第二十話
一個の赤い果実が、月明かりの下で怪しく揺れていた。
胸の奥で何かが静かに脈打ち、どうしても目を逸らすことができない。
(……あれを、知っている?)
そう思った瞬間、神代くんの声が夜の静寂を切り裂いた。
「……百合。また君は、同じ過ちを犯すのか?」
神代くんの目には、感情というものが一切存在しなかった。あの優しかった彼が嘘のように冷酷な眼差しで私たちを見ていた。
「運命は変えられないんだ、百合。君たちは幾億年の昔から、絶対に結ばれない定めなんだよ。そいつは君の影で泣き続けることしかできない存在なんだ」
神代くんが手を掲げると、頭の中に直接、冷たい記憶の奔流が流れ込んできた。
幾千年の時を超え、引き裂かれ、結ばれずに終わっていった無数の「私と彼」の姿。
まるであの絵本のように。
「見たかい? 今までの歴史のどこを探しても、君たちが結ばれた結末なんて一度だって存在しない。そいつはいつだって君の幸せを遠くから祈ることしかできないんだ」
神代くんの言葉に、隣に立つ月島くんの身体が痛絶な悲しみに揺れた。
遠い昔からの記憶をすべて抱えたまま、どれほど世界が塗り替わっても、一途に私を愛し続けてくれていたのだ。
「……神代の言う通りなんだ、百合」
月島くんが掠れた声で悲しそうに笑った。
その瞳には、幾千年もの悲恋を背負ってきた絶望と、それでも消えることのない愛おしさが混ざり合っている。
私は、溢れ出る涙を拭いもせず、冷たい風の中に立つ月島くんの頬に、そっと両手を伸ばした。
(あぁ……そうだったんだね)
夢の中で。
あの温室で。
時間を止めながら、君はいつも私を思い続けていてくれたんだ、ずっと。
「……ずっと、悲しい想いをさせてごめんね」
私は赤く熟した果実をひとつ、迷わず摘み取った。
「え……?」
驚きに目を見開く月島くん。
私は神代くんの制止も、月島くんの引き止める手も擦り抜け、吸い寄せられるように果実を口へと運んだ。
「百合、やめろ……! それを食べたら……っ!」
神代くんの無機質だった声に、初めて「恐怖」の混ざった破調が走る。
私は躊躇なくその真っ赤な果肉にかぶりついた。口内に広がる、甘く、痺れるような鉄の味と蜜の毒。
その瞬間、世界が裏返った。
足元の現実が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
「百合……っ!」
神代くんの叫びが、遠ざかっていく。
消えゆく世界の中で月島くんの手を強く握りしめた。
「行こう、月島くん」
涙で滲む視界の中、私は笑った。
現実の音も。
光も。
過去も、未来も。
すべてが白い記憶の彼方へと遠ざかっていく。
引きちぎられた空間の先。
闇の向こうに見えたのは――
私たちの楽園だった。




