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地の底に根を張る足腰

誰もいない空間へ、俺の身体が突っ込んでいく。


土俵の境界線である俵が、目の前に迫る。


普通なら、自分の前進する勢いを制御できず、そのまま土俵下へと無様に転がり落ちていく場面だ。横にかわした岩波の顔に、「かかったな、ガキが」という薄ら笑いが浮かぶのが、スローモーションのように見えた。


だが――俺の肉体は、数ヶ月前のそれとは違っていた。


「……ぬんっ!」


俺は鼻から短く息を吐き出すと、132キロの体重を、限界まで低く、真下へと落とし込んだ。


荒磯部屋のあの冷たい砂の上で、毎日毎日、それこそ気が遠くなるほど繰り返してきた地道な四股。親方に「もっと腰を割れ」と言われ続け、琴音のちゃんこを腹に詰め込んで作り上げた、強固な太腿の筋肉がここで爆発する。


ピタ、と音がするような感覚だった。


俺の足の裏が、土俵の砂を強烈に噛む。


勢い余って前へ倒れそうになる上半身を、地の底に根を張ったような下半身が、土俵のわずか数センチ手前で強引に静止させた。


「――なっ!?」


背後から、岩波の驚愕の引きつった声が聞こえた。


変化して避けたはずの196センチの巨体が、倒れもせず、落ちもせず、土俵際でピタリと踏みとどまっている。


俺はゆっくりと上体を起こし、踵を返した。


喋らない。ただ、まだ髷も結えない無骨な顔で、岩波を真っ直ぐに見据える。その剥き出しの鋭い両眼には、怯えも焦りも一切なかった。ただ、冷徹なまでの絶対的な自信だけが宿っている。


その無言の威圧感に、岩波の顔から一瞬で余裕が消え失せ、恐怖の色が広がった。


一歩、前へ踏み出す。

今度は逃がさない。


慌てて体勢を立て直そうとする岩波の懐へ、俺の分厚い手のひらが迷いなく伸びる。岩波が突き放そうともがくが、132キロの肉体はびくともしない。


ガシッ、と目の前の黒いまわしを、俺の大きな手が容赦なく掴み取った。

俺はそのまま、規格外の馬鹿力で岩波の身体を強引に引きずり戻した。


抵抗する力ごと飲み込むような、圧倒的な寄り。岩波の足が土俵の砂を滑り、そのまま一気に、土俵の外へと突き出された。


「……勝負あり、轟」


行司の軍配が、俺の方を指してピシッと止まる。


勝った。


本場所、最初の白星だ。


勝負が決まった瞬間、朝のまばらな客席からは、拍手よりも先に「おおお……っ!」という地鳴りのような、低いどよめきが沸き起こった。


「おい、見たか今の足腰……」


「あの巨体で変化に残るか普通……」


土俵下に控える審判の親方衆も、目の肥えたわずかな好角家たちも、言葉を失って俺の体格を凝視している。


俺は行司から勝ち名乗りを受け、いつも通り、淡々と一礼して土俵を降りた。


息一つ乱れていない。勝ち誇るでもなく、ただ当然の結果を出したという顔で、花道の奥へと歩みを進める。


「ご、轟っ……! お前、バケモンかよ!」


花道の奥で待っていた満吉が、顔を真っ赤にして駆け寄ってきた。興奮のあまり、声が裏返っている。


「完全に裏をかかれたのに、なんであそこで止まれるんだよ! 普通の新人なら一発で土俵下にまっさかさまだぜ!?」


満吉が自分のことのように大騒ぎするのを、俺は汗を拭いながら、低く、ずっしりとした声でなだめた。


「毎日、親方に言われた通りに四股を踏んでいるからな。満吉が言った通り、あのベテラン、本当に横に変わってきた。教えてくれてありがと」


「い、いや、俺のデータが生きたのは嬉しいけどさ……。普通は分かってても残れないんだって」


満吉は呆れたように首を振ると、少し声を潜めて言った。


「なぁ、怖くなかったのか? プロの最初の本場所で、いきなりあんな手を使ってこられてさ」


俺は、自分の132キロの分厚い肉体を見つめ、それから不敵に真っ直ぐ笑った。


「怖くないよ。むしろ、よく分かった。プロの先輩でも、俺のパワーがそんなに怖いんだな。だから、正面からぶつかるのを避けて逃げるんだ。……だったら、次からは逃げる隙も与えずに、もっと早く、正面から叩き潰すだけだ」


その言葉に、満吉は息を呑み、それから「……やっぱりお前、大物だわ」と降参したように笑った。


朝の静まり返った国技館。


一般の客はまだ少ない。だが、土俵の周りにいたプロの人間たち――親方衆、スポーツ紙の記者、そして他部屋の力士たちの目には、初陣で『変化』を力ずくで圧殺した『轟』という怪物の名前が、静かな戦慄と共にハッキリと刻み込まれたのだった。


(第14話・了)


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