第十一話
あの日から、数日が過ぎた。
月島くんは、教室でも私と一切目を合わせなくなった。朝、挨拶をしても聞こえなかったふりをして通り過ぎる。目が合いそうになると、すぐに視線を逸らしてしまう。
あの日のことを気にしているのか。私のことが嫌いになったのか…。私には、何も分からなかった。
それでも——。
放課後になると、私は二人でよく過ごした温室へと向かっていた。
(………ちゃんと話したいよ、月島くん)
夕暮れの光が差し込む温室。
その奥から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
私は温室の外から中を伺った。
「この辺りは、もう少し土を柔らかくしたほうがいいかもしれないね」
「やっぱり? じゃあ、明日少し入れ替えてみようかな」
その声に、胸が跳ねる。
(……月島くん……!)
思わず顔を上げた。
けれど――。
そこにいたのは、月島くんだけじゃなかった。そこにいたのは、以前一緒に作業をしていた園芸部の女の子だった。緑色のエプロンを身につけた彼女が、月島くんの隣に立っていた。
「この花のほうは、どうしたらいいかな?」
「そっちは日当たりを少し調整したほうがいいと思う。最近、葉の色が変わってきてるから」
「なるほど……月島くんって、本当に詳しいね」
「そうでもないよ」
月島くんが、ふっと笑った。
その笑顔を見た瞬間。
胸の奥が、ズキッと痛んだ。
(……なんで?)
私には、あんなに冷たいのに。
私とは目も合わせてくれないのに。
どうして――。
「月島くん、これ持って」
「うん」
彼女から渡された鉢を、月島くんが受け取る。
その仕草は、ごく自然だった。
二人は何でもないように話している。
ただ、それだけ。
それなのに。
胸の奥に、黒い何かがゆっくりと広がっていく。
(……嫌だ)
どうして、こんなに嫌なんだろう。
(私のことは無視するのに……)
目の前が、少しずつ滲んでいく。
(どうして、あの子とは普通に話せるの……?)
唇を噛みしめる。
涙がこぼれそうになるのを、必死に堪えた。
その時。
「……百合?」
月島くんが、私に気づいて温室の外に出てきてくれた。
「あ……」
目が合った。
ほんの一瞬だけ。
月島くんは気まずそうにすぐに目をそらした。
「……百合なにか用?」
久しぶりに呼ばれた名前。
それだけで、胸が締めつけられた。
「月島、くん……」
声が震える。
堪えていた涙が、ぽろりと頬を伝った。
「……っ」
「百合……?」
「ごめん……」
私は慌てて涙を拭った。
「ごめんね。邪魔しちゃったよね……」
「違う、そうじゃ――」
月島くんが何か言いかける。
けれど、その言葉を聞くのが怖くなってしまった。
「……私、帰るね」
「百合!」
呼び止める声が背中に届く。
それでも、振り返ることができなかった。
◇
校舎へ戻る廊下を、私は一人で歩いていた。
涙が止まらない。
(どうして……)
あの日までは、あんなに優しかったのに。
毎日、私の名前を呼んでくれて。
笑いかけてくれて。
ずっと一緒にいたいと言ってくれた。
それなのに。
今は、私を見ることさえ嫌そうにする。
なのに――。
(……あの子とは、普通に話すんだ)
胸の奥に、また黒い感情が湧き上がる。
あの子が悪いわけじゃない。
そんなこと、分かっている。
分かっているのに。
(……嫌だ)
月島くんが、私以外の女の子と話しているのが。私以外の誰かに笑いかけているのが。
どうしようもなく、嫌だった。
そして、その感情の奥に。
ほんの少しだけ――。
私は胸元のルビーのネックレスを強く握りしめた。指先に、ほんのりとした熱を感じる。
「……月島くん……」
誰もいない廊下に、震える声が落ちた。
「私のこと……もう好きじゃないの……?」
返事はない。
ただ、夕暮れの校舎に長い影だけが伸びていた。
◆
枝に揺れる果実が、静かに赤く染まっていく。赤は、ゆっくりと果実の隅々まで広がった。
まるで、ずっと待っていたものが、ようやく訪れたかのように。




