相撲のための筋肉
翌日から、俺と満吉は山鳴部屋の門をくぐった。
案内されたトレーニングルームには、最新のパワーラックやフリーウエイトの器具がズラリと並び、冷たい鉄の匂いと、力士たちの凄まじい熱気が充満していた。
「すげえな、轟……。これなら思う存分追い込めるぞ」
満吉が目を輝かせる。俺たちはさっそく山鳴部屋の最新設備を堪能した。
俺たち2人がスクワットを終え、汗を拭いていると、ラックへ、一人の男が近づいてくるのが見えた。
十両の山鳴部屋の実力派――響竜関だ。
「響竜関! 次、どうぞ! ちょうど終わったところなんで!」
俺たちはごく自然に、市民体育館でやっていた通りの爽やかな笑顔でラックを譲った。
「……あ?」
響竜関は一瞬、きょとんとした顔で俺を見つめた。
まさか他部屋の幕下のガキが、一般のジムのように器具を譲ってくるとは思わなかったのだろう。
だが、響竜関はフッと不敵に破顔すると、俺のガッシリとした骨格をじろじろと見回した。
「お前が例の轟か。いい身体してるな。……よし、じゃあお前たちが終わるまで、俺がフォームを見てやる。せっかくうちまでトレーニングしに来たんだ、ただで帰すわけにゃいかねえからな」
予期せぬ、ラッキーイベント発生。
響竜関は先ほどの俺たちのスクワットを見ていて、鋭いプロのアドバイスをくれた。
「轟、お前はただ重いものを上げようとして、腰と膝だけでバーベルを挙上してる。それじゃ、土俵の上でただの筋肉の塊になるぞ」
響竜関は自分の分厚い下半身を叩いてみせた。
「相撲に必要なのは、ただのデカい筋肉じゃない。立ち合いの瞬間に、足の裏から生み出したパワーを、股関節、そして体幹を通して相手に100%ぶつける連動性だ。バーベルを上げる時も、常に土俵の立ち合いを意識しろ。体幹を意識して、一気に出力を最大化させるんだ」
相撲に生きる、機能する筋肉――。
その教えを意識した瞬間、いつものスクワットが、まるで土俵の上で巨大な壁を押し込んでいるかのような凄まじい負荷へと化ける。身体の回路が繋がっていく感覚に、俺は歓喜で震える。
◇
その夜。
荒磯部屋のちゃんこ場には、いつものように美味い出汁の匂いが立ち込めていた。
琴音ちゃんの作った特製ちゃんこを、俺と満吉は喉が鳴るほどの勢いで貪り食う。
肉体を再構築するためには、稽古と筋トレ、そして何よりこの食事が命だ。
「おう、轟、満吉。山鳴部屋のトレーニングはどうだ? ちゃんと身になってるか?」
ドカッと横に腰を下ろしたのは、兄弟子の若鳥さんだった。
いつもの優しい目が、俺たちの様子を心配そうに、だけど温かく見守っている。
「若鳥さん! めちゃくちゃ凄いです!」
俺は口にスープを溜めたまま、興奮気味に身を乗り出した。
「響竜関が、相撲に活きる体幹の使い方を直接教えてくれたんです! ただ体重を増やすんじゃなくて、立ち合いの出力を上げるための筋トレ。これ、絶対に次の場所で活きます!」
「ただ……本当に、死ぬほどキツいですけどね……」
満吉が隣で、箸を握る手をぷるぷると震わせながらスープを啜る。
そんな二人の姿を見て、若鳥さんは嬉しそうに目元を緩めた。
「はは、他部屋の関取からタダで技を教われるとは、いい環境をもらったな。親方が山鳴の親方に頼み込んでくれたおかげだ、感謝しねえとな」
「はい! 本当に感謝です!」
「でも、あんまり無理して、一月場所の前に身体を壊すんじゃないぞ。」
若鳥さんは兄弟子らしく頼もしく笑った。
この環境が俺たちの背中をどれほど支えてくれているか分からない。
◇
時間は、容赦なく、だけど確実に進んでいく。
十二月下旬。ついに一月場所(初場所)の新番付が部屋に届いた。
時間を1秒も無駄にせず、極限まで切り詰めて肉体を追い込み続けた一ヶ月。
鏡の前に立つ俺の身体は、九州場所の時とは明らかに異なっていた。
無駄な脂肪の緩みが消え、肩から背中、そして太ももにかけて、太く引き締まった身体が、圧倒的な密度で出来上がりつつあった。
自分の身体が、かつてないほど重く、そして強固に詰まっているのを感じる。
届いた新番付。
そこには、太い黒文字で、俺の四股名が刻まれていた。
位置は――『幕下筆頭』。
あと一歩で、関取。
一月場所が、すぐそこまで迫っていた。
( 第54話・了)




