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「はぁ~、疲れた……」
自室に戻った私はベッドに大の字で倒れこむ。ブーツも脱がず、ベッドに倒れるなんて、侯爵邸にいたらメイドや侍女に叱られるところだ。
(というか……お腹も空いた。結局、ヒロインに付き添い、晩御飯を食べ損ねてしまったわ……)
空腹で疲労困憊で動けないという状態で私は窓際のチェストに仕舞っているある保存食のことを思い出す。
(チェストの中に干し肉とピクルスの瓶詰とビスケットがある。あれを、あれを取り出して食べよう)
頭では算段を立てているのに、体が動かない!
(魔法が使える世界だったらよかったのに)
そんな恨み節になったまさにその時、唐突に扉が開き、「!」と本能でベッドから起き上がっていた。
「リ……リック王太子殿下、どうされましたか!?」
私の部屋はリック王太子殿下の執務室に併設されている元仮眠室だった。つまり執務室から扉一枚隔てているだけで、そこを開ければ私の部屋に入ることができてしまうのだけど……。
(そこの扉、鍵、かけていませんでしたっけ!?)
そう思うが本人に聞くことも出来ず、私は直立不動で彼を見ることしかできない。
「ああ、そうでしたね。ここの部屋は今日からアニエス卿の部屋でした。失礼しました」
リック王太子殿下は実に朗らかな笑顔なので、文句なんて言いにくい。それに気になるのは彼が手にしているもの!
「……殿下、そちらは何ですか?」
「ああ、これ、これは夜食でいただこうと思っていたのですが……アニエス卿も食べてみますか?」
まさに腹ペコだったので、ここは遠慮なく「え、よろしいのですか?」と笑顔になってしまう。
「ええ、一人では食べ切れない量ですし、ちょうど、アニエス卿に話も聞きたかったので」
かくしてリック王太子殿下は私の部屋に入ると、慣れた様子で窓際の席に向かい、そこで手にしていた銀のトレイに乗っているワッフルと謎の茶色のキューブをテーブルに置いた。
私はベッドサイドテーブルに置いていた水の入ったカラフェとグラスを手にリック王太子殿下の方へと向かう。
「まあ、お座りください」
「はい……」
リック王太子殿下の対面の席にちょこんと腰掛け、テーブルの上の茶色のキューブに注目すると、リック王太子殿下がクスリと笑い、その正体を教えてくれた。
「これはブラウンチーズです」
「えっ、チーズなのですか!?」
「はい。ノルヤード王国の大使から頂いたもので、チーズですがとても甘く、見た目と同じ、キャラメルのような味わいがするそうです」
「キャラメルのような甘いチーズ……!」
「ほんのり塩味もあり、甘じょっぱいそうで、こうやって削ってワッフルに掛けて頂くと最高なのだとか」
「なるほど!」
リック王太子殿下はワッフルを取り分け、削り下ろしたブラウンチーズを振りかけてくれた。その際、チーズ作りで生じた水分を煮詰めて作ったのが、ブラウンチーズであることも教えてくれたのだ。
「このバニラアイスも一緒にいただくと最高なはずです」
「ありがとうございます……!」
もう腹ペコだったので遠慮なしで頂くと……。
(あ、この甘さは確かにキャラメルみたいだわ。でも後味にほんのりしょっぱさが残る。とても美味しいし、癖になる味わいだわ……)
ブラウンチーズはワッフル、バニラアイス、どちらにも合う!
「それにしても今日のアニエス卿にはとても驚かされました」
「あっ、それは……」
「よく分かりましたね」
「ぐ、偶然ですよ……!」
リック王太子殿下が驚かされたこと。それは……私があの晩餐会の場で毒ではないと判断し、ヒロインを救ったことを言っていた。
「あの場では誰もが毒を盛られたと思いました。でもアニエス卿はそうではないと判断し、瀉血しようとする宮廷医を止めました。なぜ、毒ではないと分かったのですか?」
正直に答えるなら「この世界のヒロインが毒を盛られたり、毒死したりする理由がないから」なのだけど、それは言えない。そこで私はこう答えることになった。
「エビだけではなく、カニもそうですし、それこそチーズを食べても具合が悪くなる人がいることは知られていますよね」
「ええ、それは確かにそうです」
アレルギーの概念はこの世界にまだないが、経験則で食べ物で引き起こされる体の不調があることは認識されていた。
「モートン殿下に確認したところ、マーコック嬢はエビ、カニ、チーズ、そのいずれかを食べても今回のように蕁麻疹が出たり、呼吸が苦しくなったりしたことはないとのことでした。そこでピンと来たのです。乾杯でシャンパンを飲み、エビの入った前菜を食べ、さらにシャンパンのお代わりをしていた。エビとシャンパンの成分が身体に何らかの作用をもたらしたのではないかと。一時的な体の中で起きている作用に思えたので、瀉血は必要ないとあの場では判断しました」
この世界では具合が悪くなると、何かと血を抜きたくなるようだが、そんなことをしていたら助かる命も助からない気がしていた。
(ヒロインが瀉血で死亡なんて、前代未聞。何としても阻止するために私は動くことになったのだ)
「仰向けにして、脚の位置を高くして、顔を横向きにする――あれはどうしてそうしたのですか?」
それは前世で偶然見たテレビでそうしていたのを思い出したからで、それが正解である細かな理由までは……正直思い出せない。
「同じような症状が出た人に昔、そうしたら効果があったことを思い出したのです」
「なるほど。過去の経験則から毒ではなく、食べ合わせの問題で容態が悪化したと判断した。そして姿勢を調整し、呼吸を確保することで、マーコック嬢を助けたのですね」
「はい。私は医者ではないですし、間違った判断だったらと気が気ではありませんでした。でも姿勢を調整し、コルセットなどの下着も緩め、保温して、呼吸がちゃんと出来ているかを確認し続けて……。容態が安定して本当によかったと思います」
ヒロインは現在、呼吸も安定し、すやすやと眠っていた。
もしも毒だったら今頃苦しんでいるか、死亡している可能性もあったわけで、今回の私のアナフラキシーまではいかないが、アレルギー反応が出たのでは?という予想は外れていなかったわけだ。
「もしあの場で、マーコック嬢が毒を盛られたとなったら大変なことになっていました。まず、毒を盛られたのが王族の婚約者です。そうなると敵国のスパイが侵入していたとなり、警備体制の不備が問題になります。しかもあの場にはノルヤード王国の大使夫妻もいたのです。彼らを危険に晒したと外交問題にも発展しかねません。毒ではなく、食べ合わせの問題で解決できたことは……本当に奇跡だと思います」
そこでリック王太子殿下は私を見て、その美貌が際立つ素敵な笑顔になった。
「アニエス卿、今日はお見事でした」
「そ、そんな……」
「君を護衛騎士に迎えたのは正解です」
「それはこちらこそ、ありがとうございます」
「今日のお手柄のご褒美として、こちらのブラウンチーズは君に進呈します」
「え、よろしいのですか!?」
「ええ。一口サイズにして、キャラメルのように食べても美味しくいただけるでしょう」
「とても……嬉しいです。ありがとうございます!」
悪役令嬢に転生し、物語の流れ通り、婚約破棄された私だったが、リック王太子殿下の鶴の一声で彼の婚約者候補(仮)の護衛騎士になることができた。宮殿に立派な部屋を与えられ、そして珍しいブラウンチーズまで頂けて……。
(私はツイている。めちゃくちゃラッキー!)
そう思っていたのだけど……。実はとんでもないことに巻き込まれたことは……うんと後になってから判明するのであった。
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