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メタルキス第十七話 メタルの色(前編)

メタルキス第十七話 メタルの色(前編)


約束の日の早朝。

紫の空が赤ワインを薄めたような色に変わるころ、ぼくは目を覚ました。


口の中のブラケットも、顎を押し付けるチンキャップも、どちらもわずらわしい。

装着から四日。痛みは少し和らいだが、代わりに口内炎が増え、食べるたび、飲むたびに金属が擦れてしみる。


それでも、今日は“特別な日”だ。


遊園地の券をもらったあの日から、

ぼくは毎朝、カバンの中のチンキャップを見つめては迷い続けていた。


つけるか。

つけないか。


結局、今日も無理だった。

学校でできないのに、遊園地でつける勇気なんて、あるはずがない。

いつも、しっかりとつけている彼女を思うと、ぼくは逃げてばかりで、ちょっと罪に感じる。



公園の古木のサクラの下で、彼女は待っていた。

朝の光を受けて、数輪だけ咲いたサクラと、彼女のメタルブラケットが淡く白に光る。


「おはよう。今日は、楽しもうね」


その笑顔がまぶしくて、胸がきゅっと痛んだ。



遊園地のゲートをくぐると、

ポップコーンの匂い、子どもたちの笑い声、カラフルな音楽。 あらゆる色彩。

五感が一気に刺激される。


なのに、ぼくの足取りは重かった。

人混みの視線が、彼女とぼくの口元に吸い寄せられている気がしてならない。


(見られてる……? いや、気のせい……でも……)


そんなぼくの不安を察してか、

彼女は軽く手を引いた。


「ジェットコースター乗ろうよ」


その無邪気さに救われる。ぼくにはまぶしすぎる無邪気さだ。


列に並んでいる間、ぼくはずっと口元を手で覆っていた。

痛みはもうない。ただ、見られたくない。それが癖になっていた。


そんなぼくを見て、彼女は小さく笑った。


「ねぇ、そんなに隠さなくていいよ。……私だって、ほら」


彼女は自分のメタルブラケットに指を触れた。

いつもの仕草。

でも今日は、その指先がほんの少し震えていた。


(なぜ、震えてるんだろう…痛いだけ?)

「……痛いの?」


ぼくが小声で聞くと、

彼女は一瞬だけ目をそらし、すぐに笑顔を作った。


「ううん、大丈夫。昨日、ワイヤー締め直しただけ。それより、せっかく来たんだし、もっと楽しもうよ」


その“無理してる笑顔”が、胸に小さな棘を刺した。

(彼女も痛いのに……ぼくは、何を怖がってるんだ)



さて、怖いのは、もうひとつ。

実はジェットコースターは未体験。でもここは強がっておく。

(怖くない、怖くない)


ぼくが怖がっていることを、彼女に気づかれないよう、顔の表情を変えないように意識した。


青い風は流れる。

ジェットコースターが動き出す。

標高のピークから、一気に滑り降りる。

『うぎゃゃゃゃぁー』


もう、記憶がない。気を失ったわけでもない。


落ちる恐怖も確かにあったが、

それ以上に、風圧で、顔面が押され、歯列全体に圧力がかかり、上下の歯ぐきすべてが歯肉炎になったような、猛烈な鈍痛が走っていたのだ。


ジェットコースターを降りると、

彼女も、少し痛かったのか、頬を押さえながら笑った。



「お腹すいたね。何か食べよっか」


フードコートに入り、

ぼくは柔らかいオムライスを、彼女はハンバーグプレートを選んだ。


食べ始めてすぐ、

彼女はふっと息をつき、手を止めた。


「いつもは、装置外したり、つけ直すの面倒だから、お昼、ほとんど食べないんだけど、今日は……お腹減ったし、ちょっとだけ、外そうかな」

照れくさそうに言った。


そう言って、バッグから小さなケースを取り出し、

彼女の下顎を支えていた金属のカップのフックから、左、右と顎を引っ張っていたゴムを丁寧に外し、金属カップを手に落とし、光沢のある白のヘッドキャップをゆっくりと脱いだ。


あの日、彼女に「つけてみる?」と言われ、カップに触れて感じた、彼女の微かな体温を思い出した。

あのときの淡い橙色の空気が、思い出として浮かび上がる。


カチン、と金属のカップを置く音がしたとき、周りの空気も色が変わったような気がした。

金属のカップが外れた彼女の素顔には、

きれいな白い肌の頬に赤く、ゴムの跡がくっきり残っていた。


「頑張るのもいいけど、食べるときとか、デートするときだけは、外してもいいって言われてるんだ」


彼女の顔が赤く紅潮した気がした。

ぼくも、「デート」という言葉に、内心、色めきだった。


彼女の笑顔は、痛みを隠すためのものじゃなかった。

本当に心から楽しんでいる、

“素の彼女”の笑顔だった。


ぼくはスプーンを握りしめながら思った。

(彼女は……痛みに耐えながら、今日を楽しもうとしてるんだ。しかも、ぼくと一緒で…いいんだ?)


その気づきが、胸の奥に真っ赤な小さな熱を灯した。


昼食を終え、

彼女はチンキャップを外したまま、ケースにそっとしまった。

メタルの色とは対照的で、しなやかさと繊細さを含んだきれいな肌の色。

装置がなくなっただけで、素顔がとても近く感じる。


「午後は……これ、なしで行こうかな。せっかくだし」

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