初日の夜
一月場所の初日が終わり、夜の荒磯部屋のちゃんこ場には、いつものように美味い出汁の匂いが立ち込めていた。
「皆、初日お疲れ様! たくさん作ったから、いっぱい食べてね」
琴音ちゃんが、大すり鉢から湯気の立つ特製ちゃんこを笑顔でよそってくれる。
初日をそれぞれの結果で終えた俺たちは、喉を鳴らしながら一斉に箸を動かした。
「美味い……! 身体に染みます……っ」
新弟子の佐藤が、どんぶりを抱えるようにしてちゃんこを貪り食っている。
秋に高校を中退し、地元の九州場所で前相撲を終えて、この一月場所から正式に番付に名前が載った佐藤。今日が彼にとって本当の意味での「初めての公式戦」だった。
結果は黒星だったが、モニターで見ていた佐藤の相撲は悪くなかった。体格で勝る年上の力士に一気に押し出されそうになりながらも、土俵側に足の指をかけ、上体を低く折って必死にしがみついたのだ。格好なんて気にしていられない、ただ「負けたくない」という意地だけの相撲。
どんぶりを空にした佐藤が、悔しそうに擦り傷が残る腕をさすった。
「本場所の取組って、前相撲とは緊張感が全然違って……めちゃくちゃ悔しいです。次は絶対に勝ちます!」
「その悔しさがあれば、次は勝てるぞ」
そう声をかけたのは、兄弟子の金剛山さんだった。
「佐藤、今日の土俵際、いい粘りだったぞ。格好なんてどうでもいい、あの泥臭さこそが荒磯部屋の相撲だ。親方も喜んでたぞ」
ベテランの金剛山さんにそう言われ、佐藤は嬉しそうに顔を上気させ、「はい!」と力強く頷いた。
俺はちゃんこを口に運びながら、今日見事な白星を挙げた満吉の劇的な変化を思い出していた。
山鳴部屋の過酷なトレーニングに死ぬ気で食らいつき、見違えるほど力士らしい身体になった満吉。今日の序ノ口の土俵では、以前のような立ち合いで簡単に弾かれてしまう脆さは微塵もなかった。相手の強烈な圧力を、一ヶ月間名門で鍛え上げた頑強な下半身でガッチリと受け止め、低く、重く構えたまま、一気の前押しで相手を土俵の外へと追いやったのだ。
序の口で好成績を上げかねていたあの満吉が、本場所の土俵で安定感のある白星を挙げた。その成長が、俺は自分のことのように嬉しかった。
「轟も初日から豪快な投げで完勝だったし、満吉もいい押しだった。佐藤も次は初白星だ」
ドカッと横に腰を下ろしたのは、もう一人の兄弟子、若鳥さんだった。いつもの優しい目で俺たちの様子を見つめ頼もしく笑う。
ただ自分のために勝つんじゃない。この部屋の全員で、同じ熱量で、ここから泥臭く傷だらけになりながら這い上がっていくんだ。
ちゃんこ鍋の湯気の向こうで、それぞれの闘志を燃やす仲間の顔を見つめながら、俺は確かな手応えをもう一度噛み締めていた。
関取の座を掴むための本場所は、まだ始まったばかりだ。俺たちの快進撃は、ここからさらに加速していく。
(第6巻 / 第3話・了)




