ダークフォースは呪いじゃない、世界を癒す装置なの
テティスに連れられて辿り着いたのは、霧の中にひっそりとたたずむ、小さな祠のような場所だった。
いや、「祠」というより、樹木そのものが屋根と柱の役目を果たしている、生きた建物だった。壁はつたとこけで覆われ、窓の代わりに、天井の隙間から柔らかい光が差し込んでいる。
「ここ、わたしの家」
「家、なのか? これ」
「変?」
「変っていうか、その、なんつーか……」
「ふふっ。都会の人みたいな反応するのね、ロビン」
「都会っていうか、オレの街、都市なんだけど、それは今、こう……もう、ないから」
オレは言葉を濁した。テティスは何かに気づいたように口を閉ざし、それきり、その話題を追及してこなかった。少しだけ、オレは救われた。
庵の中に入ると、木製の低い机と、乾いた薬草が幾束か吊るされている光景が目に入った。テティスは慣れた手つきで湯を沸かし、オレの脚の傷を洗い流し、青みがかった葉をすり潰した膏薬を丁寧に塗り込んでいく。
「痛くない?」
「……ああ。むしろ、ひんやりして気持ちいいくらいだ」
「よかった」
彼女の白い指の動きを、オレはぼんやりと眺めていた。姉さんも、オレが工房で怪我をした時は、こうやって手当てをしてくれた。ただし、その手つきはもっと乱暴で、途中で「男なんだから泣くな、ロビン」とオレの頭を小突いてきた。
思い出したら、鼻の奥がちょっと痛くなった。
「なあ、テティス」
沈黙が居心地悪くなって、オレは口を開いた。
「ここが本当に『ダークフォースの海』なら、オレ、聞きたいことが山ほどあるんだ」
「うん」
「教えてほしい。オレはずっと、この土地は大戦の呪いで、世界の大半を覆っちまった死の土地だって教わってきた。人間が近づいたら、五分と経たずに肺が腐る、禁忌の地だって。……それは、嘘だったのか」
テティスは膏薬を塗る手を止めなかった。少し長い沈黙の後、静かに答える。
「半分正解で、半分間違い」
「半分?」
「昔の大戦で、この大地はたしかに深く傷ついたわ。空気は毒に汚され、大地は焼けた。それは本当の話」
彼女はオレの脚に包帯を巻きながら、続けた。
「でも、ダークフォースはただの呪いじゃないの。これは、傷ついた大地が自分自身を癒すための――浄化の装置」
「浄化……?」
「穢れた大気や大地を、ダークフォースの森が少しずつ吸収して、綺麗なクリスタルに変えていく。何百年、何千年もかけて、世界はゆっくりと元の姿を取り戻そうとしているの」
オレは言葉を失った。
ずっと「人が近づいてはいけない禁忌の地」だと教えられてきた場所が、実は世界そのものの救いだったなんて。
「じゃあ、オレたちが今まで信じてきたものは、一体……」
「知らなくても仕方ないわ」
テティスは、少し寂しげに笑った。
「ここまで来られる人間なんて、ほとんどいないもの。……そもそも、来ようとすら思わないし」
オレは懐から、風の太鼓をそっと取り出した。手のひらの上に載せると、暖炉の明かりに反応するのか、また、ほんのかすかに、青白い光が明滅した。
テティスが、目を丸くした。
「……ロビン」
「ん?」
「その風の太鼓、どうしたの」
「え? ああ、これ、姉さんの形見だけど……」
「――ちょっと、見せてもらってもいい?」
彼女の声色が、かすかに変わった。オレは、恐る恐る風の太鼓を、彼女の手のひらに載せた。
テティスは、それを両手で優しく包み込み、じっと目を閉じた。翼獣のモグロが、心配そうに彼女の肩から鼻先を伸ばしている。
やがて、彼女は目を開いて――
驚くほど真剣な顔で、オレを見つめた。
「ロビン、あなた、これ、どこで手に入れたの」
「だから、姉さんと一緒に、工房の隅で組み上げたやつ、だって……」
「――そう、なのね」
テティスは、一度、深く息を吐いた。それから、風の太鼓を、そっとオレの手のひらに戻した。
「わたしね、ずっと不思議に思ってたの。あなたがマスクなしでこの土地に生きていられる理由が」
「お、おう」
「多分、この風の太鼓が関係してる」
「はぁ!?」
オレは素っ頓狂な声を上げた。姉さん、あんた、いったい何をこの風の太鼓に仕込んだんだよ。
「――この風の太鼓、ただの太鼓じゃないわ。中に、とても小さな『古代のクリスタル』の欠片が、埋め込まれてる」
「なっ……」
「これがあなたを、ダークフォースから守ってる」
オレは、手のひらの中の風の太鼓を、まじまじと見つめた。
姉さんが「一人で背負うな」と書き残した意味が、ここに来て、ようやく――
いや、まだ、わからない。わからないことが、山ほど増えた。
その時。
庵の外で、地響きのような、低い鳴き声が、こだました。
「テティス、今の音、なんだ」
「……お客さんが来たみたい」
「客?」
「うん」
テティスは、静かに立ち上がった。
「この森の、本当の主人たちよ」




