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わたしとあの子の桶狭間  作者: 澤群キョウ
魔法少女を、卒業します

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スタートライン

 ふたばはしばらくの間、点滴に繋がれ、家族からの尋問にあう日が続いた。

 倒れて病院へ担ぎ込まれ、千華がいた理由について問われていた。


 一人暮らしを始めてから三年近く。その日々の間、行方がわからなくなっていた千華と、ずっと一緒にいたのかと。


 ふたばは随分悩んだが、結局、そうだと答えた。

 引きこもってブクブクしていたとは言えても、メーロワデイルで再び会ったなどとは言えない。それは王の間で千華が言っていた通りだ。怪しげな黒と紫のコスプレ衣装は地球のものではないが、それを証拠に異世界へ行っていましたなどという主張はやはりできない。再び病院に連れて行かれるか、生暖かく見守られるか、どちらもあまり嬉しい選択肢とは言えなかった。


 退院してから二日後、ふたばは千華の家を訪れて、友人の両親に向かって詫びた。

 千華はずっと自分のところに居ました。

 外にちっとも出てなかったのがいけなかったのか、謎の体調不良に陥りましたと。


 こんな説明で、すべてが納得されるわけがない。

 そう思っていたが、双方の家族からの追及はすぐに収まった。

 仲違いをしていた二人。あれ程仲睦まじかった二人が決別して、一方は行方不明、一方は面会拒否の引きこもりになっていたわけで、その裏で何があったのかは理解できなかったが、「無事に帰ってきた」以上に喜ばしい話はなかったのだろう。


 本当のことを話せない。それは、二人の心を重く沈ませていく。

 真実は話せないが、しかし、沈んだままでは駄目だとも思う。


 決意をして、ふたばは千華の部屋を訪れ、こう告げた。


「心配かけた三年分、なんとか取り戻そう」


 千華が自分を許してくれるかどうか。ひどく不安に思っていた。

 けれど、目が覚めた時にそばにいてくれた。手を握って、祈っていてくれた。

 それが希望になって自分に与えられて、目が覚めたのだと思う。


 メーロワデイルで焼き尽くした自分の命は、大地の門で再び花を咲かせる勇者の魂のように、誰かの思いによって息を吹き返したのだと感じていた。


「わかった」

 千華は素直に、こくんと頷いた。長かった髪がばっさりと肩の辺りで切られている。斜めになってしまっているのに、直す気がないらしい。

「ふたば」

 三年の間、主を失い続けていた部屋は綺麗に整えられている。いつでも帰ってきていいようにと、千華の母が手入れを続けていたのだという。

「なあに?」

 切れ長の美しい目の中に、光るものが見えた。


「ありがとう」


 なにに対しての礼なのか、ふたばにはわからなかった。

 行方不明の間、ずっと一緒にいたという優しい嘘についてなのか。

 異世界まで迎えにいったことについてなのか。

 それとも、単純に今自分がした提案に対してなのか。

 

 わからなかったけれど、ふたばはこう答えた。

 

「こっちこそ、ありがと」


 そばにいてくれてありがとう。

 愚かな自分を許してくれてありがとう。

 また、ともだちに戻ってくれて、ありがとう。


 ふたばが礼を返すと、千華は両目から涙をぽろりと落として、微笑んだ。

 これだけで、あれ程冷たかった戦いはあっさりと終わった。


 凍り付いた世界に再び暖かい風が吹いて、氷のとけた大地から、花が、芽を出していく。




 それぞれの家に戻ってから一週間が過ぎて、二人はふたばのアパートを訪れていた。

 もう必要がなくなったこの部屋を引き払う為の片付けをしなければならなかったから。


「すごいね、この服のサイズ」

 毛玉だらけの巨大なスウェットを広げて、千華は呆れた表情を浮かべている。

「こんなの着てたの?」

「仕方ないじゃん。なんでかわかんないけど、やけに肉がついちゃって」

「見たかったな」

 意地悪そうに笑う千華にふたばは頬を膨らませてみせる。けれどそれをすぐに萎ませて、小さく微笑んで答えた。

「良かった、痩せたまんま帰ってきて。もしかしたら行った時の姿で戻るかもって思ってたから」

「どうやってそんなに痩せたの?」

「みんなに分けてきたんだ」

 意味が分からないといった表情で、千華は首を傾げている。

 もう着る者がいない大きなサイズの服は、次々にゴミ袋の中へ放り投げられていく。



 ヒューンルのしてくれた大掃除のおかげで、既に大したゴミもない。

 サイズの合わない服と冷蔵庫の中身を全部捨てて、家電や布団はまた次の週、粗大ゴミの回収に出す予定になっている。

 ゴミ袋を外の集積場に運びだし、戻って来たところでふたばは呟いた。


「これから、どうしよっか」


 あっという間に終わった大掃除の後、二人は何もない六畳間の畳の上に並んで座っている。

 

 卒業式に出なかったどころか、中学二年生の後半からの授業は一切受けていない。

 三年生辺りからやり直しができるのかな、とふたばは考えていたが、どうやらそれは無理な話らしかった。部屋の机の上には、受け取り手のいなかった卒業証書が既に置かれていた。


「高校、受けようよ」

 千華の返事に、ふたばは勢いよく振り返る。

「高校?」

「うん。勉強して、来年の春の入試を受けよう」

 一年半分の中学校の課程を済ませていないのに、間に合うだろうか?

「大丈夫だよ、やればできる。そんなにハイレベルな学校、狙わなくたっていいんだから」

「それはそうだけど」

 不安はまだある。年齢だ。

「卒業する時、二十歳だよ?」

「……いいじゃない、こんな美女が二人もいるんだから。むしろ喜ぶでしょ、男の子は特に」

 千華はそう言うと、にっこりと笑った。

 イメージにない意外な一言に少し驚きつつ、ふたばも笑う。

「そうだね。やんないよりは、ずっといいよね」

「同じ学校受けよう。訳アリの女子高校生になったとしても、ふたばと一緒なら、なんだって平気だよ」


 不思議な気分だった。

 カルティオーネの城で、自分のすべてを否定してきたはずの千華が、何故こんなにも優しい顔で笑うのだろう。


 ロクェス、イーリオ、エランジ、ニティカ、メダルト、そしてヒューンル。

 彼らがきっと、千華に伝えてくれたのだろう。


(メーロワデイルは、希望の世界だから)

 

 彼らは自分が頼んだ通り、責めず、それどころか千華の中に希望の種まで蒔いたに違いない。

 千華の思いがどんなものかは、まだわからない。

 けれどきっと、いつかすべてを話してくれるだろうと感じている。


(すごいな、メーロワデイル)


 ふたばは思わず手を伸ばして千華の顔に触れ、更に近づいて額をくっつけると両手をくるくると回して頬を撫でまわした。

「ちょっと、何するの」

「戦う仲間同士の挨拶だよ」

 千華の手を取って、同じように自分の頬を撫でさせていく。少し嫌そうだった顔も最後には呆れたような笑みを浮かべて緩んでいった。

「うわ、なにしてんの二人で」

 後ろから突然かかった声に揃って振り返ると、玄関にふたばの幼馴染である慶太が驚いた顔で立っている。

「お前ら一緒に暮らしてたとかって聞いたけど」

「それがどうかした?」

「いや、別に、ビックリする話でもないか。昔っからべったりだったもんな……」

 

 言葉はそこで途切れた。二人の関係に対する疑問よりも、心配していた幼馴染の元気そうな顔を見られた喜びが勝利したようだ。

「今日、部屋の片づけしてるって聞いたから。だからほら、差し入れ持ってきたんだ」


 差し出されたのは小さなケーキ屋の箱。

 一か月前食べ損ねた「スイーツ」が二つ、中に入っていた。


「二人でどうぞ」

 微笑む慶太に、千華はふっと笑った。

「ふたばと二人で食べようと思って来たんでしょ?」

「え? いや、違うけど」

「いいよ、遠慮しないで。もう終わったし私は帰るね。ふたば、明日っから一緒に勉強しよ」

 爽やかに手を振り、千華が去って行く。

「ごめん、もっといっぱい買ってくれば良かったな」

 謝る慶太になんと答えたらいいかわからず、ふたばは少し戸惑いながら、やってきた幼馴染の姿を見つめた。


 三年ぶりに見る顔は、随分大人びていた。

 慶太は千華の次に付き合いの長い、大切な存在だ。とはいえ、家が近くて学校が同じで、時々一緒に登下校したり、家族ぐるみで出かけたりした以外にたいした思い出はない。

 思えば、ヒューンルが何故あんな風に言ったのかがわからなかった。ふたばはまだ、慶太が好きなの? と。

(でも、精霊は嘘を言わないんだっけ)

 だとしたら、自分は慶太が好きなのだろうか? 家族以外に自分のそばにいる異性が目の前の幼馴染以外にいないだけで、確かに仲良くしてはいるけれど――。


 意識するとやけに気恥ずかしくなってきて、ふたばは思わず下を向いてしまった。

 慶太は隣で、持ってきた紙の皿の上に丁寧にケーキを一つずつ置いている。

「ありがと」

「いや」

(そういえば、毎週来てくれてた)

 一度も顔を見せなかったのに。必ず何かお土産を持って、雨の日も風の日も、週に一度は必ずドアを叩きに来てくれた。

「ありがと」

「なんだよ、いいよそんなの。それより元気そうで良かった。出海もどこに行ったかと思ってたけどさ」

 照れくさそうに首を捻りながら、慶太はふたばとは逆の方を向いて、呟く。

「いいから食べろよ。毎回さ、ちゃんと受け取っててくれたんだろ。なんだかんだしばらくしたらドアが開いてたから、安心してた」

 

 いつもいつも、ケーキだった。

 ナマモノをドアの前で腐らせたくなかったから、慶太のお土産は必ず、少し時間をあけてから受け取っていた。


「見てたの?」

 返事はない。慶太はちらりとふたばを見たが、すぐに下を向いて自分のケーキにプラスチックのフォークを入れた。

 ふたばもゆっくりと、チョコレートケーキを小さくすくって口に運んでいった。優しい甘さが広がって心の中を温めていく。そう感じると、またヒューンルのセリフが思い出されて落ち着かない。


「一ケ月くらい受け取らなかっただろ? どうしてたんだ?」


 こんな不意打ちでとうとう手が止まる。まだ少ししか食べていないケーキが、動揺のせいで皿の上に倒れてしまった。


「どこかに行ってたとか?」

 

 そう。

 遥か遠い別の世界に、勇気と希望をもらいに行っていた。自分がかつて山ほど持っていたはずのものを、もう一度手に入れるために。


「うん、……ちょっとね」

 慶太に向かって、ふたばは微笑みながら頷く。

「それで、大切な物をたくさん、見つけたんだ」

 

 たくさん失って、たくさん悲しんで、たくさん辛い思いをした。

 けれど、得たものも多くあったとふたばは思う。

 これからはもっと強く生きていけるはずだ。


 絶望ばかりの悲しみを知ったから。

 メーロワデイルで知った、希望の力を胸に抱いているから。

 また、千華が隣にいてくれるから。


「そっか」

 慶太が振り返って、小さな包みを差し出してくる。

「次からはさ、辛いことがあった時には言ってくれよ。なんでも聞くから。俺には言ってくれよな」

 顔を熱くして受け取るふたばに、慶太も照れたのか咳払いをしてこう続ける。

「なに、勉強するって。明日から?」

「高校受験しようって話になって」

 ふたばも慌てて、小さな包みを開けていく。


 やたらと早い鼓動に包まれながら開けた袋の中には、小さなぬいぐるみのついたストラップが入っていた。

 白くてふわふわで、長い耳としっぽがついている。

「受験か、そっか。いいかもな。確かに、うん」

 柔らかいふわふわをじっと見つめるふたばに気が付いて、慶太は笑みを浮かべた。

「お、やっぱそういうの好きだったか。昔よく見てたもんな、アニメ、好きだっただろ。こういうキャラが絶対出てきて主人公にくっついててさ、魔法で変身して戦うやつ。飽きもせず毎年よく見てたよな、ふたば」

 

 小さなぬいぐるみを撫でていく。

 今のこの場面、彼なら「良かったねー、ラブラブじゃんか!」と囃し立ててくるに違いない。


「それ見たら、ふたばにあげなきゃって思ったんだ。携帯電話買ってつけてよ。メールでも電話でも、二十四時間受け付けるからさ」

「そうだね。電話、あったら便利そう」


 ぬいぐるみを手の中で優しく握りながら、ふたばは窓のそばへ寄って空を見上げた。


 ふっと、記憶が呼び起こされていく。


(ヒューンル、ありがと、助けてくれて)


 暗闇の谷底に落ちていく途中で、間違えて迷い込んだ精霊の国で。自分を呼び戻してくれた。


(もう会えないのかな)


 これからはきっと、白くちぎれた雲を見るたびに(ヒューンル)を思い出すだろう。


(頑張って歩いていくね)


 「らしくない」と笑う声が聞こえたような気がして、ふたばは微笑んだ。


 しんみりしているなんて、確かに自分らしくない。

 いつだって笑顔で、希望を胸の内に抱いていかなくてはいけない。

 それが、メーロワデイルの流儀。勇者に必要なものなのだから。


 魔法少女ではなくなったけれど。

 自分の心を強くして、これからの人生も地に足をつけて歩んでいく。


 そうすればきっと、人生の終わりにまたあの美しい大地の門で会えるだろう。

 金と銀の眩い姿の騎士たちに、無口で頑張り屋の射手の青年に、陽気な精霊たちにも。


(その日のために、まっすぐに歩いていこう)



 カーテンの無い窓からゆっくりと離れていく。



 そしてふたばは部屋のカギを閉めると、家族の待つ自分の家へと戻って行った。 

 

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