姉の仇にオレは剣を抜かなかった――それが姉の望みだから
ジャッカルは、既に、両脚を失っていた。両腕も、片方は砕けていた。それでも、彼は、瓦礫の中から、這うようにして、オレたちの前に姿を現した。
彼の手には、真紅の起動スイッチが、握られていた。だが、そのスイッチは、既に、光を失っていた。
「――くくく……見ろ、少年」
彼は、かすれた声で、オレに語りかけた。
「私の計画は、失敗した。……だが、貴様の勝利でも、ない」
「ジャッカル」
オレは、彼の前にしゃがみ込んだ。
「あんたに、一つだけ、聞かせろ」
「……」
「なんで、あんたは、オレの姉さんを、殺した」
ジャッカルの目が、かすかに揺らいだ。
「――ミリアム、ブランフォード、か」
「そうだ」
「……あの女は、聖地の秘密に、辿り着いていた。私は、それを消す任務を、上から受けた。それだけの話だ」
「上、って、誰だよ」
「――統括システム、から、直接、下された命令、だ」
オレは、絶句した。
「あんた、あの、光の球体と、繋がってたのか」
「――遠い、遠い先祖から、な。ガラモンド家は、代々、統括システムの『実行手』の末裔だった。私は、その最後の当主だ」
ジャッカルは、乾いた笑いを漏らした。
「くく……失敗作扱いされる人類の中で、私だけは、選ばれた、と、そう信じていた。……だが、最後には、あの統括システムにも、見放された」
彼は、しばらく、瓦礫の上で、荒く息を吐いた。それから、驚くほど、澄んだ声で続けた。
「――少年。ひとつ、教えておく」
「――」
「私はな。この世界が、既に、腐りきっていることを、誰よりも、早く、悟っただけだ」
「……」
「帝都の路上で、幼子が凍えて、貴族は、その隣を、馬車で通り過ぎる。連合国では、飢えた民が、隣の集落と、殺し合いをしている。……この、腐った土壌を、いくら耕したところで、何も、育たん」
「――」
「ならば、統括システムに委ねて、一度、全てを、更地にした方が、まだ、救いがある。……私は、そう信じた。信じて、動いた」
彼の目に、初めて、狂気ではない、何かが宿った。
オレは、しばらく、その、彼の言葉を、噛みしめていた。
――こいつは、狂人じゃない。歪んではいる。歪みきっている。でも、その歪みの奥には、こいつなりの、"救済"の思想が、あった。
だから、こそ、始末が悪かった。だからこそ、こいつは、統括システムの、忠実な、実行手として、機能した。
「――ジャッカル」
オレは、静かに口を開いた。
「あんたが、"腐ってる"って、決めつけた"世界"の中に、オレの姉さんは、いたんだよ」
「――」
ジャッカルの目が、かすかに見開かれた。
「頬に油の跡をつけて、オレの頭を小突いて、笑ってた、オレの、たった一人の姉さんが、いた」
「――」
「セレーネが、酒場で、隣に座ったオレの姉さんの、たった一枚の名刺を、今も、大事に懐にしまってる」
「――」
「レティシアが、姉さんに剣を習った時の思い出を、今も、大事に抱えて、憲兵局長をやってる」
「――」
「ヘクターさんが、オレの姉さんを『ワッツ見習いの中で、オレが知る限り、一番才能があった』って、涙で言ってた」
オレは、手のひらの中の、砕けた風の太鼓の破片を、そっと握りしめた。
「あんたが、"更地"にしたかった世界の隅っこの、あの街の、あの工房通りの一角に、そういう、掛け替えのないものが、確かに、あったんだ」
「――」
「あんたの、"救済"の思想は、それを勝手に"許容誤差"にしてた。……姉さんの頬の油を、大地と一緒に、更地にするつもりだった」
ジャッカルは、しばらく、オレを見つめていた。それから、深く、深く、目を閉じた。
「――少年」
「……」
「私を、殺してくれ」
「……」
「私は、既に、この身で、生きていくには、あまりに多くを失った。……せめて、最期は、貴様の剣で、な」
オレは、腰の剣に手をかけた。
だが、オレは、剣を、抜かなかった。
「――ジャッカル」
「……」
「あんたを、殺すのは、簡単だよ。だけど、オレは、しない」
「――なぜだ」
「姉さんが、望まない」
オレは、静かに、そう告げた。
「姉さんは、オレが、あんたを殺して、憎しみの連鎖を続けることを、望んでいない。……そんなことのために、オレに、あの風の太鼓を、託したんじゃない」
「……」
「あんたは、生きろ、ジャッカル。生きて、あんたが、"更地にすべき"って、決めつけた、その世界の隅っこの、一角にも、掛け替えのない誰かがいたことを、ちゃんと考えて、生きろ」
「……」
「それが、姉さんに対する、オレのできる、唯一の供養だ」
オレは、立ち上がった。
ジャッカルは、しばらく、オレの顔を見上げていた。彼の目に、初めて、これまでで一番深い、後悔と、呼ばれるものが、宿った。
「――ふ、ふふ」
彼は、笑った。しかし、それは、これまでの粘つく愉悦の笑いとは、まるで違っていた。
「そう、か。……ミリアム・ブランフォードの弟に、そう、言われたか」
彼は、静かに、目を閉じた。
「――セレーネ閣下」
「――」
「私を、しかるべき場所に、連行してください。……罪を、償う機会をいただければ」
セレーネが、少し、目を見開いた。それから、静かに頷いた。
「――承った」
「――」
彼女は、部下に指示して、ジャッカルを担架に載せた。ジャッカルは、担架の上で、静かに目を閉じていた。
オレは、その、彼の横顔を、しばらく見つめていた。
姉さんの仇。オレが、命がけで追いかけてきた男。
その決着の形は、オレが想像していた、どんな形とも違っていた。しかし、オレの胸の中は、意外にも、静かだった。
塔の崩壊した瓦礫の広場で。
オレたちは、無言でしばらく、たたずんでいた。
やがて、テティスがオレの手のひらを、そっと握った。
「――ロビン」
「……なんだ」
「あなた、格好、良かったよ」
「――やめろ、恥ずかしい」
「ふふっ」
彼女は、静かに笑った。
オレは、手のひらの中の、砕けた風の太鼓の破片を、そっと彼女の手に載せた。
「これ、あんたに、預けたい」
「――え?」
「姉さんも、あんたを、多分、気に入ってた。……だから、これ、あんたが持ってた方が、姉さんも、喜ぶ」
「――」
「もちろん、返してくれって言ったら、返してくれよ」
「ふふっ、ずるいな、ロビンは」
テティスは、破片を、両手で包み込んだ。青白い光が、優しく、彼女の手のひらを包んだ。
その後ろで。
セレーネが、オレの肩を、軽く叩いた。
「――ロビン」
「なんだ、セレーネ」
「約束を果たす、時が来た」
「――え?」
「貴様の姉との、話だ」
オレは、目を見開いた。
「――話してくれるのか」
「――ああ」
「――」
彼女は、静かに、オレの目を見た。
「あの日、貴様の姉と、私は、ポトスの、雨の日に、酒場で、偶然、隣り合った」




