千秋楽の咆哮
五月場所、千秋楽。
プロとして初めて迎える最後の土俵。朝九時の国技館は、千秋楽独特の、どこか浮足立ったような、しかし厳かな空気に包まれていた。
俺の戦績は、ここまで負けなしの「6戦全勝」。
今日の一番に勝てば、文句なしで序ノ口全勝優勝が決まる。
「轟、相手は7年目のベテラン、大岩郷だ。お前より体は一回り小さいが、プロ生活で鍛え上げられた下半身は岩盤みたいに硬いぞ。長年の経験があるからな、立ち合い、懐に入られるなよ!」
花道の奥で、すでに今場所の全日程を終えた満吉が、自分のことのように拳を握りしめて声をかけてくる。
「入らせない。俺の相撲は、前に出るだけだ」
俺は低く、ずっしりとした声で応えた。
196センチ、132キロ。琴音の特製ちゃんこで限界までビルドアップしたこの肉体が、プロのベテランが放つ執念の技術をどうハネ返すか。緊張などない。ただ、全身の血が沸き立つような興奮だけがあった。
「東――、轟――。西――、大岩郷――」
呼出しの声が響く。
俺はのっしのっしと土俵へ上がり、勝負俵を跨いで中央へと進んだ。
まばらな客席からは、もはや「新人の一過性の話題」としてではなく、一人の若き怪物を目撃せんとする熱い視線が注がれている。
二人が腰を下ろし、仕切り線に拳を下ろす。
大岩郷は178センチ、115キロ。俺の巨体を見上げても、その面構えには微塵の怯えもない。新人に本物のプロの厳しさを教えてやるという、執念に似た重い闘志が宿っていた。
俺は無言のまま、表情を完全に消した。
剥き出しになった鋭い両眼が、大岩郷の分厚い首元をロックオンする。
張り詰めた静寂。軍配が鮮やかに返る。
「――はっけよい!」
「ぬんっ!!」
ドンっ!!!!!
衝突音がガラガラの館内に響く。
だが、大岩郷は驚異的な低さで俺の突進の下を潜り込み、115キロの肉体を低く鋭く差し込み、俺の長い足を払うように突き起こしてきた。
「ぐっ……!」
さすがはプロのベテラン。体は小さくとも、下から的確に重心を奪いにくる圧力と角度がこれまでの相手とは段違いだ。俺の身体が一瞬、のけぞりそうになる。
だが、俺の132キロの質量はびくともしない。
俺は無言のまま、長い腕を上から大岩郷の背中へ回すと、万力のような力でその体を強引に抱え込んだ。そして、上からの重圧だけで、ベテランの低い押しを力ずくで圧殺した。
大岩郷の顔が、上からの凄まじい重圧に驚愕で歪む。
動きの止まった大岩郷を、俺は規格外の出足でそのまま正面から寄り切った。
抵抗する術を奪われた大岩郷の身体が、一気に勝負俵の外へと転がり落ちる。
「勝負ありっ、轟」
行司の軍配が、俺の方を指してピシッと止まった。
勝った。
7戦全勝。五月場所、序ノ口全勝優勝の達成だ。
その瞬間、静まり返っていた朝の国技館から、割れんばかりの拍手と「おおおおおっ!」という大歓声が沸き起こった。
俺はただ淡々と一礼し、息を整えながら土俵を降りる。勝ち誇る言葉は口にしない。しかし、額を全開にしたその横顔には、自分の体格と力がプロの世界でも完全に通用するという、底なしの、揺るぎない自信が静かに刻まれていた。
花道の奥へ戻ると、満吉が涙目を浮かべて待っていた。
そして、そのさらに奥の薄暗い通路には、腕を組み、悔しさと焦燥に満ちた目でこちらを睨みつける御剣の姿があった。
俺は御剣の視線を正面から受け止め、不敵に小さく笑ってみせた。
(待っていろ、御剣。すぐにお前の正面に立ちに行く)
地元・両国の空の下、規格外の怪物の進撃は、ここからさらに加速していく。
(第20話・了)
序の口で優勝したときの報酬は、日本相撲協会から支給される公式の賞金として「10万円」です。




