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それぞれの道

新十両の土俵を、轟は驚くほどの冷静さで踏みしめていた。


二日目、三日目、そして四日目。


十両の力士たちは、確かに幕下以下とは圧力の桁が違った。立ち合いの一歩目で押し込めない局面もあった。だが、轟は焦らなかった。


自らの体格と馬力を信じ、どっしりと腰を割って前へ出る。強烈な突っ張りで相手の顎を跳ね上げ、自らの形を一切崩さずに正面から寄り切る。

その姿は、連日、大阪の目の肥えたファンを唸らせていた。


一方で、轟は自らの身の回りの世話を淡々とこなす満吉の「ある変化」に、早くから気づいていた。


五日目の朝。


自分の出番を前に、若手力士たちの取組をモニターで眺めていたときのことだ。


土俵に上がった満吉は、自分より一回りも体重のある相手の突き押しを食らい、一時は俵に足がかかるまで追い詰められた。だが、そこからだった。

満吉は強引に押し返そうとはせず、すっと低く潜り込むと、相手の出足を逆手に取るような鮮やかな「出し投げ」を打った。相手の巨体が、面白いように土俵に這う。


「……また投げか」


轟は小さく呟いた。

ここ最近の満吉は、以前のような押し相撲だけでなく、明らかに投げ技を狙う立ち回りを見せ、星を拾っていた。


その日の取組を終え、興行の喧騒が引いた夕方の宿舎。

静まり返った大部屋の隅で、満吉が轟の着替えや荷物の整理を黙々とこなしていた。関取と付け人。部屋にいる時とは違う、言葉数の少ない静かな時間が流れる。


轟は、満吉から手渡された浴衣に袖を通しながら、不意に問いかけた。


「満吉」


「はい、なんでしょう?」


満吉は背筋を伸ばし、硬い声で応じる。


「最近、お前の相撲、投げが増えたな」


轟の真っ直ぐな視線に、満吉は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。それから、少し照れくさそうに、だが誇らしげに視線を落とした。


「気づいてましたか。……実は、場所前から親方にこっそり稽古をつけてもらってたんです」


「親方に?」


「はい。俺の体格じゃ、これ以上真っ向からの押しだけじゃ上には行けないって、親方に相談したら……『だったら、俺の技を教えてやる』って。親方の現役時代の得意だった投げの打ち方、体の寄せ方を、夜の誰もいない稽古場でずっと叩き込まれてたんです」


満吉の目は、かつてのように轟の背中をただ追いかけるだけの少年のものではなかった。

才能の塊のそばにいるからこそ、自分にしかない生き残るための武器を、泥臭く磨き上げようとする一人の力士の目だった。


「お前には教えられない、俺たちみたいな『持たざる者』の相撲ですよ」


満吉はそう言って、悪戯っぽく少しだけ笑った。

轟は何も言わなかった。ただ、自らの胸元にある、親方から借りた大関時代の古い化粧廻しの感触を思い出す。


親方は、何もかもを轟に注いでいたわけではない。この小さな荒磯部屋で、それぞれの弟子がそれぞれの道で這い上がれるよう、静かに、しかし確かに背中を押していたのだ。


翌日からの土俵、轟の相撲はさらに研ぎ澄まされた。


六日目、そして七日目。


一切の雑音を排し、自らの形を信じて突き進む轟は、ついに無傷の7連勝を飾る。


新十両、無敗のまま勝ち越しまであと一勝。

一方の満吉もまた、親方から授かった投げ技を武器に白星を先行させ、部屋はこれまでにない活気に満ちていた。


(第7章・第2話・了)

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