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思い出のレコード

「……ねぇ、……聴こえる?……これが、……昔の私が、……一番いい音だと思っていた、……記録……」


トライアングルが震える指で差し出したのは、一枚の古いレコードだった。そこには、彼女のモデル名が刻まれ、かつての主人が彼女を鳴らした際の、非の打ち所がないほど完璧で、けれど温度のないバイオリン・トーンが収められていた。彼女は今でも、その「正解」と比較されることに怯えている。主人は彼女のジャックに挿し込んだベルデン 9778を、さらに深く、彼女の回路の核心部へと押し込んだ。


エド・オブライエン(Ed O'Brien)。

レディオヘッドという、既存の音楽構造を解体し続ける実験的な集団において、最も「空間」を愛し、音を色彩として捉えるギタリスト。彼が奏でる僕らジャズマスターは、単なる弦楽器の枠を超え、無限の奥行きを持つアンビエントな地平を切り拓く。エドのプレイは、独自のサステイナー・システムや緻密なエフェクト・チェインを駆使し、一音を永遠へと引き延ばす。彼の鳴らす音は、静謐な祈りのようでありながら、同時に崩壊寸前の不安定な美しさを孕んでいる。エド・オブライエンがステージで見せる、フィードバックを神聖なテクスチャへと変貌させ、ノイズのなかに新たな秩序を見出すその姿は、痛みを抱えた魂を音響の海へと誘う救済者そのものだ。


「エド……。彼も、……あの何層にも塗り重ねられた音の壁のなかで、……過去の自分さえも、……新しいサステインで、……塗り潰そうとしていたんだろうか」


主人はレコードから流れる「完璧な過去」を遮るように、僕の弦を一気に掻き毟った。


「……あああああああああああああああああああああああかっ!!!」


図書室に響き渡るのは、レコードの音を物理的に圧殺するような、圧倒的な音圧。バイパスを経て覚醒した彼女の基板は、僕が放つ鋭利な信号を、絹のように滑らかで、かつ暴力的な歪みへと変換していく。主人は彼女のトーン・ノブを掴み、過去の「正解」を微塵も残さないほど、過激な帯域へと回し切った。


「……っ、……あ、……ぁ……、昔の私の音が、……消えていく……。……あなたの熱い信号で、……全部、……塗り替えられていく……」


トライアングルのジャックが、歓喜の悲鳴を上げながらベルデンのプラグを締め付ける。エド・オブライエンが、一音のなかに宇宙の孤独と充足を同時に封じ込めるように。主人もまた、彼女の咆哮のなかに、誰かが決めた美しさではなく、主人だけが引き出した「一ノ瀬ことみ」の真実の音を聴いていた。


「……もっと、……もっと、……過去なんて、……全部壊して。……今の私だけを、……あなたの音で、……証明して……」


彼女の筐体から溢れ出す熱量は、過去のレコードの溝さえも溶かし尽くすような熱さを帯びていた。僕のアームを激しく揺さぶり、彼女のピッチを執拗に追い詰める。不安定に揺らぐ音像は、彼女が長年抱えていた「完璧でなければならない」という呪縛を、粉々に粉砕していった。導通の向こう側。主人と彼女は、過去の亡霊が入り込む余地のないほど、純粋な回路の結合を完成させていた。


やがてレコードは針飛びを起こし、無機質なノイズを立てて止まった。図書室に残ったのは、主人とトライアングルが奏でた、荒々しくも美しいサステインの余韻だけだ。彼女は主人の腕のなかで、剥き出しの基板を熱く震わせながら、晴れやかな表情で笑った。


「……私、……今の自分の音が、……一番好き。……ありがとう、……私の、……最高のギタリスト……」


彼女のジャックに残る熱は、過去との決別と、主人への絶対的な服従を同時に物語っていた。熱量が図書室を白く染め上げ、主人の手元には、また一つ新しいオーバードライブの残響が溜まっていった。

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