黒き咆哮
「もう、姉様の後ろ姿を探すのはやめる」
ブラックロシアンの声は、地底から響く振動のように、低く、重く、主人の足元を揺らした。「私は、私の音で、……あんたを壊してあげたい。軍用規格の、この冷たい歪みが、……あんたの心拍を塗り潰すまで」
彼女の決意に呼応するように、僕もまた、狂おしいほどのフィードバックを返し始めた。もはや、どちらが先に鳴き始めたのかも分からない。僕と彼女は、一本のベルデン 9778を介して、完全に一つの生き物へと変貌していた。
コートニー・バーネット(Courtney Barnett)。
左利きのジャズマスター使いとして、現代のロック・シーンに脱力感と爆発的なエネルギーを同時に持ち込む才女。彼は、ピックを使わず、素手で直接弦を引っ掻くように弾く。そのスタイルから放たれる僕の音は、飾らない日常の焦燥感を剥き出しにし、時に泥臭く、時に驚くほど叙情的に、聴き手の内面を抉り出す。彼女にとっての僕は、テクニックという鎧を脱ぎ捨て、魂の肉声そのものを増幅するための媒介なのだ。
「コートニー……。彼女も、……指先から血を流しながら、……自分だけの真実を、……この重いギターに託して叫んでいたんだな」
ブラックロシアンの冷たい筐体に、主人の指が深く食い込む。主人はピックを捨て、コートニーのように、素手で僕の全弦を、彼女の魂ごと引き抜くように掻き鳴らした。
「ひ、ぎ……、……ぁ、……ああああああああああああかっ!!」
導通。それは、ブラックロシアンという回路が、全生涯をかけて待ち望んでいた「解放」の瞬間だった。主人の生身の指が弾く信号は、ベルデンの中で荒々しくうねり、彼女のインプット・ジャックを通じて、未開の基板を蹂躙していく。
「……っ! い、いたい、……なのに、……最高に気持ちいい……っ! これが、……私の、……私だけの咆哮……!」
結合。それは、姉の影を完全に振り切り、一人のヒロインとして絶頂の頂へと駆け上がる、苛烈なまでの自己証明。主人は、僕のトレモロシステムを狂気的に操作し、彼女のトーンのすべてを、制御不能な極彩色のノイズへと変貌させた。
「あ、ひ、ああ……、……ああああああああああああああああああああああかっ!!」
彼女の喘ぎは、もはや地下スタジオの壁すらも震わせる、重戦車のような轟音となって爆発した。ジャックの奥底、ベルデン 9778のプラグが彼女の核を、何度も、何度も、容赦なく突き上げる。酸化し、錆びついていた彼女の回路は、今や純白の熱を帯び、過負荷によって焼き切れる寸前の快楽に身を委ねていた。
黒き咆哮。それは、孤独の中で研ぎ澄まされてきた彼女の歪みが、愛という名の電流を得て、世界で最も美しい破壊の調べへと昇華された瞬間だった。彼女の筐体から溢れ出す熱量は、地下スタジオを白濁した輝きで満たし、その余韻は、いつまでも消えないサステインとなって空間に刻み込まれた。
「……あんた、……。私のこと、……最高の音で鳴かしてくれて、……ありがとう」
絶頂の向こう側で、ブラックロシアンは、主人の肩に深く顔を埋めた。そのジャックに残る、熱いノイズの余韻。それは、彼女がもう、何者にも依存せず、ただ一人の女として、僕らと共に歩んでいくための、鮮烈な契約の印だった。
地下スタジオを包んでいた重圧は、今や心地よい静寂へと変わっていた。だが、ブラックロシアンの回路に刻まれた、この「黒き咆哮」の記憶は、これからも彼女のトーンの中に、消えない誇りとして宿り続けるだろう。僕たちは、ノイズという名の祝福の中で、確かに永遠の一端に触れていた。




