ザンバラの槍
九月場所、十一日目。
お昼を過ぎ、熱気が最高潮に達した三段目の土俵。
三段目の全勝は、俺を含めて残り二人のみ。今日の対戦相手は、モンゴルからの留学生出身で、インターハイを制して「高校横綱」の称号を引っさげて角界入りした超大物、「蒼狼」だった。
190センチ、150キロ。
桁外れの馬力に加え、モンゴル相撲仕込みの驚異的な足腰の粘りを持つ、今場所の優勝大本命。
「轟、相手は組んだら化け物だ。絶対に中に入れさせるなよ」
花道に向かう直前、若鳥さんが俺のまわしを後ろからもう一度、強く締め直してくれた。若鳥さんは昨日、勝ち越しを決めて憑き物が落ちたような、いい顔をしていた。
「はい」
俺は短く応え、拳を握りしめた。
薄暗い花道を抜け、まばゆい照明の下へと進む。
土俵に上がると、すでに蒼狼が泰然と構えていた。俺と同じく、まだ髪が伸びきっていないザンバラ髪。だが、その無骨なザンバラ髪の奥にある鋭い眼光は、俺の身体を品定めするように低く射抜いてくる。
溜り席の最前列近くでは、大きな荷物カゴを抱えた琴音ちゃんが、祈るように両手を握りしめて俺を見つめていた。その髪で、桜色のかんざしが緊張に震えるように小さく揺れている。
じっと腰を下ろす。
大関・雷電の、あの圧倒的な白まわしの壁を思い出す。あの壁に比べれば、目の前の怪物の圧力も、決して恐れるものではない。
呼吸が、ピタリと合った。
「――はっけよい!」
行司の声と同時に、激しい衝撃音が館内に響き渡った。
蒼狼は立ち合いと同時に、独特のしなやかな身のこなしで俺の突進を受け流すと、一瞬で俺の懐に潜り込み、強烈な外掛けを仕掛けてきた。
足元をすくわれるような、凄まじい粘りと技術。一瞬で俺のバランスが崩れ、土俵際へと追い詰められる。
(投げられる――)
俺は本能的にそう察知した。
出稽古で親方がこっそり泥をかぶって作ってくれた、あの砂まみれの時間。大関に何度も転がされながら、身体が覚えた「重心の奪い合い」の感覚が、ここで弾けた。
俺は強引に踏ん張るのをやめ、あえて自ら一歩引き下がりながら、空いている右腕を蒼狼の顎の下へと突き上げた。
ただの突きではない。テッポウ柱を毎日何百回と叩き込んできた、俺の132キロの体重を一点に集中させた、槍のような突き押し。
バチィン!!
顎を強烈に突き上げられた蒼狼の頭が、大きく後ろにのけぞった。
完璧だった足技の体勢が、一瞬で崩れる。
「――おおおっ!」
館内が大歓声に包まれた。
隙を見逃す俺ではない。体勢の崩れた蒼狼の胸へと、俺は頭からもう一度、低く突っ込んだ。出稽古の最後に見出した、相手の懐の下へと滑り込む鋭い踏み込み。
俺の分厚い肩が、蒼狼のへその下へとめり込む。
俺の足はすでに前へと走っていた。下から骨盤を押し上げられ、完全に重心を失った高校横綱の巨体が、体勢を崩したまま土俵の外へと、もんどり打って転落した。
「轟ーーー!」
行司の勝ち名乗りが、興奮の嵐と化した館内に高く響き渡る。
俺は小さく息を吐き、息を切らせて土俵に上がってきた蒼狼に向かって、深く一礼した。蒼狼は悔しそうに口を歪めながらも、俺の強さを認めるように小さく頷き、一礼を返してきた。
「やった……!」
花道を戻る途中、通路の影から琴音ちゃんが飛び出してきた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「凄かった、轟! 蒼狼に勝ったよ!」
「ありがとうございます」
俺は手拭いで顔の汗を拭いながら、ようやく小さく息を緩めた。
これで6連勝。
ついに三段目の全勝は、俺一人になった。3場所連続の全勝優勝まで、残るはあと一番。
そしてその頃、国技館のさらに奥、幕下上位の支度部屋。
夕方になり、自分の取組を控えてテレビモニターで俺の相撲を見ていた御剣が、5勝2敗という自身の成績のプレッシャーの中で、ギリッと激しく奥歯を噛み締めていたことを、この時の俺はまだ知らなかった。
(九月場所編第6話・了)




