新しい流れ(荒磯親方視点)
ガタガタと重々しい金属音が、冬の澄んだ空気に寒々しく響き渡る。
不用品回収業者のトラックの荷台に、次々と錆びついた鉄塊が積み込まれていく。ホコリを被ったバーベル、歪んだシャフト、そして何枚もの重量級の金属製プレート――。
荒磯親方は、稽古場の勝手口に佇み、それらが冬の薄日に晒されていく様をじっと見つめていた。
剥げかけた塗装、手の脂が染み付いたローレット(滑り止め)の溝。それらを見るだけで、胸の奥がキリキリと軋むような痛みを覚える。
あの鉄塊たちは、部屋の物置の奥で十数年もの間、親方を責め立て、縛り付け続けてきた「戒め」の十字架だった。
かつて名門と呼ばれ、何人もの関取がしのぎを削っていた荒磯部屋。しかし、先代から荒磯が跡を継いで以降、部屋の活気は目に見えて失われ、番付は坂道を転れ落ちるようにして落ちぶれていった。
原因は、親方自身の、狂気とも言える「体格への執着」だった。
現役時代、小柄な身体でありながら、至高のキレを誇る投げ技を武器に大関まで上り詰めた荒磯。だが、その前に絶対的な壁として立ちはだかったのが、最強の横綱・天嶺だった。
どれだけ技を研ぎ澄まそうが、回り込もうが、天嶺の圧倒的な体躯の前には、自慢の投げは通じなかった。あの巨大な身体に見下ろされ、力でねじ伏せられた時の絶望感とコンプレックスは、大関のまま土俵を去ってからも、親方の魂に深く、黒くこびりついて離れなかった。
(デカくなければ、あの化け物の領域には絶対に届かない)
その盲信が、親方の目を曇らせた。親方は部屋の師匠になると同時に、荒磯部屋の伝統であった「技術を磨く稽古」を型遅れだと否定した。
代わりに導入したのが、物置に眠っていたあのウエイト器具だ。弟子たちに無理な増量と肉体強化を強制し、スカウトしてくるのも素質に関わらず「ただ体格のいい男」ばかり。
「親方、俺たちの相撲はこんなんじゃないはずです」
「型を忘れて筋肉だけつけても、土俵の上じゃ動けません!」
反発する弟子たちの声に、親方は耳を貸さなかった。自分の現役時代の限界を否定したいがために、弟子たちの相撲まで否定し続けたのだ。
結果、荒磯の流麗な「技」を慕って集まっていた素質ある技術派の弟子たちは、一人、また一人と荷物をまとめて部屋を去っていった。
しかも皮肉なことに、親方自身は「デカい力士の育て方」の正解など知らなかった。残った巨漢の新弟子たちも、親方の本質である「投げ」の技術と噛み合わず、未完のまま次々と土俵を去った。
気がつけば、関取は完全にゼロ。誰も使わなくなったあの筋トレ器具だけが、自分の独善が名門を崩壊させたという、動かぬ証拠として物置の奥でホコリを被り続けていたのだ。
――だが、今。一月場所の土俵で、その絶望の歴史にひとつの花が咲こうとしている。
手の内を知り尽くした名門・山鳴部屋の神竜を、一切の小細工なし、正面からの圧倒的な「押し出し」だけでねじ伏せた轟。
関取昇進へ向けて、白星を積み重ねていく轟の相撲には荒磯のコンプレックスである天嶺の姿が重なる。
震える視界の中で、長年の呪縛が音を立てて砕け散っていくようだった。
親方は静かに目を閉じ、深く、熱い息を吐き出した。
自分の信じた道は、間違っていなかった。ただ、あの冷たい鉄塊を貪るようにして扱い、己の血肉へと変えられる「本物の怪物」が現れるのが、今だっただけだ。
轟という存在によって過去の因縁を断ち切った今、自分を後ろ向きに縛り付ける後悔は、もう必要ない。
トラックが排気音を響かせて去っていく。その背中を見送る親方の顔からは、十数年まとわりついていた暗い影が、完全に消え去っていた。
その日の夜。
砂の匂いが立ち込める土俵の真ん中に、荒磯親方が立っていた。その表情には、かつての大関・荒磯を彷彿とさせる、職人のような澄んだ鋭さだけが宿っている。
土俵の下には、初日の夜にちゃんこを貪り食っていた満吉と、新弟子の佐藤の二人が、緊張で身体を強張らせて控えていた。
「満吉、佐藤」
親方の重みのある声が、静まり返った稽古場の天井に反響する。
「お前らは轟のようにはなれん。だが、勘違いするな。時に『技』は『力』を破る。」
親方は一歩、優しく、しかし確固たる足取りで土俵の砂を踏み締めた。
「お前たちには荒磯部屋の代名詞である投げ技を叩き込んでやる。」
親方は腰を深く落とし、大きな両手を広げた。
「まわしを締めて土俵に上がれ。まずは俺が受けてやる。身体で覚えろ」
「……はいっ!!」
二人の若手の、熱い返声が稽古場を震わせた。
親方が自らまわしを締め、至高の技術を厳しく次の世代へと授け始める。
圧倒的なパワーで道を切り拓く怪物・轟。
そして、復活した名門の「至高の技」を受け継いでいく満吉と佐藤。
巨体へのコンプレックスから完全に解放された師匠の手によって、荒磯部屋の土俵は、今度こそ本当の強さを取り戻すために、激しく、美しく燃え上がり始めた。
(第6章・第5話・了)




