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メタルキス第二十二話 メルティメタル

メタルキス第二十二話 メルティメタル


数日後。

ぼくと彼女の矯正の調整日が、また同じ日に重なった。というか、彼女がそうしてくれた。


ぼくが、診察台に横になり、口を開けていると、

先生が淡々と告げる。


「今日は下顎の犬歯と、上の臼歯を引っ張って、下の歯列を後ろに引くために、顎間ゴムという輪ゴムをかけますね。

少し強めに引っ張るので、数日は痛いの我慢してね」


左右の上顎臼歯のブラケットから、それぞれ左右の下顎の犬歯のブラケットに、一本ずつ数ミリほどの小さな輪ゴムをかけられた。


少し強めとは言われたが、“少し”どころではなかった。

ゴムがかけられて、すべての調整が終わる頃には、

下の前歯が全部、後ろにぐっと引き寄せられるような痛みが走る。


(うわ……これ、また食べるの大変だ)


さらに、ブラケットをつなげるワイヤーも太くなり、矯正力が強くなった。そのかわり、ブラケットとワイヤーを結ぶ、リガチャーというものは、針金から透明のゴムに代わった。



隣の席の彼女は、軽い調整だけだったらしく、

金属の音を立てながらも、どこか余裕の表情だった。



診察が終わると、彼女が笑って言った。


「またファミレス、行こっか」


ぼくはうなずいた。

痛みはあるけれど、彼女と一緒なら、それも悪くない。


ファミレスに着くと、

前回の“麺事件”を思い出し、ぼくは慎重にメニューを選んだ。


「今日は……カレーにしようかな」


「いいじゃん。カレーは飲み物だってい言う人もいるよね?」

「えっ、いるのかい?」


彼女はクスッと、笑った。

明るい会話がファミレスの騒動にかき消された。


料理が運ばれてきて、

ぼくはスプーンを口に運ぶ。


……その瞬間。思い出した。


(あ、ゴムは着色するからねって言われてた。カレーってヤバい??)


気づいたときには遅かった。

透明だったリガチャーゴムが、カレールーのターメリックの色素に染められ、

みるみるうちに 真っ黄色 になっていく。


「……え?」


ぼくが固まっていると、

彼女は一瞬だけ目を丸くし、

次の瞬間、声を押し殺して笑い出した。


「ちょ、ちょっと……見せて……!」


彼女はバッグから手鏡を取り出し、

ぼくの前に差し出した。


鏡の中のぼくは、

メタルブラケットに黄色の枠がついた状態になっている。

なんとも言えない派手な金色の歯になっていた。


「……うそだろ……」


ぼくが呆然としていると、

彼女は笑いすぎて涙を浮かべながら、

こぼれたカレーのしずくをティッシュでそっと拭った。


「もう……ほんとに……

わたしがいなきゃ、食事もできないんだね。

もうちょっと、早くゴムに気づけばよかったな」


その言い方は、からかっているようで、

でもどこか優しくて、

さらに、彼女のことが好きになってくる。


「……そんなことないよ。

 ただ、今日はちょっと油断しただけで」


「ふふ。じゃあ、次からはわたしがちゃんと見ててあげる」


彼女はそう言って、

ぼくの口元についたルーを、

ティッシュでそっと拭った。


その距離の近さに、

ぼくの心臓は、顎間ゴムより強く引っ張られた気がした。


「……ねえ」


彼女が小さくつぶやく。


「こういうの、悪くないね」


ぼくは返事ができなかった。

痛みのせいじゃない。

胸の奥が、甘酸っぱく締めつけられたからだ。


彼女は照れ隠しのように笑い、

スプーンを手に取った。


「ほら、冷めないうちに食べよ。

 ……黄色いゴム、かわいいよ?」


「かわいくないって……!」


ぼくが抗議すると、

彼女はまた笑った。


その笑顔は、

カレーよりも、春の光よりも、

サクラが満開になったように、ずっとあたたかかった。


陽射しが傾いてくると、光は柔らかさを帯びてきた。


「ねえ、デザートどうする?」

彼女がメニューを覗き込みながら言う。


「いや……今日はやめとこうかな。

甘いもの、噛むのつらいし……」


ぼくがそう言うと、

彼女はメニューから顔を上げ、金属のカップを指で撫でながら、

いたずらっぽく目を細めた。


「じゃあ、わたしが食べるから。

ひとくち、あげる」


「いや、だから噛めないって……」


「大丈夫。ほら、プリンなら噛まなくていいよ?」


そう言って、

彼女は“プリンアラモード〜イチゴアイスつき”の写真を小指の先で軽く叩いた。


(……確かに、プリンならいけるかも)


結局、彼女がプリンを注文し、

ぼくは横で見守ることにした。


運ばれてきたプリンは、

つやつやしていて、

スプーンを入れると、ぷるんと揺れた。


「はい、あーん」


「いや、だから……!」


「いいから。ほら、口開けて」


彼女はスプーンをぼくの口元に近づける。

その距離が近すぎて、

ぼくの心臓はまた顎間ゴムよりも、下顎を引っ張るチンキャップのゴムよりも強く引っ張られた。


仕方なく口を開けると、

プリンがそっと舌の上に乗った。


甘くて、やわらかくて、

痛みの奥にじんわり広がる。


「……どう?」


「……うまいよ」


「でしょ?」


彼女は満足そうに微笑んだ。


そして、

自分のスプーンを口に運ぼうとしたとき、

ふと動きを止めた。


「……ねえ」


「ん?」


「こういうの、さ……

 なんか、恋人みたいじゃない?」


ぼくは思わず固まった。

装置のあらゆる締付けが、急に痛く感じられた。


彼女は照れたように笑いながら、

プリンをもうひとすくいした。


「……いやなら、いいけど」


その言い方が、

ずるいくらい可愛かった。


「いやじゃないよ」


ぼくがそう言うと、

彼女はほんの少しだけ、

視線を落として笑った。


「じゃあ……もうひとくち、あーん」


ぼくは観念して口を開けた。

プリンの甘さよりも、

彼女の笑顔のほうが、

とろけるようにずっと甘かった。


(ずっと、このままでいたい)


イチゴアイスが、サクラが満開になった外の情景と、二人の空気を受けて、半分溶けていた。

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