熱気の中で
大阪市内のホテルの一角。
華やかな照明の下、グラスの触れ合う音と押し寄せる人々の歓声が、会場全体を揺らしていた。大相撲三月場所、荒磯部屋の千秋楽パーティー。
長年、数えるほどしか人が集まらず、どこか寂しげな空気が漂っていたかつてのパーティーとは、まるで別の場所のようだった。
「新十両で十二勝三敗だぞ! とんでもない新人が現れたな!」
「惜しかったなぁ。今場所は上が全勝と一敗で星を潰し合わなかったから優勝には届かなかったが、新十両でこの勝ち星は破格だ!」
会場のあちこちで、酒を片手にしたタニマチやファンたちが興奮気味に語り合っている。
横綱たちが圧倒的な力の差を見せつけ、全勝か一敗でなければ優勝争いにすら絡めない今の相撲界。その分厚い上位陣の壁を再認識させられつつも、新参者の怪物が残した「12勝3敗」という数字は、大阪の相撲ファンに強烈なインパクトを与えるには十分すぎるものだった。
その喧騒の中心に立っていたのが、轟だった。
所在なさそうに佇んでいる轟の周りには、代わる代わる名刺や祝儀袋を手にした人々が押し寄せ、次々と声をかけてきた。
「轟関、本当におめでとう! 初日から見せてもらったが、最高の場所だったよ!」
「次の場所も期待しているぞ! 新しい化粧廻しの話も、ぜひ進めさせてくれ!」
酒の匂いと、嗅ぎ慣れない香水の匂い。
幕下優勝を果たした直後、後ろ盾も資金もなく、「プロの格差」という冷酷な現実を突きつけられたあの日のことが嘘のようだった。
結果を出した瞬間に、掌を返したように人々が集まり、持ち上げてくる。これがプロの世界の現金さであり、同時に結果を出した者だけが味わえる異様な熱気だった。
轟は押し寄せる手や言葉の数々に、ただ不器用に着物の襟を正すようにして、無言で深く頭を下げることしかできなかった。
愛想笑いの一つも作れない轟の横で、付け人の満吉が甲斐甲斐しく動き回っていた。祝儀を受け取り、頭を下げ、グラスの補充に走る。
満吉自身も今場所、親方から密かに伝授された投げ技を武器に見事勝ち越しを決めていた。
その表情には、自分が付き添う関取が会場の主役であることへの誇らしさが溢れている。
ふと、喧騒の合間から、轟は遠くのテーブルに視線を向けた。
そこには、静かにグラスを傾ける荒磯親方の姿があった。
中日の敗戦後、自分の相撲を見失いかけた轟に親方が掛けた言葉が、今も耳に残っている。
『お前の強さは、小細工じゃない。迷わず前へ出ることだけだ』
その一言で吹っ切れた轟は、九日目の連敗から怒濤の巻き返しを見せ、白星を積み重ねた。
千秋楽こそ、幕内経験のある十両上位の分厚い壁に跳ね返されて三敗目を喫したものの、12勝3敗という星勘定は、荒磯部屋の存在感を全国に示してみせた。
かつて「うちの部屋じゃ化粧廻しひとつ作ってやれない」と悔しそうに頭を下げていた親方。今夜、満員の会場と、弟子の周りに群がる人々の熱気を遠目に見つめる親方の目には、静かな安堵と確かな誇りが宿っていた。
「おい、何をぼさっと突っ立ってんだ」
馴染みのある声に振り返ると、若鳥が呆れたような、しかしどこか嬉しそうな顔で立っていた。
「顔が硬えぞ。今日くらい少しは笑ったらどうだ。……まあ、お前が愛想振りまくタイプじゃないのは、ここにいる連中も百も承知だろうがな」
若鳥はポンと轟の肩を叩くと、会場の入り口付近へと視線を向けた。
「ほら、来たぞ。場所前にお前を飲みに連れて行ってくれたあの社長だ。お前が十二勝も挙げてくれたおかげで、鼻高々で会場に乗り込んできたみたいだぜ」
人混みを割り、満面の笑みを浮かべたスーツ姿の男が、こちらに向かって歩み寄ってくる。
十両の頂点、そしてその上に君臨する幕内や横綱たちの圧倒的な高さ。
だが、己の力だけを頼りに掴み取った十二の白星の重みは、今、確かな熱気となって轟の全身を包み込んでいた。
(第7章/ 第4話・了)




