重圧の孤独
三場所連続全勝優勝――。
スポーツ紙の一面を飾る見出しや、世間の大絶賛とは裏腹に、東横綱・雷電の心には冷たい風が吹き抜けていた。
千秋楽の表彰式を終え、支度部屋の奥で一人、汗を拭いながら大銀杏を解く。
鏡に映る自分の顔は、三連覇を果たした覇者には到底見えない。ただ疲弊し、すり減った一人の男の顔だった。
ここ数場所、大相撲の土俵は雷電の「独壇場」と化していた。
本来なら土俵を二分し、互いにしのぎを削るはずだったもう一人の横綱が、度重なる怪我で休場を余儀なくされている。ライバル不在の土俵で、雷電は一人で「横綱」という重責を背負い続けていた。
勝って当たり前。少しでも危うい相撲を見せれば陰口を叩かれ、負ければ「一人横綱の自覚がない」と批判される。
土俵に上がるたび、相手力士だけでなく、「横綱」という巨大な概念そのものと戦っている感覚だった。
「横綱、今場所もお見事でした。完璧な全勝でしたね」
付け人がお茶を差し出しながら、興奮気味に声をかけてくる。
雷電は静かに頷き、湯呑みに口をつけた。
(――本当に、お見事だったか?)
雷電の脳裏に、今場所の自分の相撲を思い返す。
立ち合いで相手を圧力でねじ伏せ、泥臭く泥にまみれさせることもなく、ただ作業のように寄り切る相撲。勝ちはしたが、そこに客を沸かせるような「熱」はあっただろうか。観客を魅了するような、横綱らしい「圧倒的な美しさと威風」を見せられただろうか。
圧倒的な力の差を示して勝つほどに、館内からはどこか「分かっていた結果」に対する白けた空気が漂うことがある。
ただ勝つだけでは足りない。観客を魅了し、相撲の凄みを全身で表現してこそ横綱だ。だが、今の自分はその重圧に押し潰されぬよう、ただ「負けないための完璧な相撲」を機械的に作業しているだけなのではないか。
そんな深淵のような孤独とプレッシャーの中で、ふと雷電の頭に、一つの番付の文字が浮かんだ。
『東関脇・轟』
かつて自分の部屋に入り浸っていたザンバラは今ではもう直ぐ近くにまで番付をあげてきている。
自分の相撲に迷い、守りに入りそうになる雷電とは対照的に、轟の相撲には溢れんばかりの狂暴な熱量と、観客を一瞬で呑み込む凄まじい「力」がある。
引き技も小細工も一蹴し、ただ前へ、前へと突き進むあの不格好なまでの愚直さ。今の館内を最も熱狂させているのは、間違いなくあの若き関脇だ。
「次の九州場所……か」
雷電は解けた髪を手で掻き上げ、呟いた。
もう一人の横綱が不在の土俵で、ただ一人重圧に耐え続ける日々に、ようやく確かな「脅威」が近づいてきている。
観客を魅了する横綱であり続けなければならないというプレッシャー。その重圧を破ってくれるかもしれない存在が、すぐそこまで迫っていた。
雷電の瞳に、久しぶりに勝負師としての静かな火が宿った。
(第8章 / 第2話・了)




