第十話
「……そろそろ壊そうよ。もう限界だろ?」
夕闇の温室で、神代は感情の欠片もない声で告げた。
「ループはもう崩壊しかけている。百合の記憶の修正も効かない。これ以上この偽りの世界を維持したところで、君が得られるものなんて何もない」
神代の冷ややかな視線が、背を向ける僕に突き刺さる。
「世界を元に戻せば、百合は本来の時間の流れに返る。君の手から離れて、また誰かと出会い、誰かと結ばれる……ただそれだけのことだ」
「……」
落ちた沈黙の中、月島の瞳から光が消えていく。やがて、絞り出すような声が静寂を割った。
「……僕以外の誰かと結ばれる? 百合が……他の誰かのものになる……? そんな世界に行くくらいなら……」
僕の口から漏れたのは、掠れた、けれど断固とした拒絶だった。血が滲むほど拳を強く握りしめた。
「百合が僕のものにならないとしてもいい。僕を嫌ってもいい。……でも、他の誰かに渡すくらいなら、僕は絶対にこの世界を壊さない。このまま、ずっと百合を閉じ込めておく」
神代は呆れも怒りも見せず、ただ底冷えするような瞳で僕を見下ろした。
「……どこまでも呆れたヤツ」
影を残して神代は姿を消した。僕は一人、暗闇に沈む温室に佇んでいた。
◇
静まり返った温室の奥で、一本の木がかすかに揺れていた。枝に実った果実がまたひとつ、ゆっくりと赤く染まっていく。
まるで、何かを待ちわびるように。
◇
翌朝。私は重い足取りで校門を潜った。
昨日の恐怖が消えたわけじゃない。首筋に残った確かな現実。それでも、胸元のネックレスを固く握りしめながら、私は教室のドアを開けた。
(ちゃんと……話さなきゃ。月島くんがどうしてあんなことをしたのか、それと昨日来たのにごめんねって言わなきゃ)
教室に入ると、窓際の席に月島くんが座っていた。私がドアを開けた音に、彼は一瞬だけ肩を跳ねさせ、こちらを見た。
「……っ」
目が合った、ほんの一秒。
月島くんはサッと視線を外すと、まるで私など存在しないかのように、素早く立ち上がって教室を出て行ってしまった。
「あ……」
すれ違いざまに感じた、冷たくて遠い空気。
「おはよう」のひとことも、私を引き留める手もない。
(……私……嫌われちゃったのかな……)
昨日はあんなに恐ろしかったはずなのに。
いざ目の前で露骨に避けられ、存在を否定されると、胸の奥が張り裂けそうに痛んだ。
彼に拒絶されたと思い込み、深い孤独に沈んでいく私。壊れかけた世界の中で、二人の距離は、昨日よりもずっと遠く離れてしまっていた。




