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ファインダーの中の怪物 (記者視点)

大相撲を取材して二十年になる。


スポーツ新聞の相撲記者である俺――佐藤は、千秋楽の全取組が終わり、観客の去った新名古屋アリーナの記者席で、締め切り間際の総括原稿をまとめながら奇妙な戦慄を覚えていた。


今場所の話題と言えば、大関の安定した強さや、名門部屋から出た元アマ横綱・御剣凱が幕下上位の壁にぶつかりながらも5勝2敗で勝ち越した執念などが挙げられる。

だが、俺の指がキーボードの上で止まるのは、いつも決まって別の男のデータを見つめる時だった。


『東序二段・轟(荒磯部屋)。七戦全勝、序二段優勝』


五月場所の序ノ口優勝に続き、これで二場所連続の全勝優勝。

文字だけ見れば「期待の超新星」だが、その中身を洗練された取材記者の目で分析すると、およそ「期待」なんて生易しい言葉では片付けられない異常性が浮かび上がってくる。


(プロ入り以来、通算十四番の取組のうち、そのほとんどが秒殺の『突き出し』と『押し出し』。しかも、土俵の上で一度も声を上げていないし、表情一つ変えていない……)


俺はカメラマンの後輩が撮影した、今場所の轟の静止画を画面に呼び出した。

まだまげも結えない、ザンバラ髪。

額を全開にした無骨な顔つき。196センチ、132キロの巨体は、ただデカいだけじゃない。長年数々の力士を見てきたから分かる。あいつの筋肉の付き方は、新弟子のそれではない。まるで何年も過酷なトレーニングを積んできたプロのアスリートのような、無駄のない、不気味なほど完成された肉体だ。


そして何より、その「目」だ。


ファインダー越しに捉えられた轟の目は、冷徹で、据わっていて、底が知れない。

遥か高い場所にある「何か」だけを見据えて、目の前の障害物をただどかしているだけのような、圧倒的な冷たさ。勝っても喜びを見せるわけでもなく、ただ淡々と、作業のように相手を土俵下に叩き落とす。


「佐藤さん、お疲れ様です。荒磯部屋の轟の件、何か面白いネタあります?」


後輩の若手記者が、缶コーヒーを片手に話しかけてきた。


「ああ、気になってな。あいつ、取材の対応はどうだった?」


「それが、全然だめだめですよ」


後輩は苦笑しながら肩をすくめた。


「優勝インタビューでも『嬉しいです』の一言だけ。ボソッと喋るだけで、何を考えてるのか全然掴めないんです。荒磯部屋の親方に聞いても『まだまだこれからですよ』って笑うだけですし。でも、部屋の先輩の若鳥って三段目の力士が言ってたんですけど……あいつ、大須の商店街でデカ盛りの味噌カツを、飯3杯と一緒に飲み物みたいに平らげたらしいです」


「……味噌カツ?」


「ええ。普段は大人しくて物欲もないらしいんですけど、飯だけは化け物みたいに食うって。部屋のメンバーとは家族みたいに仲良くやってるらしいですよ」


後輩は「ただのマイペースな大食漢ですよ」と笑って去っていった。


だが、俺の胸のざわつきは消えなかった。

飯を豪快に食い、部屋の仲間と温かく過ごす日常。その裏で、土俵に上がった瞬間に見せる、あの氷のような冷徹さと狂暴な破壊力。そのギャップが、逆に轟という男の底知れなさを際立たせている。


かつて、これほどまでに不気味な新人がいただろうか。


名門部屋でエリート街道を進む御剣が「光」だとするなら、たった4人の力士しかいない弱小の荒磯部屋から突如として現れた轟は、相撲界の秩序を根底から狂わせにくる「影」、あるいは「黒い津波」だ。


今場所、幕下の土俵で御剣が荒磯部屋の筆頭・金剛山を執念で破った時。

花道の奥でそれを見つめていた轟の姿を、俺は遠くから目撃していた。

あの時、轟から放たれていた空気は、ただの「悔しさ」ではなかった。あれは、獲物を絶対に見逃さないと決めた、捕食者の目だった。


(御剣は五月場所を4勝3敗、今場所を5勝2敗と、幕下の壁にもがいている。……だが、轟は一度も止まらずに、無敗のまま背後に迫っている)


次なる九月場所、轟は『三段目』へ上がる。

そこを突破すれば、いよいよ御剣のいる『幕下』の背中が見えてくる。


「大相撲の歴史が、ひっくり返るかもしれないな……」


誰もいない記者席で、俺は独り言をつぶやき、キーボードを叩いた。

タイトルは――『無口な怪物、三段目へ。轟がもたらす地殻変動』。


このザンバラ髪の怪物が、いつか髪を結い、関取となって土俵の真ん中に立つ時、相撲界はどんな景色になっているのだろうか。俺は恐怖半分、期待半分で、その日を強く予感していた。


(名古屋場所編第9話・了)


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