貴殿の姉の死も、計画の許容誤差内である
塔の奥から、無機質な光の球体が、オレたちの前に姿を現した。
直径一メートルほどの、乳白色の球体。表面には、幾何学的な模様が、絶え間なく流動している。それは、宙に浮かんだまま、オレたちに、合成音声のような声で語りかけた。
「――侵入者を確認。汚染された系統に、属する生命体と、判定」
その声は、男でも女でもなく、若くも老いてもいない、無機質な音だった。オレたちは、思わず、身構えた。
――と、その時。
オレの胸元の、姉さんの風の太鼓が、突如として、これまでにない強度で、青白く脈動を始めた。
その、青白い光の波紋が、球体の表面をそっと掠めた、次の瞬間。
「――ざざ、ざっ! ――当該クリスタルによる、規定外の干渉を、検知」
球体の音声が、乱れた。
「――照合、照合、……過去の、閲覧者記録、ミリアム・ブランフォード、と、同一の、クリスタルパターン。……なぜ、この時点で、痕跡が、再活性化――ざざっ!」
球体の幾何学模様が、一瞬、乱れた。
オレは、思わず、乾いた笑いを漏らした。
「――は、はは」
姉さん。ちゃんと、"穴"、開けといてくれてやがったのか。この球体の面に、あんたの、指の跡、しっかり残ってやがるじゃねえか。
「そうかよ、姉さん。……あんた、オレにここまで、種、蒔いといたのか」
オレは、手のひらの風の太鼓を握りしめた。
「――ちっ。当該干渉を、無視。侵入者応対、再開する」
球体は、幾何学模様を、平静に戻した。しかし、オレは、確かに見た。この、"神様みたいな顔をした無機物"が、姉さんの残した爪痕に、確かに、一瞬、狼狽したのを。
オレの中に、小さな炎が点った。
この、システムは、無敵じゃない。姉さんが、既にその鎧の一部を、剥がしてくれている。
「――お前は……何者だ」
「私は、この施設を管理する、古代の統括システムである。人類種の再生計画を、管理するために、設計された」
「再生計画、だと……?」
オレの問いに、光の球体は、淡々と答えた。
「現行の人類種は、大戦後の環境汚染により、精神的・身体的に、著しい劣化が、確認されている。汚れた失敗作と、判定する」
その、冷徹な言葉に、オレは、思わず、拳を握りしめた。
「失敗作、だと? ふざけるな! オレたちは、ちゃんと、今を、生きてるんだよ!」
「感情的な反発は、判定結果に影響を及ぼさない。計画は、既定路線通りに、進行する」
光の球体は、オレの怒りを、完全に無視するように、淡々と続けた。
「本計画において、貴殿らは、既に不要な存在である。近く、貴殿らを含む現行人類は、淘汰される予定である」
「淘汰、って、あの、神像を使ってか」
「――肯定」
「そんな、身勝手なことが、許されると、思ってやがるのか!」
オレの絶叫にも、球体は、微塵の動揺も示さなかった。
「――ちなみに、貴殿の姉、ミリアム・ブランフォードの死亡も、本計画の許容誤差の範囲内である」
その、一言で。
オレの視界が、真っ暗になった。
姉さんの死すら、こいつらの「計画通り」だったということか。姉さんが、オレのためにと残していった風の太鼓の意味も、こいつは、事務的に処理していたということか。
「――許容誤差、だと」
「肯定。個別の犠牲は、計画全体の、統計的許容範囲内である」
「――ふ、ふ、ふふふ……」
オレは、乾いた笑いを漏らした。
拳を、床に叩きつけた。手のひらの中の風の太鼓が、オレの血で汚れた。
「そんなの、あんまりだろ……」
オレの声は、かすれていた。
「オレたちが必死になって、悲しんで、苦しんで、それでも前を向こうとしてきたことが、全部、誰かの手のひらの上でしかなかったなんて……」
込み上げてくるのは、怒りよりも、深い虚無感だった。何のために戦ってきたのか、何のために生きてきたのか、その意味そのものが、根底から、崩れ去っていくような感覚。
姉さんの、頬の油。工房で組み上げた風の太鼓。冬の朝、彼女が布団の中で「あと五分」と呟いた寝ぼけ声。全部、全部が、遠い誰かの「許容誤差」で、処理されていた。
「ロビン……」
テティスが、そっと、オレの肩に手を置いた。
だが、オレは、その手にも、うまく反応を返すことができなかった。
その、絶望的な沈黙の中で。
誰よりも、静かに立ち上がった者がいた。
テティスだった。
「――違う」
その一言は、決して大きな声ではなかった。それでも、塔全体を凍りつかせるほどの、意志の強さを感じさせた。
オレは、彼女の横顔を、床から見上げていた。
「あなたたちの計画がどうであれ、わたしたちは、今、ここで、確かに、生きている。悲しんだことも、笑ったことも、誰かを愛したことも――全部、本物」
光の球体に向けて、テティスは、真っ直ぐにそう言い放った。
「感情的な発言は、判定に、何ら影響を及ぼさない」
「影響を及ぼすかどうかなんて、どうでもいいの」
テティスは、一歩、光の球体に近づいた。モグロが、彼女の肩の上で、毛を逆立てて、バルーン色の光を、静かに漏らしていた。
「わたしが言いたいのは、たとえあなたたちの計算通りだったとしても、わたしたちが積み重ねてきた時間の価値は、何一つ、損なわれないということ」
テティスの声は、震えていなかった。彼女は、生まれて初めて、大人としての「怒り」を、その細い喉に宿していた。
「ロビン」
彼女が、オレを振り返った。
「あなたが、ポトスで流した涙も、ダークフォースの海で見せてくれた優しさも、わたしにとっては、何よりも本物だった。それを、計画の一部だなんて言葉で、片付けさせるつもりは、ない」
オレは、弾かれたように、顔を上げた。
彼女の瞳の奥に、あの日、ダークフォースの海の霧の中で、初めて出会った時と、同じ色の光があった。
そして、オレの手のひらの中の、風の太鼓が、姉さんの記憶の色で、青白く脈動を始めた。
オレは、その脈動を、両手で握りしめた。
姉さん。オレ、まだ、諦めない。あんたが、この球体に開けてくれた"穴"、まだ、閉じてねえよな。
「――対象、テティス・マナによる、規定外の反応を、確認」
光の球体が、無機質に告げた。
「計画への、支障をきたす可能性を、検知」
「――ならどうする、化け物」
オレは、立ち上がった。
「よって、計画を、前倒しする。接近中の『フラミー』を用い、現行の不完全な人類を、即時淘汰。次段階の再構築フェーズへ、移行する」
「――なっ!?」
塔全体が、不気味な地響きに包まれた。
窓の外を見ると、塔の目前にたたずんでいた神像が、ゆっくりと、その、無機質な単眼を、オレたちに向けて、赤く明滅させ始めていた。
次の瞬間、神像の両腕が、静かに持ち上がった。
その指先が、塔の窓を、まっすぐ狙っていた。




