タニマチの夜と、誓い
「いやぁ、轟くん! 2場所連続の全勝優勝、本当におめでとう!」
「荒磯部屋からとんでもない怪物が現れたなぁ! 荒磯の宝だよ!」
千秋楽の夜。
宿舎の近くにあるホテルの宴会場は、きらびやかな照明と、スーツ姿の大人たちの熱気で満ち溢れていた。
会場の正面には、轟が勝ち取った「序二段優勝」の特大な賞状が誇らしげに飾られている。
荒磯部屋を長年支えてくれている、地元の有力企業の社長や後援会のおじさん達――いわゆる『タニマチ』が集まる、千秋楽打ち上げパーティーだ。
「ほら轟、社長さんにお酌をせんか」
親方が嬉しそうに、すっかり赤くなった顔で俺の背中を叩く。
「……失礼します」
俺は無言でペコリと頭を下げ、ビール瓶を手に取った。
だが、196センチ、132キロの俺が持つと、大瓶のビールがまるで乳酸菌飲料の容器のように見えてしまい、タニマチの社長さんは「ガハハ! 瓶が小さく見えるなぁ!」と大爆笑している。
慣れない社交の場で、同期の満吉は借りてきた猫のようにガチガチになって不器用にペコペコ頭を下げており、若鳥さんは要領よく大人たちから祝儀のポチ袋を貰って、ちゃっかり浴衣の帯の間にねじ込んでいた。
そんな賑やかな喧騒の中、俺の視線は、少し離れた壁際で一人、静かにグラスを傾けている金剛山さんの姿を捉えていた。
昼間の、御剣との死闘。
負けた悔しさを一切表に出さず、パーティーが始まってからはタニマチの大人たちに笑顔で頭を下げ、部屋のムードメーカーとして立ち回っていた。その大人の、そして「部屋の筆頭」としての背中が、どこか切なく、そしてひどく格好よく見えた。
俺はタニマチの輪からそっと抜け出し、お盆からウーロン茶の入ったグラスを一つ取ると、金剛山さんの隣へと歩み寄った。
「金剛山さん」
「ん? ああ、轟か。どうした、主役がこんなところで油を売ってちゃダメじゃないか。ほら、あっちの社長さんがお前と写真を撮りたがってたぞ」
金剛山さんはいつも通りの優しい笑みを浮かべた。
俺は何も言わず、ただ無言のまま、自分のグラスを金剛山さんの持つグラスへと、カチンと軽く合わせた。
「……」
「お前なぁ、無言で乾杯かよ」
金剛山さんは苦笑しながらも、俺のウーロン茶に付き合って、自分のビールを喉に流し込んだ。
そして、グラスを置くと、金剛山さんはふっと視線を落とし、誰も聞いていない小さな声で、ぽつりと言った。
「悔しいなぁ、轟」
「……」
「御剣は強かった。高校時代の引き出しだけじゃなく、プロの泥臭さまで身につけ始めてる。……だけど、一番悔しいのはな、あいつに負けたことじゃない。お前がせっかく全勝優勝したっていう最高の日に、兄弟子として、部屋の頭として、勝ち星を添えてやれなかったことだ」
金剛山さんの大きな手が、ぎゅっと握りしめられ、微かに震えていた。
荒磯部屋は、力士がたったの4人しかいない小さな部屋だ。だからこそ、誰かの敗北は部屋全体の痛みに繋がり、誰かの勝利は全員の誇りになる。金剛山さんは、その責任を一人で背負おうとしていた。
俺は、額を全開にした無骨な顔を金剛山さんに向け、低く、ずっしりとした声で告げた。
「金剛山さんは、弱くないです。毎日、俺にプロの重さを教えてくれたのは、金剛山さんです」
「轟……」
「俺が、次ですべてひっくり返します。三段目に上がって、その次、幕下に上がったら……御剣は、俺が土俵の下に叩き落とします」
表情は一切変えない。
だが、俺の剥き出しの両眼の奥には、すべてを焼き尽くすような、冷徹で狂暴な闘志がハッキリと宿っていた。
金剛山さんは一瞬、驚いたように目を見張った。それから、嬉しそうにふっと目元を緩めると、俺の大きな肩をバシッと力強く叩いた。
「よし。じゃあ東京に戻って、場所後の休みが明けたらまた地獄のぶつかり稽古だ。お前が幕下に上がるまで、俺が何度でも壁になってやる」
「……はい。お願いします」
遠くで、琴音さんが「あ、二人でこっそりサボってるー!」と嬉しそうに駆け寄ってくるのが見えた。
名古屋の熱い夜が、更けていく。
2場所連続全勝優勝の勲章を胸に、俺たちの戦いは次なるステージ『三段目』へ。
御剣のいる場所まで、あと一歩。
俺の無敗の進撃は、ここからさらに加速する。
(名古屋場所編第8話・了)
序二段の優勝賞金は20万円です。




