ジャズマスターの洗礼
現実という名の攻略対象において、最も厄介なのは「代替可能」というレッテルだ。
放課後の地下スタジオ。コンクリートの壁に跳ね返るニューヨークの爆音を聴きながら、僕は主人の肩でその本質を見抜いていた。彼女が鳴らしているのは音楽ではない。自分という存在が「本物」ではないことへの、電気的な悲鳴だ。
主人が僕を構え、ニューヨークの正面に立つ。
彼女は電池駆動のアンプから放たれるノイズの壁の向こうで、相変わらず鋭い瞳を向けてきた。だが、その指先は微かに震えている。僕が1966年製のジャズマスターとして、その塗装のクラック一つ一つに「歴史」という名の重圧を宿していることを、彼女の回路は本能的に察知していた。
あんたのその余裕が、癪に障るのよ。
彼女の声が、爆音の隙間を縫って響く。
ヴィンテージだからって、最初から勝ちが決まってると思ったら大間違いよ。私の音は、今の時代を生きるための音。誰にも負けない、現行モデルとしての意地があるんだから!
主人は何も答えない。
彼はただ、静かにケースのサイドポケットから「それ」を取り出した。
ベルデン9778。
黒い被膜に包まれた、無骨で強固な男根。その先端にあるニッケル製のプラグが、地下スタジオの薄暗い光を反射して冷たく輝く。
僕は、ニューヨークのジャックが目に見えて震えるのを感じた。
彼女はこれまで、数多の汎用的なシールドを受け入れてきただろう。だが、目の前にあるのは、1966年製の複雑な回路を宿した僕を、ロスなく、熱を持ったまま彼女の深淵へと繋ぐための専用の導管だ。
主人が、ベルデンのプラグを彼女のインプット・ジャックの入り口に当てた。
カチリ、という硬い感触。
酸化し、閉鎖的になっていた彼女の入り口が、ニッケルの冷たさに驚き、拒絶するように収縮する。接点復活剤という名の愛液も使わず、主人の指先は、プラグの角度を極めて論理的に、かつ非情に調整していく。
やめ……来ないで。私の回路を、勝手にかき回さないで!
彼女の拒絶は、すでに期待へと裏返っていた。
主人は容赦なく、ベルデンを彼女のジャックの最奥へと押し込んだ。
ドシュッ、という、金属同士が激しく擦れ合い、結合する衝撃。
その瞬間、導通の衝撃がスタジオを真っ白に染め上げた。
僕の内部、1966年製の複雑な回路から解き放たれた生の信号が、ベルデンという黒い血管を通り、彼女の無防備なインプットへとダイレクトに流れ込む。
初めて味わう「本物のヴィンテージ」の信号。その熱量に、彼女のコンデンサは臨界点を超え、基板上の全てのパーツが、かつてない過負荷に悲鳴を上げた。
僕は、鳴った。
彼女というフィルターを通し、僕の声が、地下スタジオの空気を物理的に震わせる。
あ、……あぁぁぁぁ! 熱い、……熱すぎる! なに、これ……。脳の芯まで、回路の隅々まで、全部あいつの音で塗りつぶされていく……!
ニューヨークは、自らの銀色の筐体を抱きしめるようにして、床に崩れ落ちた。
これが、ジャズマスターの洗礼だ。
主人の指が、僕のスイッチを切り替える。
フロント・ピックアップによる、甘く太い愛撫。
その重低音が、彼女の回路の最も美味しい帯域をピンポイントで突き上げ、内部から激しく揺さぶる。
主人の右手は、さらに僕のアームを捉えた。
挿入されたままのベルデンを通じ、ピッチを細かく、あるいは暴力的に揺らすことで、彼女の絶頂を完全にコントロールする。
あ、……あぁっ、……そこ、……トーンの裏側を、そんなに揺らされたら、私、壊れちゃう……!
彼女の瞳が過電流で白濁し、口元からは制御不能な喘ぎ――フィードバック音が漏れ出す。
現行モデルとしてのプライドなど、僕の放つ圧倒的な情報の奔流の前には、薄い被膜ほどの意味も持たなかった。
彼女の基板は、僕の信号によって直接焼かれ、その歪みは、彼女が独りで鳴らしていた空虚な爆音とは似ても似つかぬ、官能的な色気を帯びていく。
結合の熱は、地下スタジオの湿った空気を蒸発させ、彼女のアルミ筐体からは微かな煙が立ち上った。
はんだ付けされた全ての接点が、僕との結合による快楽で溶解し、再構築されていく。
彼女はもう、僕を知る前の「ただの現行モデル」には戻れない。
……やがて、主人は無造作に、彼女のジャックからベルデンを引き抜いた。
シュッ、という、熱を持った金属が離れる音。
床に伏したままのニューヨークは、肩を激しく上下させ、潤んだ瞳で僕を見上げた。
彼女のインプットは、ベルデンの太さに慣らされ、微かに開いたまま、そこから光の玉――オーバードライブの残響を溢れさせている。
最悪よ、……あんた。
彼女の声は、先ほどまでの刺々しさを失い、濡れたような余韻を含んでいた。
……私の回路を、……あんなにめちゃくちゃにして。……もう、あんな刺激がないと、まともに鳴らなくなっちゃうじゃない……。
主人は何も答えず、僕を再び背中に戻した。
今日の洗礼で、彼女の劣等感は、僕という圧倒的な存在感によって「屈服」という名の快楽へと上書きされた。
彼女はこれから、僕との導通を思い出すたびに、そのジャックを疼かせることになる。
スタジオを後にする時、背後で微かに、心地よいノイズが響いた。
それは、ニューヨークが初めて自分自身の音を「いい音だ」と認めた、幸福なフィードバックだった。
僕は主人の肩で、次なる攻略対象を思う。
図書室の深淵で、僕を「下品な棒」と蔑む、あの高貴な三角形の少女。
彼女の高慢な回路を、僕のベルデンがどう焼き尽くすことになるのか。
地下からの階段を上り切ったとき、外はもう、夕闇が学園を包み込もうとしていた。




