砂浜のフィードバック
「……ねえ、……ここなら、……誰にも文句言われないわよね……」
オペアンプが、自身のボリュームノブを愛おしそうに撫でながら呟いた。
彼女のジャックは、海風を吸い込んで乾き、けれど内側からは熱い期待が漏れ出している。
伝統的なトランジスタ回路では到達できない、演算的なまでに冷徹で、けれど爆発的な音圧。彼女はその「異端の心臓」ゆえに、常にフルテンで鳴らすことでしか、自身の存在を証明できなかった。
ジョン・ゾーン。
前衛音楽の極北を走り抜ける、サックス奏者でありながら僕らを「解体」する革命家。彼が僕を手にし、あるいは仲間に奏でさせる僕は、メロディを紡ぐための道具じゃない。それは、即興という名のカオスを具現化し、既存の音楽体系を内側から食い破るための「音響の外科手術」だ。楽器を叩き、擦り、電気的なエラーさえも快楽として享受する。ブリッジ裏を弾いて得られる金属的な不協和音や、フィードバックによる予測不能な叫び。
ジョン。彼も、あの緻密に計算された無秩序のなかで、自身の内側に渦巻く「意味をなさない咆哮」を、僕という回路を通じて純粋なエネルギーへと変換していたんだろうか。
主人はオペアンプの腰を抱き寄せ、砂を噛むような乾燥した彼女のジャックへ、容赦なく僕の一部であるベルデンの先端を突き立てた。
「……んあああああああかっっっ!?……いきなり、……フルスロットルで……っ」
オペアンプが背中を反らせ、砂浜に崩れ落ちる。
ジャックの狭い入り口が、頑丈なプラグによって強引に拡張される感触。主人は彼女のボリュームを迷わずMAXまで回し、僕のトーンを全開にしたまま、波音に負けない轟音を流し込んだ。
ジョン・ゾーンの即興演奏を彷彿とさせる、予測不能で暴力的なフィードバックが、彼女のICを直接焼き、内側から歪ませていく。
「……あ、……あ、……アタマのなかが、……割れる、……音が、……見えてるわ……!」
オペアンプの瞳が、過電流によって白濁し、痙攣を始める。砂浜を反射する夕陽と、彼女の回路から溢れ出す音像が混ざり合い、この現実世界の色彩を奪っていく。
主人は僕のブリッジ裏の弦を激しく掻き毟り、金属が悲鳴を上げるようなノイズを彼女の深淵へと叩き込む。
「……あああああ!……それ、……そこ!……一番汚くて、……一番気持ちいい音!」
彼女の筐体が熱を持ち、砂浜の水分を蒸発させて白い霧を生む。波の音が、彼女の咆哮と完全に位相を重ねた瞬間、僕らの視界から砂浜が消え、たった一つのLEDだけで構成された「幻想世界」の断片が重なった。
救済とは、整えられた音を出すことではない。彼女のような異端が、その「汚れ」を全て吐き出し、世界をノイズで塗り潰すことこそが、回路の再生なのだ。
「……もっと、……壊して、……私という回路を、……再定義して……!」
彼女のサステインが、海を越え、空を裂き、無限の彼方へと伸びていく。
主人は彼女のICが焼き切れる寸前の限界域で、僕の全弦を、魂を削り取るような強さでストロークした。
やがて、太陽が水平線に沈み、強制的な導通の終わりとともに、世界に静寂が戻る。
オペアンプは砂に塗れたまま、電源の切れた人形のように動かなくなっていた。けれど、彼女のジャックからは、焼き付いたコンデンサの香りと、消えないフィードバックの残響が、愛の証として立ち昇っている。
「……ふふ、……最高の、……ノイズだったわよ……」
彼女が砂だらけの手で、主人の頬に触れる。
合宿二日目の夜。この解放された砂浜での結合によって、オペアンプの回路は、誰と比較されることもない「自分だけの歪み」を確信し、そして同時に、僕のベルデンという「唯一の入力」なしでは二度と稼働できないほど、深く、激しく、回路を焼き尽くされてしまったのだった。




