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ガラモンドの兄弟と、マナの樹の芽

辺境領パンドーラに、二人目の来客があったのは、姉さんの花が二度目の蕾をつけた朝だった。


「――よう、ロビン。相変わらず、ひでえ顔してんな」


丘の下から、松葉杖代わりの太い杖を突いて、赤髭の大男が上ってきた。その半歩後ろで、うちの弟弟子のタラールが、荷袋を背負って、ぜえぜえと息を切らしていた。


「ヘクターさんっ! あんた、ポトスの復興、ほっぽり出してきたのかよ!」

「馬鹿野郎。区切りがついたから、来たんだ」


ヘクター・ガラモンドは、そう言って、オレの頭を、あの、痛いくらいの力で、がしがしとかき回した。四十過ぎの偏屈な赤髭。オレの、親父代わりの男。あの日、ポトスの瓦礫の下で「肩の骨が逝ってるだけだ、死にゃしねえよ」と笑った、その言葉通りに、この人は、しぶとく生き延びていた。


「ヘクターさん」

「なんだ」

「あんたに、聞かなきゃいけないことが、山ほどあるんだ」


オレの声色が変わったのを、ヘクターは、すぐに察したらしい。太い眉が、ぴくりと下がった。


「――ガラモンド」


オレは、ゆっくりと、その名を口にした。


「あんたと、ジャッカル。姓が、同じだ。オレはずっと、あの帝都の塔で、姉さんの仇の名前を聞いた時から、それが、喉に刺さった小骨みたいに、取れなかった」


ヘクターは、しばらく、答えなかった。それから、松葉杖代わりの杖を、地面に、ことん、と置いた。


「――ロビン。お前、あの日、オレが、瓦礫の下で、最初に、何て言ったか、覚えてるか」

「――『ロック』」


オレは、頷いた。ずっと、忘れられなかった。あの、血まみれの口が、震えて、絞り出した、その一言。


「オレはずっと、あんたが、『ロビン』って呼ぼうとして、噛んだんだと思ってた。でも、違うんだな」

「――ああ、違う」


ヘクターは、遠くの、ダークフォースの海が後退していった、青い草原の方を、見た。


「ロック・ガラモンド。……オレの、七つ下の、弟の、名前だ」


オレは、息を、呑んだ。


「あの朝、ポトスの空に浮かんだ戦艦を見た瞬間、オレは、悟った。あの、民間区画だけを、わざと狙う、腐った撃ち方。……あれは、あいつの、やり口だ。オレの、弟の、ロックの」

「――ジャッカルの、本名が、ロック」

「そうだ。……あいつは、家を出て、帝国に入って、名前を捨てた。『ジャッカル』ってのは、あいつが、統括システムに拾われた時に、与えられた、実行手としての、呼び名だ」


オレは、拳を、握りしめた。全ての線が、今、音を立てて、繋がっていく。


「ガラモンド家は、代々、統括システムの『実行手』の末裔――」

「あいつが、そう言ったか」

「ああ。帝都の塔で。……『私は、その最後の当主だ』って」

「――最後の、ね」


ヘクターが、乾いた笑いを漏らした。それは、初めて聞く、彼の、悲しい笑い方だった。


「あいつは、オレを、勘定に入れてねえのさ。……オレが、家を捨てたから」


―――――


オレたちは、ザッハークの家の暖炉の前に、腰を下ろした。テティスが、木の実の粥を、皆に配ってくれた。オレの肩では、青銀色の翼獣ミリアムが、丸くなって、ヘクターの赤髭を、興味深そうに、じっと見ていた。


「オレたちガラモンドは」


ヘクターは、粥の椀を両手で包みながら、静かに語り出した。


「聖地の、統括システムに仕える、『実行手』の一族だった。……マナ家が、あの計画を作り、運用する『頭脳』なら、オレたちガラモンドは、その計画を、地上で、実際に、実行する『手』だ」

「――」

「淘汰の予定に入った街を、焼く。計画に気づいた奴を、消す。……代々、それが、ガラモンドの、役目だった」


オレの脳裏に、ジャッカルの、あの、粘つく愉悦の目が、甦った。


「オレの親父も、その手だった。オレも、そう育てられた。……だが、オレは、ある日、耐えられなくなった。自分の手が、これから何十人、何百人の、頬に油の跡をつけて笑ってる、ただの人間を、『許容誤差』として、焼くのかと思ったら、な」

「――」

「だから、オレは、家を捨てた。逃げた。……逃げる時に、一つだけ、盗んだ」


ヘクターは、オレの首元で、かすかに揺れている、風の太鼓の鎖を、指差した。


「ガラモンドが、代々、実行手の『認証の鍵』として、守り続けてきた――統括システムの、中枢から切り出された、クリスタルの欠片だ」

「――なっ」


オレは、絶句した。セレーネの言葉が、耳の奥で、甦った。「あのクリスタルは、統括システムの内部から造られたものだ」。


「オレは、それを、あいつら実行手の手から、消したかった。二度と、悪用されないように。……だから、ポトスの、うちの工房の地下に、深く、埋めて、隠した」

「――じゃあ、姉さんが、工房の地下で拾った、あのクリスタルは」

「――オレが、隠した、それ、だ」


暖炉の火が、ぱちり、と、爆ぜた。


「オレは、知らなかった。ミリアムが、まさか、マナ家の末裔だなんて。……ただ、あの子が、うちの工房の地下から、あのクリスタルを拾い上げた時、それが、あの子の血に、青く、反応するのを見て、オレは、背筋が、凍った」

「――」

「実行手の認証の鍵は、二つの血に、反応する。計画を回す『鍵』の血――マナ家。それを実行する『手』の血――ガラモンド家。ミリアムの血に、それが応えたってことは、あの子が、マナの血を引いてるって、意味だった」

「だから、あんた、あの夜、オレに、聞いたんだな。『ミリアムが、聖地とか、古代の兵器とか、変な話、してなかったか』って」

「――ああ。オレは、怖かったんだ。オレが逃げてきたはずの、あの計画の渦に、オレが我が子同然に育てた、あの姉弟が、飲み込まれていくのが」


オレは、しばらく、言葉を、失っていた。


姉さんが、工房の地下で、たまたまクリスタルを拾ったこと。それが、姉さんの血に反応したこと。姉さんが、そこから聖地の存在を知り、三度、あの塔に通い、計画の恐ろしさを知り――そして、オレに、風の太鼓を、託したこと。


その、全ての、始まりの一点に。オレの、親父代わりの男が、弟の罪から逃げるために埋めた、たった一つの、クリスタルが、あった。


「ヘクターさん。……あんたは、悪くねえ」


オレは、ぽつりと、言った。


「あんたが、あのクリスタルを、地上から消そうとしたから、それが、姉さんに届いた。姉さんが、それを、オレに託した。……そのおかげで、オレは、テティスに会えたし、ボアに会えたし、あの、化け物を、止められた」

「――ロビン」

「あんたが逃げた、その一歩がなけりゃ、この世界は、とっくに、更地になってた。……あんたの逃げ足は、世界を、救ったんだよ」


ヘクターの、赤髭に埋もれた口元が、震えた。彼は、太い指で、ごしごしと、目元を拭った。


その、三日後。

丘の下に、帝国の、質素な旅装の一団が、姿を現した。先頭に立っていたのは、金髪をきつく束ねた、氷のように整った横顔の、女軍人だった。


「セレーネっ! あんた、戻ってきたのか!」

「――手紙より、直接の方が、早いと思ってな」


セレーネ・ロニ・フィガロは、少しだけ、笑った。半年ぶりに見る彼女の顔は、以前より、ほんの少しだけ、柔らかくなっていた。


「帝国の内部改革が、一つ、区切りがついた。……そして、届けなければならん、荷が、あった」


彼女の一団が、幌のかかった、小さな車を、引いてきていた。その幌が、静かに、上げられた。

中にいたのは――両脚を失い、車椅子に身を預けた、痩せた長身の男だった。


「――ジャッカル」


オレの隣で、ヘクターの、太い体が、石のように、固まった。


「――ロック」


その、たった一言に、車椅子の上の男の、うつろだった目が、ゆっくりと、上がった。


聖地の広場で、罪を償うと誓った、あの日から半年。ジャッカル・ガラモンドは――いや、ロック・ガラモンドは、セレーネの監督の下で、帝国の腐敗の証言者として、少しずつ、その罪を、償い始めていた。オレを、殺してくれと乞うた、あの、狂気の目は、もう、そこには、なかった。


「……兄、さん」


ロックの、かすれた声が、震えた。


「なぜ、あんたが、こんな、ところに」

「――お前が、探しても、見つからなかった、『最後のガラモンド』は」


ヘクターは、松葉杖代わりの杖を突いて、弟の車椅子の前に、ゆっくりと、歩み寄った。


「――こんな、辺境で、ワッツの、真似事を、してたのさ」


ロックの目から、これまで、誰も見たことのなかった、涙が、静かに、こぼれ落ちた。粘つく愉悦も、狂気も、そこにはなかった。ただ、幼い頃に、兄の背中を追いかけていた、一人の弟の顔が、そこにあった。


「オレは……オレは、あんたが、家を捨てた時、あんたを、弱虫だと、思ってた。役目から、逃げた、卑怯者だと」

「――知ってるさ」

「でも……逃げた、あんたが、正しかった。オレは、役目を、全うして……その果てに、姉さんみたいな人を、何人も、焼いた。焼いて、焼いて、最後には、統括システムにすら、見放された」

「――ロック」

「オレは、間違ってた、兄さん。オレは……」


ヘクターは、それ以上、言わせなかった。彼は、太い両腕で、弟の、痩せた肩を、静かに、抱き寄せた。


「――もう、いい。……もう、いいんだ、ロック。よく、生きて、戻ってきた」


オレは、その光景を、姉さんの、風の太鼓の鎖を、握りしめながら、見つめていた。

姉さんが、オレに、剣を抜かせなかった、その意味が。ようやく、はっきりと、わかった気がした。

――憎しみで殺していたら、この、兄弟が、抱き合う朝は、絶対に、来なかった。


「――姉さん、見てるか」


オレは、そっと、呟いた。

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