第三話 策
郎党が駆け去るのを見送っていると、民がにわかにざわめき始めた。
「郷長様だ」
「三郎様じゃ」
「来て下さったのか」
松明の光の外から、鎧兜に身を包んだ騎馬武者たちが現れた。
先頭にいるのは、隱田三郎である。
配下を二十ほど率い、弓まで持たせている。備えとしては十分なはずだった。
「兄者、いらしていたのですか」
三郎は馬上から丁重に言った。
だが、その声には妙に熱がない。次郎はそれを気に留めつつ、すぐに言った。
「先に申しておく。馬から下りろ」
「はて」
「この屋敷には、馬を怯えさせる何かがある。落馬でもすれば、民が総崩れになる」
三郎はわずかに眉を動かしたが、素直に頷いた。
「承知しました」
馬を下りた三郎とその配下を見届けると、次郎は近くの空き地へ彼を連れ出した。
地面に屋敷の略図を描きながら、これまでに見聞きしたことを手短に伝える。
獣とも人ともつかぬ声。
竹垣は破られておらず、外から入り込んだ形跡はないこと。
戸主の証言では、天狗のように長い鼻を持つ巨体の賊が潜んでいること。
そして何より、母屋の奥からこちらを見張る視線のこと。
三郎は黙って聞いていた。
表情に驚きの色はない。
ただ、何か別の、異なることを考えているようにも見えた。
「兄者」
ひと通り聞き終えると、三郎は静かに言った。
「焼くべきです」
次郎は顔を上げた。
「……何」
「棟品の屋敷ごと、です。あれを閉じ込めたまま焼いてしまえばよい」
落ち着き払った声だ。
気の迷いで言っているようには見えぬ。だからこそ、次郎は背筋に冷たいものを覚えた。
「初手で焼き討ちだと」
「尋常の相手ではないのでしょう」
三郎の目は、屋敷を見ていた。
「本意ではありませぬ。家人が残っているなら、なおのことです。ですが、あれを外へ出せば、この保だけの問題ではなくなる」
「三郎殿。火付けに延焼ともなれば、郷内全体の騒ぎになるのは必定だ。財は失われ、民はさらに動揺する。我らの手に負えなくなるぞ」
「一番大切なのは、民の命と郷の制を保つことでしょう」
そう返す三郎の声は、どこまでも静かだった。
「このまま囲んでいても、心の弱い者から逃げ出すでしょう。一人逃げれば、次々と逃げ出す。ここで禍根を断たねば、明日には郷全体へ恐れが広がりましょう」
「素直に焼かれる手合ではなかろう。死に物狂いで打って出てくるわ。それだけで、ここの者どもは逃げ出すぞ」
「それでも、形は整います」
次郎は眉をひそめた。
「何だと」
「理解できぬ恐れが続くより、解決を示した方が人は従います」
その物言いに、次郎は弟の顔をじっと見た。
(これは……本当に三郎か)
目の前にいるのは、かつて知る弟の顔である。
だが、その意図するところは、本来あるべき筋道からすり替わっているように思えた。
三郎は続けた。
「焼き討ちについては、他の保長にも話を付けて参りました。今夜は風もない。火が広がらぬよう、人手も回させます」
次郎は目を見開いた。
(馬鹿な。皆、納得したと申すか)
だが、それを口には出さなかった。
しばしの沈黙ののち、次郎は答えた。
「誘い出そう」
「罪を許すとでも言うて庭へ誘き出し、三方から矢を浴びせる。これがよかろう」
三郎は少しだけ目を伏せた。
やがて頷く。
「……承知しました。その策で参りましょう」
(三郎に何があった?焼き討ちに、騙し討ち。最も嫌っていた策のはずだが……)
ほどなく、三郎の配下から弓に長けた者たちが集められた。
次郎は短く策を伝える。
「儂が庭へ入って賊を誘い出す。矢を射掛けるのは、儂が松明を地へ投げ捨てた時だ」
「「「おう!」」」
力強い返事が重なった。
次郎は最後に三郎を見た。
「後は頼むぞ」
「お任せを」
三郎は、静かにそう言った。




