メタルキス第二十四話 わたしのメタル
メタルキス第二十四話 わたしのメタル
あの日から、彼が向けてくる視線が変わったことに気づいていた。
鏡を見るたび、私の口元には無機質な金属が二列、一直線に並んでいる。
天井にも大きな金属の装置がついている。
下顎の成長を抑制し、上顎の成長を促進し、上顎を横に広げ、歯を並べ替えるための装置。
それは私にとって、痛みと孤独の象徴だった。
誰かに見られるのは怖かったし、ましてや「触れたい」なんて言われる日が来るなんて、想像もしていなかった。
(……変な人)
家に帰って、玄関の扉を閉めた瞬間、
胸の奥がふっと軽くなった。
今日一日、ずっと張りつめていた糸が、ようやく緩んだみたいだった。
鏡の前に立つ。
口の中の装置やワイヤーが、舌や頬の内側に当たって、傷や口内炎を絶え間なく作り、少しだけしみるように痛む。
今日は、舌のやや右前が、装置に引っかかるので、痛いのと同時に、発音もおかしくなっている。
でも、その痛みや不便さよりも、
胸の奥のざわつきのほうが気になっていた。
(なんで、あんなに…)
彼の顔が浮かぶ。
あの、少し困ったような笑顔。
わたしの口元を気にしないふりをしながら、
でも、ちゃんと見てくれていた目。
夕方、金属のカップを指でなでていたとき、
彼が一瞬だけ、息をのんだのをわたしは見逃さなかった。
(気づいてたんだ…)
痛みを隠すための癖。
不安を飲み込むための沈黙。
誰にも見せたくなかった弱さ。
彼だけは、全部見ていた。
机に向かって宿題を開くけれど、
文字がまったく頭に入ってこない。
ページの白さが、胸のざわつきを逆に際立たせる。
(どうして、こんなに思い出すんだろう)
わたしは強いと思われている。
弱音を吐かないから。
泣かないから。
痛いと言わないから。
でも本当は、
痛いし、怖いし、恥ずかしい、
この苦しさは、永遠に続くように思われる。
医師からは“成長が止まるまで”と言われている。
逃げ出したくなることばかり。
装置が調整されるたびに、
顔のパーツが色々な方向に引っ張られ、引き裂かれ、固定される。まるで、顔が機械そのもの。
鏡を見るのも嫌になったこともあった。
それでも、
彼の前では、なぜか少しだけ胸が楽になる。
(どうして…)
思い返す。
今日、彼がわたしの横に立ったときの距離。
ワイヤーが当たって痛むのを悟られたくなくて、
そっと唇に触れたとき、
金属のカップに人差し指が触れた瞬間、
彼の視線がふっと揺れた。
あの瞬間、胸の奥が熱くなった。
(見られたくないのに…見てほしいって思った)
そんな矛盾、今まで一度もなかった。
金属のカップを指でなでる。
いつもの癖。
でも今日は、触れた指先が少し震えた。
(わたし…)
彼のことを思い出すたび、
胸の奥が締め付けられる。
そして、じんわり温かくなる。
痛みが少しだけ薄れる。
息が深くなる。
こんな感覚、知らなかった。
(わたし…彼のこと…)
言葉にしようとした瞬間、
胸の奥が、さらにきゅっと締めつけられた。
怖い。
でも、温かい。
怖い。
やっぱり怖い。
この言葉を口にしたら、あと戻りできなくなってしまう。
痛い。
でも、苦しくない。
やっぱり…
(好き…なのかな)
その言葉が浮かんだ瞬間、
頬が熱くなった。
装置が口の中で干渉して、当たって痛むのに、
笑いそうになった。
(どうしよう…)
わたしは、彼の前で強くいたい。
でも、弱いところも見てほしい。
そんなわがままを、生まれて初めて思った。
金属のカップに、また触れてしまう。
自分の体温を感じたはずなのに、
彼に「つけてみる?」と言った日のことを思い出し、
なぜか、彼の体温に感じてしまう。
(わたし…彼に会いたい)
その気持ちを、もう否定できなかった。




