社会人出身、荒金鉄平
「……強いな。やっぱり、十代のガキとは腰の据わり方が違う」
午前八時過ぎ。
がらんとした国技館の支度部屋で、荒磯親方は腕を組みながら、設置されたモニターをじっと見つめていた。
画面に映っていたのは、前相撲の初日で圧倒的な強さを見せた一人の男――荒金鉄平、24歳。
実業団相撲で鳴らし、年齢制限ギリギリで角界へ飛び込んできた社会人出身の大物オールドルーキーだ。180センチ、100kg越えの頑強な肉体。
彼は立ち合いの一瞬で相手の懐に潜り込むと、老獪な技術で一文字に相手を土俵の外へ寄り切った。
無駄な動きが一切ない、冷徹なまでの「大人の相撲」だった。
「親方、あの人、すごく強そうです」
その横で、まわし姿の轟がのんきにコーラを飲みながらモニターを覗き込んでいた。
すでに自分の初戦を、ただの力任せの突き出しで秒殺してきた後だ。
これで轟も1勝。あと1勝すれば、前相撲は勝ち抜けとなる。
「ああ、強いなんてもんじゃない。轟、次の二戦目、お前の相手はあの荒金だ」
親方の言葉に、轟は「へえ、あの強そうな人と当たるんだ」と、まだ他人事のように目を丸くした。
だが、親方の表情は真剣そのものだった。
「いいか、前相撲は2勝した時点で終わりだ。お前も荒金も、次勝てば勝ち抜けが決まる。だからこそ、編成の親方衆もお前たちの激突が見たくなったんだ。……だが、今のままのお前の相撲じゃ、荒金には絶対に勝てんぞ」
「大丈夫ですよ、親方。俺のこの体で正面からぶつかって、残れる人なんていないから」
ニコニコと笑う轟の頭を、親方は厳しく小突いた。
「バカ言え。お前の相撲はただの『デカい素人の力任せ』だ。これまでの相手は、お前の質量にビビって勝手に下がってくれた。だが荒金は違う。社会人のシビアな土俵で何百回と修羅場をくぐってきた男だ。お前がただ突っ込めば、その力を利用されて一瞬で転がされる。プロの技術ってやつを、その身に刻まれることになるぞ」
「……プロの、技術」
轟は、自分の大きくて分厚い手のひらを見つめた。
親方がここまで厳しい口調になるのは初めてだった。
その時、支度部屋の重い扉が開き、風呂上がりで浴衣を羽織った荒金鉄平が歩いてきた。
びん付け油と湯上がりの熱気が、むわりと漂ってくる。
荒金は、コーラを持っている轟の前で足を止めると、強面な顔に深く刻まれた鋭い眼光で、轟をじろりと見下ろした。
御剣凱のような、エリート特有の華やかな敵意ではない。
人生の後がない24歳の男が放つ、泥にまみれた、重苦しいまでの覚悟の圧力だった。
「お前が荒磯部屋の大河原か」
荒金の低く太い声が、支度部屋の空気をピリッと震わせる。
轟はいつものように「は、はい。俺が大河原轟です」と応えた。
が、荒金は一切表情を変えない。
「お前の初戦の相撲、見ていたぞ。なるほど、天性の体格と怪力だ。御剣のような派手な天才様なら、お前のその『規格外の馬鹿力』に焦るかもしれん。……だが、俺には通用しない」
荒金は、轟の額が全開になった無骨な顔つきを真っ直ぐに見据えた。
「相撲ってのはな、人生の重さをぶつけ合う場所だ。生ぬるい覚悟で土俵に上がってるガキに、俺の24年間の執念が崩せると思うなよ。明日の朝、どっちが本物の『プロ』か、土俵の上で教えてやる」
言い残し、荒金はのっしのっしと去っていった。
「……」
轟の口元から、いつもの緩い笑みが、すっと消えた。
(……すごいな、あの人)
これまでの相手とは違う。自分の体躯を前にしても、荒金の目は一ミリも揺らがなかった。むしろ、あの体に、自分の突進がすべて吸い込まれてしまうような、奇妙な錯覚を覚える。
言い返しはしない。ただ、彼の内なる怪物のスイッチが、荒金の放った本気の重圧によって、かつてないほど激しく火花を散らし始めていた。
「親方さん」
「……なんだ、轟くん」
「明日の朝、俺、ただ本気でぶつかればいいんですよね?」
轟のその静かな眼光を見た瞬間、荒磯親方はゾクッと背筋を震わせ、そして不敵にニィと笑った。
「ああ、もちろんだ。誰も見ていない午前八時半の土俵だ、お前のすべてをあいつにぶつけてこい」
勝てば勝ち抜け、負ければ泥沼。
何者でもない二人の力士が、静寂の国技館で激突する。
(第7話・了)
大相撲の世界は中学を卒業したらすぐ入門するケースが多いそうなので、轟みたいに全くの初心者で18歳っていうのは少し珍しいですね。




