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ドーグの神経を逆撫でする笑い声は、弱々しく俯いていたはずの令嬢から上がったものだった。ドーグが睨みつけると、エリスは肩を竦め、笑いを止めた。
「申し訳ないわ。お話の途中で遮ってしまうなんて、無作法でしたわね」
場の雰囲気に全くそぐわない、堂々としたエリスの様子に、ドーグもレイアも、彼女が恐怖のあまりおかしくなってしまったのだと思った。攫われ、囚われるなど、乳母日傘で育ったご令嬢には耐えられない状況なのだろう。ドーグにとって、魔力を絞り取るのに支障が無ければ、正気であろうがなかろうが、どうでもいい事だ。
それに、とドーグは笑みを深めた。魔力を搾り取った後の令嬢本人にはまだ、使い途がある。貴族の令嬢というものは、富裕層の平民に人気があって、高く取引される。通常なら決して手の届かない高貴な身分は、いつの時代も平民には憧れの存在なのだ。多少おかしくなっていても、高値が付くのは間違いない。
これまでに集めた獲物たちも、小綺麗な者は魔力を搾り取って、娼館に売るなどして再利用してきた。それがドーグ・バレの資金源の一つになってた。
しかも、今回捕らえたこの令嬢の従者たちは、稀に見る魔力の高さであるばかりか、見目も大変麗しかった。銀髪の執事は切れ長の瞳の、涼やかな美貌で、金髪の魔術師は、野性味の漂う美丈夫だ。若い男を侍らすのが好きな未亡人や、そっちの趣味の好事家に売れば、良い値で売れるだろう。
「なぁに、構いませんよ、お嬢様。慣れぬ環境に気分が昂っているのでしょう。長い話で疲れさせてしまいましたね。温かい飲み物でも召し上がれば、落ち着かれるでしょう」
ドーグはもうすぐ手に入るであろう大金に気をよくして、殊更優しい声音で、エリスに微笑みかけた。だが、その残忍さが滲む笑みに、人質たちは安堵するどころか恐怖を煽られた。どれほど丁寧に扱われても、先程のドーグが語った事が自分たちの未来なのだと、実感せずにはいられなかった。
「まぁ、折角のお誘いですけど……。ご辞退申し上げますわね?」
縛られたまま、エリスは音もなくふわりと立ち上がる。その細い肢体に痛々しいまでに太い縄が絡みついていたが、それが気にならない程、優雅な動きだった。
「ラース様!お止めなさい!彼を刺激してはダメよっ!」
レイアは必死にエリスを止める。今は穏やかな様子だが、ドーグの気に障るような事をすれば、酷い目に遭わされるかもしれない。
「お願いよ、ラース様。さぁ、元の場所に座って?大丈夫よ、私が側にいるわ」
エリス・ラースはレイアにとって、只のクラスメイトだ。どちらかといえば、女だからと甘やかされた、レイアの嫌いなタイプの令嬢だ。レイアが助ける義理などないが、彼女と侍従は、レイアに巻き込まれて攫われたのだ。
あの男は、法務大臣である父を脅すために、レイアを攫ったのだ。エリスとその侍従は完全なとばっちりだ。父の言いつけに逆らい、うぬぼれて軽はずみな行動を取ったせいで、エリスたちの命を危険に晒している。その事に、レイアはひどく責任を感じていた。ドーグたちが恐ろしかったが、それ以上にエリスたちを守らなくてはと、必死だった。
今は大人しく彼らに従い、助けが来るのを待つのが最善の策だ。それまでは、男たちを出来るだけ刺激せずに時間を稼ぎたい。レイアは必死でエリスに声を掛けた。彼女を、絶対に守らなくては。
「おお、お優しいですねぇ。良かったねぇ、ご令嬢。お友だちが側にいてくれるそうですよ。お喋りでも楽しんだらいい」
バカにする様な口調で、ドーグはレイアとエリスを見比べる。レイアがそっとエリスの手を取り、引き寄せるが、エリスは首を振ってレイアをやんわりと押し戻す。
レイアはその時、ほんの少し違和感を感じた。エリスの態度は、恐怖で混乱している様には、とても見えなかった。学園で接する時と同じ様に、穏やかで、控えめで。それでいて、レイアを見返す瞳は力強く、そして何だか、嬉しそうだった。
「ちっ!さっさと座れ!目障りだ!」
動かないエリスに焦れ、ドーグが手を振りかざす。頬の一つでも張り飛ばせば、他の人質と同じ様に、大人しくなるだろうと思って。
だが、その手はエリスに届く事はなかった。
「誰がエリス様に触れていいと言った」
ユラリと立ち上がったハルが、ドーグの前に立ちはだかる。冷たい美貌が怒りで染まっている。
「お前の様な薄汚いゴミが、触れていい御方ではない」
エリフィスも同じく立ち上がる。エリスとレイアを背後に庇い、翠の瞳がドーグを睨みつけた。
「ゴミ、だと?」
ドーグの顔が醜く歪む。自分より背の高いハルとエリフィスに冷酷に見下ろされ、屈辱を感じた。
縛られたままの情けない姿で、こいつらは自分の立場が分かっていないのだ。魔力縄にドーグが魔力を流せば、あっという間にこいつらの命は刈り取られるというのに。たかが執事と、護衛まがいの魔術師が、ドーグに勝てる筈がないのに。それなのに姫を守る騎士気取りで、ドーグをクズ呼ばわりするなど、なんと身の程知らずなのか。
「身動きも取れないくせに、よくもそんな事が言えたものだな」
ドーグは唇を歪めて、醜悪な表情を浮かべた。ドーグとは対照的な、二人の美貌の男。ああ、何と腹立たしい。絶対に簡単には殺してやるものか。こいつらの一番苦しむ事をしてやらねば。
その時ドーグの目に、エリスの姿が留まる。こんな荒事には似合わない、高貴な令嬢。大事に大事に守られた、こいつらの宝物だ。
ドーグはエリスを縛る縄に魔力を篭めた。ギリリと軋む音がするほど、縄はエリスの身体を巻き締める。
「お前たちの大事なお嬢様を、目の前で嬲り殺しにしてやろうか?」
優秀な執事と魔術師は、エリスを絞め殺さんばかりに喰いこむ魔力縄に、すぐに気付いた。
ごそっと、ハルの顔から表情が抜け落ちる。
ハルの頭の中で瞬時に百通り以上の拷問方法が浮かぶ。
どれにするか全部試すか回復しながらなら全部出来るかどれからやるかそうだ野良魔術師用に開発した魔術陣があったな原子レベルで分解して再生してみるか。
エリフィスも同じように表情をそぎ落とす。
こちらは百通りには到底届かなかったが、一つ一つが洗練された非常にエグい拷問方法を二十程思いついていた。
どれも試してすべてデータに残して今後の役に立ててやろう途中で死なない様に痛みは残したまま回復させてやろうこんなゴミでも国の役に立てるのだゴミにしては光栄だろう。
二人とも怒りで暴発しそうな魔力を抑えながら、頭だけはクリアに、すぐにドーグを八つ裂きにしようと動きかけた。
「ハル、エリフィス」
涼やかなエリスの声が、二人の耳朶を撃つ。反射的に、グリンと音を立てそうなほどの勢いで、二人は振り返った。
エリスはギリギリと巻き締められているのに、聞き分けのない子どもに言い聞かすように、優しく囁いた。
「今はわたくしが、この方と話しているのよ?」
甘やかな叱責に、ハルとエリフィスの物騒な思考はリセットされる。二人揃って頬をだらしなく緩め、一礼して一歩下がった。
「ふふふ。ごめんなさいね。この子たちは、わたくしの事になると、我慢がきかなくて」
ドーグはエリスのこの態度に、チリリと刺すような違和感を感じた。これほどの力で巻き締めているというのに、エリスはちっとも苦しそうではなかった。息をするのも苦しい筈なのに。
それだけではない。彼はこれまで、何人ものおかしくなった獲物を見てきた。極限まで追い詰められた結果、壁に頭をぶつける者もいた。服を脱いで暴れたり、狂った様な奇声を上げた者も。この令嬢以上に乱れ、醜態を晒した者たちを。
だが、この令嬢はおかしくなった獲物たちと、どこか違う。今までに狂っていった獲物と、何かが、決定的に。
一体、何が。
「嬉しいわ。その魔道具をそんなに褒めていただいて」
エリスは優雅に首を傾げた。サラリと栗色の髪が流れる。
「でも気に入らないわ。わたくしの作ったものが、わたくしの知らない所で、誰かの未来を奪ったり、傷つけたり、命を奪ったりしているなんて」
ああ、そうか。この女からは、感じられないのだ。
これまでの獲物たちは、ドーグに圧倒的な優越感と、支配感をもたらせてくれた。
彼らは皆、閉ざされた未来に絶望し、屈辱に塗れ。そして。
圧倒的な恐怖で、ドーグに従順な下僕に成り下がっていたというのに。
「だって、そうでしょう?」
無邪気に笑って、それでも瞳は冷えたまま、エリスは囁く。
「誰かを害するのも、傷つけるのも、殺すのも。わたくしがそう認めた時でないと、許せないもの」
この女からは、絶望も屈辱も恐怖も感じられないのだ。
ぞわりと背筋が冷えたが、ドーグは首を振って、その違和感をかなぐり捨てた。こんな馬鹿な予感など、当てになどなるものか。
目の前にいるのは、無力な小娘だ。ドーグが負ける可能性など、万に一つもない。
それが決定的な間違いである事を、不幸にもその時のドーグは気付いていなかった。
「だから返してくださるわね?この魔力縄も魔力を測る眼鏡も。元はわたくしの作ったものですもの」
「お前が、作った、だと?」
ドーグ・バレがここまで大きな組織となったのは、全てこの魔力縄と眼鏡のお陰だ。ドーグの意のままに動き、相手の魔力を封じて簡単に無力化できる魔力縄は、魔力量が多いドーグにはうってつけの魔道具だ。仮令一軍相手だろうと、ドーグの力なら、全員を縛り上げ、絶命させることが出来る。眼鏡を使えば、魔力の多い者を攫うのに役立ち、戦いにおいても相手の魔力量や弱点を知ることが出来る。実際、この魔道具を手に入れてからのドーグは、どんな相手にも負け知らずだった。
魔道具を手に入れたのは偶然だった。ドーグがまだドーグ・バレの下っ端として働いていた時に、偶に組んでいた魔術師が手に入れたものだった。その魔術師は悪事がバレて騎士団に捕まり処刑されたが、奴が捕まる前に、魔道具の一部はドーグの手に渡っていた。これが恐ろしく役に立つ魔道具だったのだ。
もう10年以上も前の話だ。その頃、この令嬢は、まだ、ほんの子どもだろう。子どもがこれほど素晴らしい魔道具を作れるはずがない。
再び、ドーグはちりりと違和感を感じた。
あの時、あの魔術師は魔道具をどこでに手に入れたと言っていた?
奴は確か、こう言っていた。どこぞの貴族家から手に入れたと。
いや、正確には、貴族家のガキのオモチャを騙し取ってやったのだと、笑っていたのだ。それが、とてつもなく価値のある魔道具だったと、喜んでいたのだ。
10年前。ガキからだまし取ったおもちゃ。貴族家の、ガキ。
嫌な予感が、ドーグの中に降り積もっていく。それを無視することが難しいぐらい。
ぞわぞわと高まる違和感の中、ドーグは必死に、目の前の令嬢と対峙していた。
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