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ヒロインがエビ×シャンパンで倒れた騒動から二週間が経ち、季節は春爛漫。宮殿の敷地のあちこちでアーモンドの花が咲き誇り、庭園ではミモザの黄色の絨毯が広がっていた。他にも薔薇、ヒヤシンス、ライラックなど沢山の花が満開の時を迎えている。
天候も晴れの日が多く、気温も穏やか。
(まさに、平和だわ……)
リック王太子殿下の婚約者(仮)のローゼンフェルト公爵令嬢は、王太子妃教育を毎日数時間受けているが、そもそも公爵令嬢なのだ。淑女教育は済んでおり、王族ならではの慣習を覚える必要もあるが、それとて基礎が出来ているから呑み込みも早い。通常は一年かかる授業も、その半分で終わりそうというのだから、ローゼンフェルト公爵令嬢は、まさに才媛なのだろう。
そんな彼女の日々の生活は宮殿と王宮内で完結する。
買い物は外商が宮殿まで来てくれるので、街へ出る必要がない。服飾店から始まり、宝飾品店、香水や帽子の店など、みんな御用聞きよろしく宮殿まで来てくれるのだ。
令嬢達のお楽しみと言えば、お茶会であるが、ローゼンフェルト公爵令嬢は主催者という立場がメインだった。つまり自分が動かなくても、自身が「お茶会をするわ」の一言で、この国の令嬢達は大喜びで宮殿まで足を運んでくれるのだ。自ら出向く必要はない。
さらに宮殿には音楽室、図書室、温室もあり、さらに小劇場(小ホール)もあった。著名な音楽家や劇団は宮殿へ招待すれば、まさにプライベート演奏や上演をしてくれるのだ。よって劇場までわざわざ足を運ぶのは著名なオペラの公演ぐらいだった。
そしてまだ王族ではないので公務はない。つまり公務による外出もなかった。
そうなると宮殿内で、刺繍をしたり、読書をしたり。宮殿にやってきた音楽家の演奏を楽しみ、庭園を散歩し、お茶会を主催する。そして王太子妃教育。すべて宮殿と王宮内で行われ、外出の機会がなかった。
街中の危険度に比べたら、宮殿、特に王宮は警備が厳しく、大勢の警備兵があちこちにいるのだ。私は護衛騎士なのだけど、日々、ローゼンフェルト公爵令嬢をじっと見守るのが中心で、剣を抜くのは修練の時のみという感じだった。
(これでは腕が鈍る……なんて思ったらダメよね。平和が一番なのだから)
それでもうららかな春であることも影響し、欠伸がふわっと出てしまう。
「アニエス卿」
「す、すみません、ロイド卿!」
「欠伸もしたくなって当然ですよ。黙々と読書するローゼンフェルト公爵令嬢を見守ってそろそろ三時間ですから」
本日の午前中、ローゼンフェルト公爵令嬢は宮殿内にある図書室で読書をして過ごしていた。
「でも午後一番で外出となります。リック王太子殿下とオペラ観劇がありますからね。今のうちに昼休憩をとってもらった方がいいでしょう」
美青年で親切なロイド卿のおかげで私は早めの昼休憩を取ることになった。
◇◇◇
宮殿に設けられている食堂でロールキャベツとパンを食べると、満腹のお腹を休ませるため、庭園に向かうことにした。
(前世でもそうだったけれど、早弁ってなんかこう、とても美味しく、満足感が高まるのよね)
この美味しく感じてしまう理由は、実に明快。前世で学んだ心理学によると、いつもより早く昼食を食べていることでドーパミンが分泌され、脳が興奮し、美味しさを底上げするのだ。
(そもそも朝食から時間が経ち、空腹のサインが出始める時間が今回の早弁の時間と重なっている。空腹時に食事を出来たことで、脳も満足してより美味しく感じられるのかもしれないわ)
そんなことを思いながら、食堂を出て庭園へ行くべく歩いていると、厩舎の辺りが騒がしい。
(どうしたのかしら?)
顔見知りの馬丁のピーターに声を掛けると……。
「そ、それが、午後からローゼンフェルト公爵令嬢とリック王太子殿下が外出されるので、馬と馬車の手入れをしていたのですが……。ローゼンフェルト公爵令嬢が乗る予定の馬車からきょ、巨大なクワガタが発見されたのです……!」
「えっ……」
前世の感覚だとクワガタは夏のイメージ。でもこの小説の世界はなんちゃってヨーロッパなので、クワガタがお目見えする季節は夏より初夏。六月あたりがピークだった。
(季節外れのクワガタが現れた……それは驚きだけど、それ以上に気になるのは「巨大」という点。季節外れでクワガタが現れるなら、予定より早く孵化してしまい、未成熟なイメージだがそうではないようだ。何より気になるのは……)
「馬車にいたのはクワガタですよね……?」
「はい、そうなのです! ローゼンフェルト公爵令嬢が乗る予定の馬車を燃やすつもりだったのですよ!」
ピーターは至って真面目な顔でそんなことを言い出すので、私は「馬車を燃やすつもりでクワガタを誰かが持ち込んだ、ということですか!?」と尋ねてしまう。するとピーターは「そうです!」と語り出す。
「アニエス卿は“家焼き”を知らないのですか!?」
「“家焼き”、ですか? 知りません」
「“家焼き”というのは、クワガタがあの頑丈そうな顎で炭を運び、藁ぶき屋根に落とし、家を燃やす――という伝承のことです」
声に振り返ると、目にも鮮やかなセレストブルーの宮廷衣を着たリック王太子殿下がいるではないですか。サラリと揺れる白水色の前髪。長い睫毛に高い鼻。すっきりした顎のラインに陶器のように滑らかな肌。
(今日も文武両道、容姿端麗、有言実行の三拍子揃った完璧な王太子の姿ね)
思わず見とれていると、リック王太子殿下と馬丁が会話を続けていた。
「厩舎の方が騒がしいと聞き、駆けつけたが……。まさかクワガタで大騒ぎするとは」
「で、ですが、殿下、僭越ながら発見されたのはただのクワガタではありません! 通常のクワガタより大きく、間違いなく、ローゼンフェルト公爵令嬢に呪いをかけるため、誰かが持ち込んだものかと」
「……なるほど。論より証拠だ。まずはそのクワガタを見てみようではないか」
リック王太子殿下の言葉に、馬丁と共に馬車庫へと向かうことになった。
◇◇◇
「殿下、“家焼き”の件、初めて知りました」
馬車庫へ向かい歩く道中で、私はリック王太子殿下と並んで歩きながら、“家焼き”の件について詳しく知ろうと、彼に話しかけた。
「貴族の屋敷は石造りが多いので、“家焼き”の伝承はあまり知られていません。主に信じているのは藁ぶき屋根で暮らす庶民が多いのですが……。完全に見た目の思い付きの伝承だと思います。クワガタが高温の炭を運ぶのは難しいでしょうし、ましてや炭を持って飛翔するのは……」
ファンタジーの世界なら成立しそうだが、実際、クワガタが炭を運ぶのは……リック王太子殿下が言う通り、無理だと思う。
「それにクワガタはあの色であり、雷が落ちやすいと言われるオークの木でよく見かけます。それもあり、北欧神話の雷神の使者とも言われ、クワガタを家に持ち込むと雷を招き、火事が起きると尤もらしい説明もあり……。庶民の間では子ども達に『クワガタを家に持ち込むな』『森で見かけても触れてはいけない』と教えているそうです」
そんな伝承があるクワガタ。しかも大型のクワガタが馬車で発見されたら……。
(大騒ぎしたくなる気持ちは理解できるわ)
「こちらです」
馬車庫に到着し、中に入ると、そこにはいくつもの馬車が並び、端の方には荷馬車もあり、とても広々としていた。
「これが本日、ローゼンフェルト公爵令嬢が使う予定の馬車です」
馬丁の言葉に黄金の装飾品があしらわれた立派な馬車に近づく。
「どこにクワガタが……」
リック王太子殿下と共に、馬車の窓に顔を近づけたその時――
「きゃあぁぁぁぁ!」
思わず私は悲鳴を上げていた。
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