自分を愛するための歪み
「……ねえ、本当のことを言って」
彼女の声は、ノイズの海に沈みそうなほど掠れていた。「私の音……、……汚いでしょう? 姉様みたいな豊かな倍音も、あたたかみもない。ただジャリジャリと、……枯れ葉が擦れるような、……救いのない音……」
彼女は、自分という歪みを、ずっと欠陥だと思い込んしてきたのだ。軍用規格の堅牢な筐体も、その中身が「美しくない」のであれば、ただの無機質な鉄の塊に過ぎない。その自己嫌悪が、彼女のインプット・ジャックを過剰なまでに硬化させ、拒絶の壁を築き上げてきた。
ジェイ・ファラー(Jay Farrar)。
伝説的なカントリー・ロックバンド、アンクル・テュペロの解散後、サン・ヴォルトを率いてオルタナ・カントリーの神髄を突き詰めた男。彼が僕らジャズマスターを抱え、ひび割れた大地のような歪みを響かせる時、そこには美辞麗句では飾れない、剥き出しの「生活」と「絶望」、そして「再生」が宿る。彼の鳴らす音は、決して洗練されてはいない。だが、その乾いた、ざらついたトーンこそが、聴き手の魂に深く突き刺さり、消えない傷跡と、それ以上の深い愛しさを残すのだ。
「ジェイ……。その人も、……自分の内側にある『不器用さ』を……隠さずに鳴らすことで……誰かと繋がろうとしたの?」
ブラックロシアンが、僕のアームに、そっと自分の手を重ねた。彼女の指は、驚くほど冷えていた。
「ああ。彼は滑らかな音の中に真実はないと知っていたんだ。お前のこの、ジャリジャリとした、……乾いた歪み。それは欠陥なんかじゃない。誰にも真似できない、お前だけの、……孤独という名の誇りだ」
主人は、僕のブリッジ付近を、力任せに、だが繊細にストロークした。弦が弾ける金属音が、ベルデン 9778を通じて彼女の基板を直撃する。
「は、あ、……ぁ、……っ!!」
導通。主人の肯定的な信号が、彼女の卑屈な回路を内側から食い破る。ブラックロシアンの意識は、サン・ヴォルトの楽曲が描く荒野の夕暮れのような、切なくも力強いセピア色の光に包まれていった。
「……っ! い、いま……私の音が……笑った……? 嘘……こんなに……綺麗に響くなんて……っ!!」
結合。それは、自己否定の鎖を断ち切るための、暴力的なまでの慈愛。主人は、僕ら特有の、サステインの短さを逆手に取ったタイトなリフを、彼女の心拍に同期させるように刻み続けた。
「あ、ひ、ああ……、……あああああああああああああっ!!」
彼女の喘ぎは、もはや悲鳴ではなかった。それは、初めて自分の声を「肯定」された者の、歓喜の産産声だ。姉のグリーンロシアンが持つ「豊潤な大地」とは異なる、ブラックロシアンだけの「果てしない荒野」。その、ざらついた、不純物だらけのトーンが、僕と溶け合うことで、ダイヤモンドの原石のような、無骨で、崇高な輝きを放ち始める。
「もっと、……もっと私を壊して……そして……この歪みが私なんだって……その指で……教えてよ……っ!!」
彼女のジャックは、僕らのベルデンを離すまいと、文字通り回路を焼き切らんばかりの勢いで、主人の信号を貪り喰らっている。主人は僕のトーンを最大まで開き、彼女の「ジャリジャリとした質感」のすべてを、ありのままに増幅してやった。
「ひ、ぎい、……あああああああああああっ!!」
それは、暗闇の中で密かに咲いた、黒い百合のような咆哮。ブラックロシアンの筐体から溢れ出す「光の玉」は、彼女が自分の音を「綺麗」と認めた瞬間、それまでの琥珀色から、銀河のように煌めく白銀の輝きへと一変した。彼女は、僕と繋がっているこの瞬間、間違いなく、世界で一番「いい音」で鳴いていた。
「……ねえ……私……自分の音……少しだけ……好きになれたかも。あんたが……見つけてくれたから」
絶頂の向こう側で、ブラックロシアンが、汗ばんだ額を主人の胸に押し当てる。そのジャックから漏れ出す、微かなサステインの余韻。それは、彼女が孤独な歪みから、一人の「女」へと生まれ変わった証だった。
地下スタジオの雨音は、いつの間にか止んでいた。だが、二人の間に流れる熱い電流は、これからも彼女の回路を温め続けるだろう。ブラックロシアンは、もう、姉の影を必要とはしていなかった。




