兄弟子たちの祝福
五月場所が幕を閉じ、夕暮れ時の荒磯部屋。
いつもは静かな下町のちゃんこ場が、今夜は割れんばかりの活気に満ちていた。
「よし、轟! 真ん中に置きなさい!」
親方の豪快な声に促され、俺は国技館でもらってきたばかりの賞状を、大広間の畳の上にそっと置いた。そこには墨黒々と『序ノ口優勝 大河原 轟』の名が、恐ろしいほどの力強さで刻まれている。
「おいおい、マジでやりやがったな、轟!」
ドスンと俺の分厚い肩に腕を回してきたのは、三段目の兄弟子、若鳥さんだ。口は悪いが、部屋に入ったばかりの俺にまわしの締め方から教えてくれた、面倒見のいい先輩だ。
「若鳥さん、ありがとうございます。でも、毎日若鳥さんにぶつかり稽古でしごかれたおかげです」
「分かってるじゃねえか。よし、今夜は無礼講だ。お前の分の唐揚げ、俺が半分食ってやるからな!」
「バカ言え、若鳥。今夜の主役は轟だろ。お前が食ってどうする」
そう言って笑いながら、大きなビール瓶を片手に座ったのは、部屋の筆頭頭である幕下の金剛山さんだ。30歳を超えるベテランで、部屋のまとめ役。今場所、俺が132キロの肉体でプロの公式戦を戦い抜けたのは、この金剛山さんの岩のような胸に毎日毎日、数え切れないほど突進を繰り返してきたからだ。
「金剛山さん。今場所、相手の変化に足がついていったのは、金剛山さんの腰の重さを体験していたからです」
俺が静かに一礼すると、金剛山さんは嬉しそうに目を細め、俺の太い二の腕をバシッと叩いた。
「いい足腰だったぞ、轟。だが、次の場所からは『序二段』だ。兄弟子連中も、お前が上がってくるのを手ぐすね引いて待ってる。ここからは本当の勝負だぞ」
「はい。誰が来ても、正面から押し潰します」
「ガハハ! 言うようになったな。よし、今夜は食え!」
大広間のテーブルには、琴音さんとちゃんこ番の兄弟子たちが腕によりをかけて作った料理が、所狭しと並べられていた。近所の魚屋から担ぎ込まれた特大の鯛の塩焼きを筆頭に、山盛りの唐揚げ、そして湯気を立てる特製のすき焼きちゃんこ鍋。
「本当に全勝しちゃうなんて……。もう、私、千秋楽の相撲は心臓が止まるかと思ったんだから!」
琴音さんがエプロン姿のまま、顔を真っ赤にしてパタパタと団扇で自分を仰いでいる。その横で、ちゃんこ番の若い兄弟子たちが「琴音さん、轟の胃袋はブラックホールですから、もっと肉追加します!」と笑い合っている。
俺はいつも通り表情を変えずに、特大の鯛の身を豪快に箸で毟り取って口に放り込んだ。
「……美味い。信じられないくらい美味いです」
琴音さんから並々と烏龍茶が注がれた特大ジョッキを受け取り、一気に干す。一般的な一升瓶サイズのジョッキも、俺が持つと普通のコップサイズに思えた。
賑やかな兄弟子たちの笑い声、親方の満足げな顔、そして琴音さんの温かい目線。
地元・両国の街で、ずっと自分の身体を持て余し、どこか周囲に気兼ねしながら生きてきた。だけど、この荒磯部屋には、自分を真っ正面から受け止め、鍛え上げてくれる最高の兄弟子たちがいる。この場所こそが、俺の生きる世界だ。
「轟、次の場所も全部勝って、早く俺のいる幕下まで上がってこい。土俵の上で待ってるぞ」
金剛山さんのその言葉に、俺は不敵に、しかし真っ直ぐに笑って頷いた。
「はい。すぐに追いつきます」
196センチ、132キロの怪物。
頼もしい兄弟子たちの背中を見据えながら、その胃袋は今夜の祝い料理を全て吸収し、さらなる強固な肉体へと進化していく。
(五月場所編第21話・完)
現在の荒磯部屋の所属力士は4人。
幕下 金剛山
三段目 若鳥
序の口 満吉
そして、轟です。




