第23話 先生の答え、弟子の答え
芥川の『善意の記録』には、正反対の感想が並んでいた。
『難しいけれど忘れられない』
『何を言いたいのか分からない』
どちらも一行で、評価の点も同じだった。
芥川は二つの感想を何度も読み返し、翌日の朝、漱石へ原稿を差し出した。
俺は朝食の片づけをしながら、そのやり取りを聞いていた。芥川が漱石へ意見を求める場面は何度も見たが、今回は作品の正解を渡してほしいようにも見えた。
「先生なら、どちらを直しますか」
漱石は受け取ったものの、すぐには開かなかった。
「好きに書きたまえ」
いつもの答えを言いかけ、途中で止めた。
前の合評では、それが芥川の判断を尊重する言葉になった。しかし今は、具体的な意見を求められた場面から退く言葉にもなる。
漱石は原稿を読み始めた。
読み終えるまで、芥川は一度も急かさなかった。太宰が何か言おうとした時だけ、俺が画面の音量を少し下げた。
募金箱の動画を検証する編集者が、最後にどの記事を出すか迷う場面だった。複数の証言が重なり、誰の善意にも小さな省略がある。
「私なら、撮影者の説明を一つ減らす」
漱石が言った。
「読者に分かりやすくするためですか」
「いや。君が撮影者を疑いすぎているからだ。正しく見抜こうとして、彼だけを逃げられない場所へ追い込んでいる」
芥川は余白へ印を付けた。
「ただし、編集者が最後に迷う時間は、もっと長くてよい。結論が遅いのではなく、結論を出す責任がある場面だからね」
今度は具体的な意見だった。
芥川は礼を言い、自室へ戻った。
その日の夕方、更新された原稿を漱石が読んだ。撮影者の説明は減っていない。代わりに、彼が撮影を止めた後、家へ帰ってからの短い場面が足されていた。
「先生の案は使わなかったのかね」
「疑いを減らすのではなく、疑われる人にも翌日を戻しました」
漱石は画面を閉じ、少し笑った。
「その方がよいかもしれない」
芥川は先生の案を退けたのではなく、何を問題にされたかを受け取った上で、別の答えを出していた。
漱石も、自分と違う答えを出されたことへ、失望しているようには見えなかった。
一方、『相談役の空席』の主人公は、相変わらず住民の話を聞き続けていた。
遊び場をなくす改修案について、賛成と反対の両方を理解し、自分の意見だけを保留している。
「先生の主人公も、好きに決めろと言っていますね」
芥川が指摘した。
「彼は相手の自主性を尊重している」
「自分が嫌われる判断を避けているようにも見えます」
漱石は返事をせず、しばらく自分の原稿を読んだ。
次の更新で、主人公は初めて自分の意見を口にした。全員が納得する答えではなく、反対する住人から怒りの返信が届く。それでも彼は、誰かの文章を整えるのではなく、自分の名で返事をした。
「嫌われましたね」
太宰が楽しそうに言った。
「一人に嫌われたことと、全員から必要とされなくなったことは同じではない」
漱石は答え、届いた批判へすぐ返信せず、次の一文を考えた。
主人公に決断させたことで、漱石自身も、読者の反応を引き受けることになったらしい。
二作とも、翌週の順位が少し上がった。
芥川は順位より、漱石が『善意の記録』へ一人の読者として感想を述べたことを喜んでいた。
漱石の方も、主人公が嫌われた感想欄を、以前より長く眺めていた。
二人は順位を競っている。それでも芥川は漱石の作品を読み、漱石も芥川の結末を待っている。
先生と弟子という順番だけではない場所に、少しずつ並び始めていた。




