孤高の賜杯
三月場所の十四日目。難波の土俵は、早くも独特の緊張感と熱気に包まれていた。
一月場所での悔しさを糧に、東大関の轟は圧巻の相撲をとり続けていた。初日から連勝街道を突き進み、揺るぎない圧倒的な力で土俵を支配してきた。
一方で、ライバルの御剣は今場所、序盤からの不調に苦しんでいた。稽古場で磨き上げた技も本場所では噛み合わず、白星を伸ばせない。すでに優勝争いからは脱落し、この日も結びより前に土俵を終えていた。
ライバルの不調。だが、轟の勢いが衰えることはなかった。
本日の結びの一番。
「東、轟」
呼出しの声に応え、轟が土俵に上がる。この結びの一番を制すれば、千秋楽を待たずに二度目の優勝が決まる。館内のボルテージは最高潮に達していた。
対戦相手は、今場所好調を維持してきた役力士。しかし、今の轟にとって誰が相手かは関係なかった。見据えるのはただ己の相撲、そして大関としての絶対的な強さのみ。
「はっけよい」
軍配が返る。鮮烈な立ち合いの衝撃音が館内に響き渡る。
相手の猛攻を正面からガッチリと受け止めると、轟は微動だにせず、力強い一歩を踏み出した。一月場所の千秋楽で敗れたあの日から積み重ねてきた稽古のすべてを乗せ、一気に相手を寄り切る。
「ひがし、轟」
行司の軍配が東に上がり、館内を割れんばかりの大歓声が揺らした。
十四日目の結びの一番で、自身二度目となる幕内優勝の決定。雷電不在の土俵で、大関・轟がその責任と期待を完全に果たし切った瞬間だった。
土俵を下り、花道を歩む轟の胸には、誇りと安堵が満ちていた。
風呂を済ませ、支度部屋の奥へ戻る通路の途中。すでに自分の取組を終え、浴衣姿に着替え終えた御剣が一人、壁のモニターに映る土俵の余韻をじっと見つめていた。
すれ違いざま、二人の視線が短く交錯する。
今場所は不調に沈んだ御剣だったが、優勝を決めた轟を見つめるその瞳には、折れることのない闘志の火種が残っていた。轟もまた、黙ってその視線を受け止める。
(俺は勝った。だが、まだ終わりじゃない)
手にした賜杯の重みを感じながらも、轟の視線はすでに、いずれ戻ってくる絶対王者・雷電、そして必ず這い上がってくるであろうライバル・御剣との「次の土俵」を見据えていた。




