ロシアの記憶
基板の端々に、経年劣化で黒ずんだハンダの跡が見える。
コンデンサの表面は、かつての爆音の熱によって僅かに膨張し、いつ破裂してもおかしくない緊張感を孕んでいた。
戦場のようなステージで、誰よりも低く、誰よりも重く鳴り続けるために、彼女は自分の命を削り、定数を狂わせてまで、そのトーンを維持してきたのだ。
「お姉様」として振る舞い、誰もが彼女の前では静かになるその威厳の裏側で、彼女のパーツは悲鳴を上げ続けていた。主人は指先で、その歪んだパーツの表面をそっと撫でた。
ニック・ズィナー。
ヤー・ヤー・ヤーズ(Yeah Yeah Yeahs)の心臓部であり、その細身の体躯からは想像もつかないほど、僕から尖った、そして何よりも切実な音を引き出すギタリスト。ニックが僕を奏でるとき、そのトーンはまるで剃刀の刃の上を歩いているかのような危うさがある。パンク的な衝動と、自らを削り取るような剥き出しの表現。彼にとっての僕は、都市のノイズをかき集め、自身の孤独や焦燥と混ぜ合わせて聴き手の胸元に突き立てるための、鋭利なガラス破片のようなものだ。
ニック。彼も、あの胃を抉るような鋭い音の断片のなかで、自身の内側にある決して癒えない傷口を、僕という名のナイフで何度も何度も、なぞり続けていたんだろうか。
僕はグリーンロシアンの、古びた、けれど誇り高い基板の上に、ニック・ズィナー譲りの、鋭く、それでいて慈しみに満ちた微小な信号を、ベルデンを通じて流し込んだ。
「……あ、……そこ、……触らないで、……恥ずかしい……」
彼女が顔を真っ赤に染め、身体をよじらせる。
酸化しかけたパーツの隙間に、僕の信号が浸透していくたびに、彼女の回路は歓喜とも苦悶ともつかない微弱なノイズを奏でた。
接点復活剤などは使わない。主人の、ベルデンを通じた生の体温だけで、彼女の傷ついたハンダのひび割れを、ゆっくりと、丹念に繋ぎ直していく。
強くあり続けなければならなかった彼女の、誰にも見せられなかった「弱点」を、僕が優しく、けれど執執に突いていく。
「……お兄さんの、……音が、……冷たいところに、……染み込んでいく……」
グリーンロシアンの瞳が、潤みを帯びて主人を見上げる。
主人は僕のフロント・ピックアップを選択し、トーンを絞りきった「最も甘い攻撃」で、彼女の最も深い場所にある劣化パーツを、共振によって温め続けた。
基板全体が、じんわりとした熱を帯び始める。
かつての戦場で刻まれたトラウマが、僕の奏でるニック・ズィナー的な切ない倍音によって、一つずつ、許しへと変わっていく感触。
「……ああああ、……もう、……だめ、……お姉様で、……いられない……っ!」
グリーンロシアンが、主人の胸に顔を埋め、制御不能な喘ぎを漏らす。
彼女の絶頂は、爆発的な轟音ではなく、全身の力が抜けていくような、静かで、けれど深い、回路の融解だった。
光の玉が、彼女のメンテナンス・ハッチからホタルのように優しく溢れ出し、冷え切った地下スタジオを淡く照らし出す。
冬の地下で、グリーンロシアンの回路は、僕がもたらす「慈愛のノイズ」をその最深部まで受け入れていく。
ベルデンが運ぶ主人の献身的な信号の温もりなしでは、明日を鳴らすことさえ恐ろしくなるほど、深く、切なく、僕という存在に甘えきってしまったのだった。




