静かな夜
千秋楽のすべての取組が終わり、夜には栄誉を称える盛大なパーティーが催された。
会場に響き渡る万雷の拍手、駆け寄る親方や後援会の人々の笑顔、そして両手で抱え上げた二度目の幕内優勝杯の重み。華やかな熱狂の時間はあっという間に過ぎ去り、宴は無事に幕を閉じた。
夜深く、宿舎の自室に戻った轟は、一人布団の上に横たわっていた。
長かった十五日間の疲労は、間違いなく体に蓄積している。重く沈み込むような全身の倦怠感がそれを物語っていた。しかし、どれだけ目を閉じても、意識は冴え渡る一方だった。
(次の場所で勝てば……横綱だ)
胸の奥で、熱く大きな塊がうごめいていた。
大関として挑んだ三月場所を制し、ついに最高峰の地位である「横綱」への王手をかけた。連続優勝を果たせば、文句なしの昇進。相撲乗りとして、幼い頃から夢見てきた圧倒的な頂点が、目と鼻の先まで迫っている。
その事実がもたらす興奮と、背中にのしかかるかつてない重圧。高鳴る鼓動はどうにも収まりそうになかった。
轟は静かに布団から抜け出すと、ジャージを羽織って部屋を抜け出た。春の冷たい夜風が火照った頬を撫でる。あてもなく歩き、徒歩数分ほどの場所にある24時間営業のコンビニへ向かった。
千秋楽パーティーの酒はすっかり抜けていたが、今夜ばかりはもう一杯だけ、頭を鎮める酒が欲しかった。缶ビールと缶チューハイを手に取り、会計を済ませて店を出る。
外のベンチに腰かけ、缶ビールのプルタブを引いた。プシュッという澄んだ音が静かな夜に響く。一口煽ると、冷たい苦味が喉を通り、火照った身体に染み渡っていった。
ふと、コンビニの脇にある街灯の影に、見覚えのある背中が立っているのに気づく。
「……御剣か?」
声をかけると、同じく缶チューハイを片手に持った男がゆっくりと振り返った。今場所、不調に苦しみ抜いたライバル・御剣だった。御剣もまた、千秋楽の夜に眠れぬ思いを抱えていたのだろうか。
「轟か……。優勝、おめでとう」
短く、だが偽りのない言葉が御剣の口から漏れる。
「ああ。ありがとう」
轟もまた、言葉少なに答えた。二人の間に、互いを高め合ってきた者同士にしか分からない独特の間合いが流れる。
「次は……横綱がかかるな」
御剣が缶に口をつけながら言った。その声には、今場所の不調に挫けた様子など微塵もなかった。
「ああ。絶対に掴み取る」
「甘く見るなよ。来場所は、俺が絶対に止めてやる。雷電だって戻ってくるはずだ」
御剣の瞳に、昼間の土俵以上の鋭い光が宿る。その言葉に、轟の口元が自然と緩んだ。
眠れぬほどのプレッシャーと興奮。だが、こうして酒を交わし、ぶつかり合えるライバルがいることが何よりも心を熱くさせる。
「待ってるぞ。誰が相手だろうと、俺が勝ち続けて横綱になる」
夜の静寂の中、二人の言葉が静かに、そして力強く響き渡っていた。




