17
「……恥ずかしいのだけど。幼い頃のわたくしは、今ほど魔力の扱いに慣れていませんでしたの。他の人の魔力も、上手く測れなくて」
ほうっと恥ずかし気にため息をつくエリス。
その色気を含んだ吐息に、悶える執事と見惚れる魔術師がいたが、誰も気に留めなかった。
「だから、自分の手足になるように、魔力を可視化できるようにと、その魔力縄と眼鏡を作ったのよ」
ふふふ、とエリスは小首を傾げる。
「いわば、子どもの補助具みたいな魔道具なのだけど……。そんなに大袈裟に褒め称えていただけると、なんだか恥ずかしいわね」
言葉の端々に嘲りを感じ、ドーグは怒りで頭が熱くなった。
先ほどから感じていた違和感など吹き飛ぶほどの怒りだった。己の強さの源であり、組織の中でドーグの地位をのし上げた、この素晴らしい魔道具を、子どもの補助具などと侮辱され、ドーグ自身が侮られたようで、許せるはずもなかった。
「っこの、小娘が、出鱈目を並べやがって!何が子どもの補助具だ!これは素晴らしい魔道具なんだ!その証拠に、偉そうな口を利きながら、お前は魔力を縛られて為す術もないじゃないか!そんな状態で、よくも、よくもこの俺を馬鹿にしてくれたな!」
怒りで口から唾を飛ばしながら、ドーグは顔を歪めた。
「決めたぞ!お前ら全員、魔力を搾り取った後、切り刻んで殺してやる!」
ドーグの狂人の様な怒鳴り声に、人質たちから声にならない悲鳴が上がる。レイアも恐怖のあまり、身体が震えるのを止められなかった。
売って金にしてやろうかと思ったが、そんな甘いことで許してやるものか。ここにいる全員を思いつく限りの残虐な方法で殺してやろうと、ドーグは心に決めた。この人質たちの真ん中に小娘を放置して、その憎悪を小娘に向けさせるのもいい。わざと他の人質からじわじわと殺して、小娘に人質たちの恨みを向けさせよう。小娘のせいで殺される事に怒り狂った人質たちから、死んだ方がマシな目に遭わされるがいいのだ。
魔力縄に込める魔力をジワジワと増やしながら、ドーグは愉悦の表情を浮かべた。まずは小娘の身体中の骨を折ってやろう。身動きもできないまま、他の人質たちに嬲られればいい。死にたいと泣いて懇願するまで、苦痛を味わわせてやろう。
だがそんなドーグの目論みは、呆気なく、潰えてしまう。
容赦なく締め上げても、エリスはケロリとした顔をしている。相変わらずギリギリと魔力縄はエリスの身体を音を立てて巻き締めているのに。それになぜか、ドーグの魔力が、いつもの様に魔力縄に伝わらない。押し返されるような感触までする。
「な、何故だ。何故そんな、平気な顔をしている。苦しいだろう?まともに呼吸だって出来ない筈だ!」
「まぁ。ほほほ」
懸命に魔力を押し流そうとするドーグに、エリスは軽やかな声で笑った。
「殿方にはご理解していただくのは難しいと思いますけど。淑女ならば、これぐらいの締め付けは、淑女の秘密で慣れておりましてよ」
その言葉と同時に、エリスの身体に巻き付いていた魔力縄は、力を失った様にパラリと地面に落ちた。
その背後に控えるハルとエリフィスを縛っていた魔力縄に至っては、炎に包まれて、跡形もなく燃え尽きた。
「なっ?」
ドーグは目の前の光景が信じられなかった。何時だって自分の意のままに動く魔力縄が、あっさりと無力化された。ジラーズ王国の魔術師団長だって簡単に亡き者にした魔力縄が。こんな事、ドーグが魔力縄を手に入れてから、一度だって無かった。
「やっぱり、昔作った魔術陣は欠陥だらけだわ。ちょっと魔力を押し返しただけで無力化するなんて。こんな物が残っていたなんて、恥ずかしいわ」
子どもの頃の拙い作品を他人の目に晒していた様で、エリスは恥ずかしそうに頬を染める。
「エリス様の作られた魔術陣に欠陥などございません!5歳という幼さでこの完成度……!何と美しいのでしょうか。魔術陣が耐えきれなかったのは、この男の魔力の質が良くなかったせいでしょう」
エリフィスが身体を解しながら、不快そうに吐き捨てる。魔力縄に縛られている間、ドーグの魔力が身体じゅうに纏わりつき、毒虫が身体中に這っているような気分になった。折角の美しい魔術陣を、おぞましい魔力に染めやがってと、殺意すら湧いていた。
「その点、現在ラース家の懲罰房で使用している魔力縄のなんと素晴らしいことか!魔術陣の美しさは言うまでもなく、エリス様の煌めく魔力がふんだんに籠められ、縛られる度にエリス様の魔力に全身が包まれて、至福の極みです。ああ、永遠に縛られていたいっ!」
己の身体を抱き締めて激しく身悶えるハルに、エリスは冷たく呟く。
「発言が気持ち悪いわ、ハル」
「これは失礼致しました。つい欲望が理性を振り切ってしまいました」
エリスの冷たい言葉に悦びを感じながらも、ハルはシュッと姿勢を正して無表情に戻る。それを水場に生えたカビを見るような目で、エリフィスが眺めている。
「いつもの事だから、気にしていないわ」
でも今は取り込み中だから控えてね、と優しく言われ、ハルは頬を染めてコクコクと頷く。
「まあでも、使えないことはないわね」
ドーグの魔力で染まっていたはずの魔力縄は、あっという間にエリスの圧倒的な魔力に書き換えられる。ついでに綻びかけていた魔術陣を構成し直し、より複雑な形に練り上げた。
他の人質たちを縛っていた魔力縄も、同様に書き換えられた。ドーグの魔力が排除され、エリスの支配下に置かれた魔力縄は、人質たちの身体から滑り落ち、一斉にドーグに向かって襲い掛かった。
「うわぇ、ぐえぇ」
ぎりぎりとドーグの身体に魔力縄が巻き付き、締め上げる。顔にまで巻きついて、かろうじて目と鼻の部分のみを残して、あっという間に簀巻きにされてしまった。骨が軋むほど締め上げられ、肺から空気が無理矢理押し出される。
「加減が難しいわねぇ……」
色々と試していたエリスがつまらなそうに呟いた途端、縄は限界を超え、塵になって崩れ去った。新しい魔術陣をギラギラした目で見ていたエリフィスから「あああっ!」と悲痛な声が上がる。エリスも壊そうとは思ってはいなかったのだが、長年質の悪い魔力に染まっていたせいか、素材自体が保たなかったのだ。
突然、締め上げから解消され、ドーグは激しく咳き込みながらその場に膝を突いた。だが、安堵する間もなく。
「ぎぃっ」
ドーグの身体は、目には見えないが魔力の塊そのものに、身体を四方八方から押し潰された。息も出来ぬ程の圧に、悲鳴すら短く途切れた。
「やっぱり、子どもの補助具を使うより、直接魔力を操った方がいいわね!」
楽し気にエリスは魔力を操る。そもそも、エリスの言った通り、魔力縄も眼鏡も、幼い頃のエリスが魔力の扱いに慣れておらず、それを補助するために作った補助具なのだ。今では補助具なしで意のままに魔力を操れる。
興が乗ったエリスは、教師の様な澄ました顔で、ドーグに語り掛ける。
「先ほど力任せにわたくしを締め上げていらっしゃったけど。ご存じないようなので、教えて差し上げるわね?淑女の秘密をより細く絞るコツは、呼吸ですわ。まずは浅く呼吸をして」
エリスが優しくドーグを促す。呼吸が儘ならぬ程締め上げられていたドーグは、ほんの少しだけ締め付けが緩んだ隙に、浅く呼吸を繰り返す。エリスの言葉に従った訳ではない。深く呼吸できるほど、圧迫が緩んでいないのだ。
「……そして一気に締め上げる!」
一瞬で先ほどよりも倍以上の負荷が掛かり、ドーグは限界を迎えた。白目を剥いて泡を吐き、意識を刈り取られる。
「こうして細く美しいウエストラインが作られますのよ」
エリスの言葉に、美を保つ淑女の努力は尊いものだとハルは感動し、こんな知識を男が知って何か役立つだろうかと、エリフィスは割と真面目に考えた。
やがてドーグの身体から、およそ人体から発せられてはいけない音が聞こえ始めた頃、ハルがふと思い出したように口を開く。
「ああ、そういえばエリス様。陛下が犯人は生きて捕らえるようにと、仰せではございませんでしたか?」
ハルに言われて、エリスはその事をようやく思い出した。確かに、国王へ捕縛の許可を貰った際、そんな事を言われていた。
「あら、そう言えばそうだったわね。すっかり忘れていたわ」
エリスはドーグに流していた魔力を止め、様子を窺った。
「よかったわ。ギリギリ生きているわ。ハル、回復させておいてね」
「そのままでよろしいのでは?」
回復する価値などないだろうと、ハルは怪訝な顔をするが、エリスは首を振る。
「ダメよ。生きていてもらわないと、陛下がお怒りになるでしょう?」
面倒でも王命だ。逆らうのは得策ではない。
「運んでいるうちに息が絶えたら困るもの。ね、ハル?」
「では、痛みは消えないように、死なない程度でよろしいでしょう」
エリスを侮辱された事を根に持つハルは、生命活動の維持に最低限必要な程度の回復魔術をドーグに掛けた。淡い光に包まれ、今にも息が絶えそうだったドーグの呼吸が安定する。
その時、バタバタと複数の足音が聞こえた。ドカンと何かを打ち破るような音と共に、剣戟と怒鳴り声が聞こえる。
「あら。騎士団が到着したようね」
「おっと、急ぎませんと」
色々な液体を色々な場所から出したドーグに、ちょっと嫌そうな顔をしながら、エリフィスはドーグを魔力で乱暴に浮かせた。眩い光に包まれたと思ったら、ドーグの姿はふっつりと消える。
「レイア様。お手をどうぞ」
エリスが笑顔で人質たちの元に近付いてきて、手を差し出す。事態が飲み込めぬまま、レイアは反射的にエリスの差し出した手に縋りついた。情報が多すぎて頭が付いていかない。だが、圧倒的な恐怖の対象であったドーグをあっさりと排除したエリスに、本能的に逆らってはいけないと思ったのだ。
夢を見ているような気持ちで握った手は、華奢で温かかった。それが、目の前で起こった出来事が現実のものであると物語っていた。
エリスのその行動に、ハルとエリフィスは嫉妬の混じった厳しい目をレイアに向けた。そんな視線に気づく余裕は、レイアにはなかった。
「他の皆様はこちらでお待ちくださいね。ああ、わたくしたちの事は、お忘れになるとよろしいわ」
ふっと妖艶な笑みを浮かべたエリスから、複数の魔術陣が飛び出し、人質たちを覆う。それに触れた途端、人質たちは夢を見ているような芒洋とした顔つきになり、全員が静かに崩れ落ちた。記憶が混濁する魔術を掛けられたのだ。
「レイア様。わたくしがいいと言うまで、目を閉じていてくださいな」
しっかりと手を握られたまま、エリスにそう言われ、レイアはキツく目を閉じた。エリスの言葉に疑問を持つことも、逆らうことも、しようと思わなかった。
目を瞑っていても瞼を通して感じられるぐらい、暴力的な光の洪水を浴びた瞬間。
レイアの身体は浮遊する様な感覚に襲われ、何もわからなくなった。
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