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タイトル未定2026/06/17 06:07

 午前の診療時間が終わり、実家で昼ご飯を終えたマスターは、特定健診の書類を受け取りに、市役所の健康福祉課に出かけた。

 書類を受け取り歩いていると、背後から声をかけられた。

「……麻生さん」

 振り向くとそこには、ショートボブの背が低い小柄な、女性職員が立っていた。

「朝倉です」

 女性職員が着ていた名札に「朝倉しのぶ」と書かれていた。

 朝倉しのぶは、以前マスターがお見合いをした相手だった。

 マスターの父親の娘とあり、マスターはしのぶのことを覚えていた。

「お久しぶりです」

 マスターが言うと、しのぶも笑顔で答えた。

「最近父が、麻生さんのお宅に行ったらしいんですけど、また変なことを言い出したりしませんでしたか?」

「そんなことありませんよ」

 マスターの優しい言葉に、しのぶはほっと安堵の息をついた。

 周りの職員から、興味深げな視線を向けられていたのを感じたしのぶは、慌てて言った。

「あの……今夜お時間ありますか?」

「えっ、あぁ……」

 マスターは今夜、しのぶと食事をする約束をしていた。

 

 午後の診療時間が終わり、側にいた看護師長の紫野緑にマスターは言った。

「用があるので、早めに上がります。後、宜しくお願いします」

「わかりました」

 椅子から立ち上がったマスターは、診察室から出て行った。

 診察室を出ると、院長と院長の診察室で仕事をする看護師の久保由美と鉢合わせをした。

「お疲れ様です」

 そう言って、マスターはやり過ごそうとしたが、院長がマスターに声をかけた。

「もう、上がるのか。早いな」

 由美がいなければ、無視をして行ってしまうが、由美が側にいた為マスターは仕方なく立ち止まった。

「用事ができたので」

「用事?なんの用事だ」

 ……うるさいな。

 思わず、そう言いそうになったが、堪えてマスターは答えた。

「朝倉さんに、会うんです」

「朝倉?朝倉が、お前になんで会うんだ?」

「娘さんに、会うんです」

「しのぶさんと会うのか。しのぶさんと、付き合っているのか?」

 突拍子もない院長の言葉に、マスターは呆れながら答えた。

「昼間市役所に行ったらしのぶさんに会って、相談事があると言われました。時間がないので、行ってきます」

 適当に言ったマスターは、足早にその場を離れた。

 マスターと院長の側で、由美はしっかり聞いていた。

 ……市役所に務める、あさくらしのぶさん。

 先生には、るかちゃんって彼女がいるのに、彼女以外の女性と会うんだ!

 由美は、楽しくなっていた。


 しのぶが指定した店は、カレー専門店だった。

 マスターが店に入ると、しのぶは既にテーブル席に座っていた。

 マスターに気が付いたしのぶは、手を挙げた。

 マスターは、しのぶが座っているテーブル席に行き、しのぶと向き合って座った。

「突然誘って、ごめんなさい。麻生さんに会ったら、話をしたくなって。職場では、ゆっくり話すことができないから」

 マスターは何も答えず、テーブル席にあったメニュー表を手にして眺めた。

 カレー専門店とあり、いろんなカレーの写真が載っていた。

「いろんなカレーがありますね。カレー、好きなんですか?」

「はい。大好きです」

 嬉しそうに言うしのぶが、マスターには可愛く見えた。

 マスターとしのぶはメニュー表を眺め、野菜がたくさん入ったカレーをオーダーした。

 店のスタッフがいなくなると、しのぶが切り出した。

「父が言っていたわ。麻生さん、随分逞しい身体つきになったって」

「医者のくせに、自分の身体のことを何も考えずに過ごしてきたから、考えを改めたんです」

「ストイックなんですね」

「ストイック?そんなことを言われたのは、初めてです」

「私は、駄目だな。こうなりたいとか、そう言うの何もないもの。毎日、ぼんやり過ごしている」

「皆、そんな感じじゃないですか。毎日目標を立てて生きている人間なんて、ほんの一握りですよ」

「そうかな」

「ボクだって、ただなんとなく生きています。誰にも迷惑をかけずに、生きているだけで、良いんじゃないんですか?」

 しのぶは、笑いながら言った。

「なんだか哲学的な会話に、なっちゃった。でも、少し軽くなった」

 オーダーしたカレーが、運ばれてきた。

 カレーは、大ぶりのピーマン、ナス、レンコン、オクラがライスの上に乗っていた。

 野菜は薄く衣が付いていて、揚げた野菜だった。

 マスターとしのぶは、静かにカレーを食べ出した。

 カレーを食べた後、マスターとしのぶは店を出て、夜の繁華街を歩いた。

 マスターはいつものように、自転車を引きながら、しのぶの隣を歩いた。

 しのぶが、マスターに聞いてきた。

「大門君は、元気ですか?」

「元気です。小学四年生です」

「四年生!初めて会った時は、一年生だったのに。四年生に、なったんだ」

「しっかりしすぎて、いつも大門に叱られています」

「そうなんですか!」

 しのぶはお見合いの席で、初めて小学一年生の大門に出会った。

 大門はマスターに隠れて、持ってきたスケッチブックに、ずっと自分の名前とマスターの名前を書いていた。

 大門の第一印象は、おとなしくて少しおどおどした男の子だった。

 それまで抱いていた大門の印象が、崩れていく感じだった。

 歩きながらしのぶは、自転車を引きながら隣を歩くマスターをそっと見上げた。

 背が高くて、やさしい横顔のマスターが、大門と二人で暮らしている。

 そこに、自分がいたら……。

 思わず、そんな妄想を描いてしまう。

 今は、しのぶの隣にマスターが歩いている。

 ……いつもはきっと、私の知らない誰かが隣を歩いているんだわ。

 横断歩道の信号機が赤になり、立ち止まる。

「麻生さん……彼女いますか?」

 マスターは、少しだけ夜空を見上げた。

 明るい繁華街の夜空は、星が見えない。

「はい……います」

「そうですよね。麻生さんの彼女なら、きっと素敵な方ですよね」

 マスターは、小さく笑った。

「放っておけなくて、側にいたい。そう思えるような女性です」

 マスターの言葉にしのぶの胸が、少しだけ痛んだ。


 しのぶが利用をする、駅が見えてきた。

「麻生さん、今夜は付き合ってくれてありがとうございました」

 しのぶは、深く頭を下げた。

「朝倉さん、気をつけて帰ってください」

「はい」

 マスターは自転車に乗ると、ペダルをこぎ出した。

 小さくなっていくマスターを見つめていたしのぶは、また会いたい気持ちでいっぱいになっていた。


 マスターがマンションに着いた時は、十時を過ぎていた。

 自転車をマンションの駐輪場に入れ、自分が住む部屋を見上げた。

 遅くなるから先に寝ているようにと、大門には電話で伝えていたのに部屋には明かりがついていた。

 ……大門、まだ起きているのかな。

 そう思いながら部屋まで歩き、玄関の鍵穴に鍵を入れドアを開けた。

「ただいま」

「お帰りなさい」

 リビングから、笑顔の流花が駆け寄ってきた。

 マスターは、思わず立ち尽くしていた。

「お帰りなさい……七海、ぼ〜っとしてどうしたの?」

 目の前には、パジャマ姿の大門が立っていた。

 しばらく立ち尽くしていたマスターは我に返り、スニーカーを脱いだ。

 大門と一緒にリビングに入り、マスターは大門に言った。

「大門、まだ起きていたんですね」

「うん。七海が帰ってくるの待っていたんだ」

「もう、遅いから寝てください」

「は〜い。おやすみなさい」

「おやすみ」

 大門はリビングから、出て行った。

 一人になったマスターは、カーテンを少しだけ開けて、窓から見える夜空を見上げた。

 夜空には星が見えて、目の前にいない流花を想っていた。

 ……流花。もう、寝たかな?おやすみ。

 夜空を見上げながらマスターは、胸の中でそっとつぶやき、カーテンを静かに閉めた。

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