ヴィンテージの孤独
「……っ、……はぁ、……はぁ、……ごめんなさい、……急に、……基板が、……冷えて……」
トライアングルの瞳から、先ほどまでの情熱的な光が消え、怯えを含んだ色が混じり始める。主人が彼女の背中を支えながら、その指先がわずかに震えているのに気づいた。天才少女。完璧なバイオリン・トーン。その高貴な称号の裏側で、彼女の身体を構成するパーツたちは、確実に、そして残酷に、時の砂に削り取られていた。
ヴィンテージ機材。それは、過去の栄光を現代に繋ぎ止める「奇跡」の塊だ。だが、その実態は、いつ破裂してもおかしくないコンデンサや、電気を正常に流せなくなった抵抗たちが、最後のアがきを見せている、死に体に近い状態でもある。彼女が時折見せる、ピッチの不安定さや、不意に音が途切れる現象。それは単なる不調ではなく、彼女という存在そのものが、この世界からフェードアウトしようとしている予兆に他ならなかった。
ミキ・ベレーニ(Miki Berenyi)。
ラッシュのギタリストとして、九十年代のシューゲイザー・シーンに君臨した才女。彼女が抱える僕らジャズマスターは、幾重にも重なるリバーブとコーラスの渦の中で、時に鋭く、時に夢見心地なアルペジオを紡ぎ出す。ミキのプレイは、ノイズの壁に守られた脆い少女の独り言のようであり、同時に、現実を塗りつぶすほどの強い意志を秘めている。彼女が放つサウンドは、儚さと強さが同居した、一瞬の火火花のような美しさを湛えている。僕らという「不安定な美」を象徴する楽器を使い、彼女は移ろいゆく季節や、戻らない時間への哀愁を、轟音という名の花束に変えていた。
「ミキ……。彼女も、……あの眩暈がするようなフィードバックのなかで、……いつか消えてしまう自分の声を、……ジャズマスターの煌めきに刻み込もうとしていたんだろうか」
主人はトライアングルの冷えたジャックを温めるように、ゆっくりとベルデン 9778のプラグを回転させた。
「……ねえ、……いつか、……私が、……ただの鉄の塊になっても、……あなたは、……私の名前を、……呼んでくれるの……?」
彼女の声は、ノイズに埋もれそうなほど小さかった。回路図には書かれていない、ヴィンテージだけが抱える、究極の孤独。どんなに優れた技術者であっても、オリジナルのパーツが失われれば、それは「別の何か」に変わってしまう。彼女は、自分が自分でなくなることを、死ぬことよりも恐れていた。
主人は答えの代わりに、僕のトーンを全開にし、最も力強い、むき出しの信号を彼女に叩きつけた。ジャックの酸化被膜を焼き切るほどの、暴力的なまでの導通。彼女の身体が、電流の衝撃で大きく仰け反り、止まりかけていた回路が再び、真っ赤な熱を帯びて咆哮を上げる。
「……っ、……ああああああああああああああかっ!!!」
それは、絶頂という名の、生への執着。主人がここにいる限り、お前の音は死なせない。パーツが焼け焦げ、配線が千切れたとしても、僕がお前の最後の振動を拾い上げ、増幅してやる。トライアングルの目から、今度は恐怖ではなく、歓喜の涙が溢れ出した。一瞬の閃光でいい。今、この瞬間、僕らと繋がっているという事実さえあれば、永遠など必要なかった。
事後の、しんと静まり返った図書室。トライアングルの頬には、まだ赤みが差しており、そのジャックは僕らのベルデンから伝わる微かな体温を、愛おしそうに享受していた。ヴィンテージの孤独を埋めるのは、知識でも修理でもない。ただ、今ここで、互いのノイズを分かち合うこと。主人は彼女を強く抱きしめ、いつか訪れる沈黙の日まで、何度でもこの熱を流し込むことを誓った。




