第18話 原稿を読む夜・上
六人の第一稿がそろうと、食卓で原稿を読む夜が開かれた。
全作を一度に細かく扱えば朝になる。最初の夜は、同じ町を別の方向から書いた乱歩と一葉、先生と弟子でありながら正反対の組み立て方をした漱石と芥川。その二組に絞り、中心となる問題を一つずつ見ることにした。
乱歩の『地図から消えた町』は、六作の中で最も先を読みやすかった。
地図アプリから消えた商店街へ、町そのものを盗むという予告状が届く。図書館員と子どもたちが古い地図を手に歩くたび、新しい異変が見つかる。
「次は何が消えるのか、気になります」
俺が素直に感想を言うと、乱歩は満足そうにうなずいた。
一葉は原稿の中から、商店街の履物店を探した。
「店の方は、予告状を見て驚くだけなのですね」
「事件へ巻き込まれる役ですから」
「この店が消えれば困る方を、見せていただけませんか」
乱歩は仕掛けの速度が落ちると反論しかけたが、取材で会った店主の笑い方を思い出したらしい。
「では、娘へ閉店を言えない事情を、最初の異変へ結びつけましょう。謎も増える」
人間を足す話が、乱歩の中ではすぐ謎を足す話へ変わった。それでも、店主は驚くだけの役ではなくなった。
一葉の『夜明け前のレジ』は、夜勤の女性と、夜にしか来ない客たちを丁寧に描いていた。
誰が何を買い、どんな顔でレジへ来るか。値札、時給、欠勤、売れ残り。数ページ読むだけで、店の白い明かりと夜明け前の寒さが伝わる。
しかし、乱歩は途中で残りの紙を確かめた。
「いつまで続く話なのです?」
「店の夜間営業が終わるまでです」
「それが、読者にはまだ知らされていない」
乱歩は、閉店までの日数を各章の最初へ置く案を出した。残り二十一日、二十日、十九日。客の生活を描く場面が、そのまま期限へ近づいていく。
「数字で急がせるのは、少し作り物めきませんか」
「小説ですから、作ったところがあってよいでしょう」
一葉はすぐ賛成しなかったが、案をノートへ書き留めた。
二人は同じ町を歩いた時と同じように、互いの足りない部分を見つけていた。
漱石の『相談役の空席』では、集合住宅の住人が、在宅勤務の男へ次々に相談を持ち込む。男は両方の言い分を理解し、誰からも信頼される一方、自分の意見を言えなくなる。
会話のすれ違いは可笑しく、主人公が返信文を何度も書き直す場面には、太宰まで笑っていた。
「この方は、最後まで人を見ていますね」
一葉が言った。
「観察する人物だからね」
「話し合いが終わったあと、椅子を片づける方は誰でしょう」
漱石の手が止まった。
住民同士の心理は細かく描かれている。しかし、集会所を開け、茶を用意し、終わったあとに片づける管理人は、背景に一度出るだけだった。
「見えていない労働がある、ということですか」
「主人公にも見えていないのではありませんか」
漱石は指摘を認め、管理人を主人公と対立する人物ではなく、観察の外側から現実を動かす人物にすると書き留めた。
最後は芥川の『善意の記録』だった。
募金箱から金を抜く男の動画をめぐり、編集者が複数の証言を集める。文は精密で、同じ場面が語り手ごとに少しずつ変わる。その違いを追うのは面白いが、読み終えた時、俺は人物より証言番号を覚えていた。
漱石も同じところを見ていたらしい。
「君は、登場人物を全員裁判にかけすぎる」
芥川は原稿を閉じた。
「構造上、必要な証言です」
「必要であることと、生きていることは別だろう。疑われた店員は、記事が出た翌日にも働くのではないかね」
一葉も、店員が職を失えば翌月の家賃をどうするのかと尋ねた。
しばらく沈黙したあと、芥川は二人の意見を理解したと答えた。
「ただし、先生の提案どおりには直しません」
食卓の空気が一瞬止まった。
漱石は芥川を見たあと、少しだけうれしそうに笑った。
「好きに書きたまえ。君の小説なのだから」




