺が尋ねると、芥川は首を横へ振った。
「誰の作品が一位になればよいのか、誰が帰れるのか。どちらも書かれていません」
「各自、自分の作品で一位になれという意味ではないのですか」
晶子の問いに、芥川は紙を示したまま答える。
「おそらくは。ただし、そう読んだのは僕たちです」
「六人で一作を書け、という可能性もあるわけですな」
乱歩が楽しそうに口を挟む。帰れるかどうかの話なのに、謎が増えたことを喜んでいるようにしか見えない。
「それなら『共同で』と付けるでしょう」
一葉は現実的だった。
「六人のうち誰かが一位になれば、全員が帰れるのかもしれません」
「反対に、一人が一位になったら、残りの五人は帰れないということもありますね」
太宰がわざわざ嫌な可能性を足す。画面の中で頬杖をつこうとして、机まで映像で作り始めていた。
「太宰君。混ぜ返すのは、少なくとも事実がそろってからにしたまえ」
漱石に言われ、太宰は素直に机を消した。本人は消えない。
結局、正しい答えを知る方法は見つからなかった。声の主へ質問する窓口もなければ、生成AIへ同じ質問をしても、「物語の設定によります」と他人事のように返してくる。
物語ではなく、うちのリビングで起きているのだが。
「手掛かりがない以上、それぞれが一位を目指すしかないでしょう」
芥川が紙を畳む。
「誰か一人の達成で全員が帰れるなら、それで解決します。各自の達成が必要なら、一作だけを書いても意味がない」
「六人で六作。ずいぶん賑やかな競争になりそうですな」
乱歩はもう参加する気でいる。一葉と晶子も異論はないらしく、漱石は額へ手を当てていた。
「その前に、ノベルポートが何なのか説明してもらおう。私は名前すら今日初めて聞いた」
「僕はだいたい分かりますよ」
太宰の発言は全員に無視された。
とりあえず俺のノートパソコンを食卓へ置き、ノベルポートのトップページを開く。六人が一つの画面をのぞくには狭いため、使っていなかったタブレットも持ってきた。
芥川は薄い板のような端末を慎重に受け取り、俺が一度操作してみせると、自分の指で画面を上下させる。驚きはしたものの、怖がる様子はない。
「本が一冊も見えないのに、すべて文章なのですね」
「小説以外もありますけど、基本はそうです」
「掲載するために、編集者の許可は?」
「いりません。登録すれば誰でも載せられます」
芥川の指が止まった。
「誰でも」
「誰でも」
確認するように繰り返したあと、今度は画面の端にある週間ランキングを開く。上位作品の題名、文字数、更新日時、評価、感想の数を一つずつ見ていった。
俺は横から、閲覧、読了、フォロー、評価で週間ポイントが加算されることを説明する。芥川は黙って聞き、途中から別の画面を開いて規約を調べ始めた。
「あの、今見てる画面は閉じないんですか」
「比較に必要です」
新しい項目を確かめるたび、画面上部へ小さな見出しが増えていく。十分ほどで二十を超えた。
「芥川先生、要点なら僕がまとめましょうか」
太宰が親切そうに申し出る。
「規約の要約には、誤りが混じると困る」
「僕のことを信用していない?」
「昨日会ったばかりだからね」
太宰は傷ついた顔になった。ところが芥川が規約へ視線を戻すと、すぐ表情を消し、別の角度から話しかける。
「それでは、改めてご挨拶を。太宰治と申します。芥川先生のお名前は、かねてより――」
「君は僕を知っているのか」
「もちろんです。先生の作品も、ご経歴も、その後の評価も」
芥川の指が、また止まった。
「僕は君を知らない」
「そんなにはっきり言わなくても」
「昨日、初めて現れたんだから、知らないよ」
もっともな話だった。太宰はひどく傷ついた様子で画面の外へ半分消えたが、こちらをうかがう目だけは残っている。
芥川が再びタブレットへ目を落とした時、俺の作者ページが表示された。操作を教えるため、ログインしたままにしていたのである。
「三宅さんも、ここへ小説を出しているのですね」
「一応。全然読まれてませんけど」
『最後の人類は、記憶の海で眠る』という題名を見て、芥川が眉をわずかに上げる。
「最後の人類とは、ずいぶん大きく出ましたね」
「先に言っておきますけど、ありきたりらしいです」
「人類が滅びた後の話が、ありきたりなのですか」
今度は芥川だけでなく、ほかの四人もこちらを見た。太宰だけは画面内で何かを検索し、納得したようにうなずいている。
俺があらすじを説明すると、宇宙船や人工知能、記憶から人格を作る技術について質問が相次いだ。現代の読者には見慣れた要素でも、五人にとっては未知のものばかりらしい。
少しだけ気分がよくなり、俺は第一話を開いて芥川へ渡した。
彼は読み始めると、驚くほど静かになった。最初の数ページを戻ったり進んだりしながら確認し、やがてタブレットを食卓へ置く。
「題材は面白いと思います」
思わず背筋が伸びる。
「ただ、この人物は真相に驚くためだけに置かれているように見えます」
「早いな」
「まだ全部は読んでいません。ですから、今のところは、です」
逃げ道を残した言い方なのに、十分刺さった。三か月かけた俺より、数分読んだ芥川の方が、主人公の薄さを正確に見抜いている。
「続きも読ませてください」
芥川はそう言い、また最初のページへ戻った。批評は痛かったが、読まれないよりはずっといい。俺が少しうれしくなっていると、食卓の端から遠慮がちな声がした。
「その前に、一つよろしいでしょうか」
一葉だった。
「わたしたちは今夜、こちらへ泊めていただけるとのことですが、明日からの食事や衣服、それに原稿を書く道具のお金は、どなたが出すのでしょう」
誰も答えなかった。
帰還条件の主語より先に、生活費の支払者が決まっていなかったのである。




