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天狗の像 心願成就の貌(かたち)  作者: 矢子沼蜻蛉


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第二話 視線

 やがて、松明の群れが揺れる赤黒い光景が見えてきた。

 八梅棟品(やばいむねかず)の屋敷は、その灯に照らし出されていた。

 竹垣や立ち木の影が壁に揺れ、内からは重く恐ろしげな音貌(おんぼう)が絶え間なく漏れ、夜気を震わせている。


(なんたる仕儀か……)


 次郎は眉間に深い皺を刻んだ。


 民は皆、申し合わせたように身を震わせていた。

 鋤や棍棒を手にした者もいるが、それを杖代わりに辛うじて立っているにすぎぬ。多くは腰を抜かし、地にへたり込み、中には四つ這いになっている者までいた。

 後方では戸主(へぬし)たちが鞭を手に、逃亡者が出ぬよう睨みを利かせている。だが、その戸主たちでさえ震えを抑えきれていない。

 視線を地に落とす者、目を泳がせる者ばかりで、屋敷をまともに見据えている者は一人もいなかった。


(これは、些細なことでも総崩れを起こすぞ。急ぎ士気を立て直さねばならん)


 思うや否や、次郎は大音声を放った。


傍目次郎(はためじろう)である。儂が来たからには、もう安心だ」


 民は一斉に振り向いた。

 次郎も、その郎党も、いずれも完全武装の屈強な兵である。

 その姿を見るや、場の緊張がいくぶん緩み、あちこちから安堵の息が漏れた。


 次郎は、手近にいる鞭を持った男へ声をかけた。


「お主は戸主だな。今の様子を申せ」


「へ、へぇ……」


 男は恐縮しながら、これまでの成り行きを話し始めた。

 大筋は使いの報せと同じである。違ったのは、庭先で起きたことをこの男が実際に見ていたことだった。


「でっけえ獣が、腕一振りで棟品ん家の者を二人ぶっ殺しましただ。ほんで、死体を屋敷ん中へ引きずり込んで……あとは、あの唸り声で」


「獣だと?人ではないのか」


「へぇ、それが、よう分からねぇんでさ。何というべか……丸々太っとって、猪より長え牙が下から上に伸びとりましただ。鼻が天狗みてえに長えで、顔の前でぶらんぶらん揺れとりましただな。あとは頭の両脇から、蛙の水掻きを無理やり広げたようなもんが生えとりましただ」


 周囲の戸主たちが口々に割って入る。


「馬鹿、いい加減なこと言うでねぇ」

「でっけえ狼か猪の見間違えじゃろうが」

「何を言う。見たのはオラだけじゃねぇぞ」


「余計な口出しは無用」


 次郎が一喝すると、横槍を入れた者らはたちまち口を噤んだ。


「見たままのことを申せ。咎め立てはせぬ」


「へ、へぇ。死体を屋敷に引きずり込んだ、あのでっけえ手……ありゃあ狼や猪なんかじゃねぇ。だども人でもねぇですだ」


 次郎は黙って屋敷を見遣った。


(……獣ではあるまい。だが、人とも思えぬ。腕一振りで二人を殺す剛の者……棟品の家の者ではあるまい)


「よし。一巡りするぞ」


 賊であるなら、人数も配置も見ねばならぬ。

 次郎は郎党を従え、屋敷の周りをぐるりと巡った。


 竹垣の隙間からは、敷地の内がほぼ見通せた。

 納屋、井戸、そして母屋――


 その時、不意に背筋へ悪寒が走った。


 キュイィィィィィィィィィィッ


 馬が、それまで聞いたこともない悲鳴じみた嘶きを上げた。

 垂直に立ち上がらんばかりに暴れたが、辛うじて持ち直す。ここで落馬でもすれば、目も当てられぬ。


 周囲を見れば、郎党どもは目を見開いて硬直し、民は腰を浮かせて後ずさっている。

 この場で総崩れを押し止められる者など、誰ひとりいない。次郎はそう見て取った。


「歴戦の兵が何を呆けておる。隊伍を組め。整列、整列っっ!」


 鬼より怖い主の怒声で我に返ったか、郎党四人は慌てて横一列に並んだ。


 次郎は民へ向き直る。


「驚かせたようだが大事ない。持ち場を離れるな。頼むぞ」


 民の意気が上がったようには見えぬ。

 だが、後ずさりが止まっただけでも良しとすべきであった。


(……何だ)


 不穏な感覚が、先ほどよりもはっきりと全身を這い回った。


(何者だ。分かるぞ。儂を見ている)


 得体の知れぬ何かが、じわじわと肌の下を巡るようだった。


(……これでは、馬も暴れよう。民どもが腰を抜かすのも無理はない)


 皆、この視線から逃れようとしているのである。


 それでも次郎は、ゆっくりと馬を歩ませた。

 松明の灯が照らす地面には、手掛かりらしいものは何ひとつ見えぬ。竹垣も折れず、傾かず、破られた痕跡はなかった。


 ひと巡りを終え、戸主たちのもとへ戻る。


「竹垣は健在だ。獣の類ではなさそうだな」


「だっとも、あの唸り声は……」


「儂には、手のつけられなくなった狂人の叫びに聞こえるな」


 そう言って馬を降りると、次郎はしばし黙考した。


(打って出てこぬのは何故だ。この囲みは脆い。突破することは容易いはず……それでも動かぬのは、深手でも負っているのか)


 だが、仮にそうだとしても尋常の相手ではない。

 自分と郎党四人だけでは手が足りぬ。戦力の逐次投入で各個撃破されるなど御免である。


「直ぐにでも討ち入ってやりたいが、ここは三郎殿の領分。おいそれと勝手なことはできぬ。皆の衆、しばしの辛抱だ」


 そう民に大音声で告げた後、郎党の一人にそっと命じた。


傍目(はため)荘へ戻れ。兵を十人ばかり連れてこい」


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