メタルキス第十六話 メタルの反転
メタルキス第十六話 メタルの反転
朝の光が部屋に差し込み、ぼくは重い瞼を持ち上げた。
チンキャップの拘束感、ブラケットの異物感と痛みで、よく寝付けなかった。
明け方、少しだけ眠れたが、起床して真っ先に感じたのは、下顎を強烈に締め付けていた鈍い痛みだ。
昨晩、覚悟を決めて装着して寝た「チンキャップ」。
数時間の睡眠を経て、ぼくの顎は鉛のように重く、使い古されたバネのように疲れ切っていた。
鏡の前で装置を外すと、肌には赤黒く、ゴムとカップの跡がくっきりと残っていた。
洗面台で顔を洗いながら、ぼくは自分と戦っていた。
本当なら、このまま装着して登校すべきなのだ。
治療を着実に進めるために。そして、彼女と共闘するためにも。
けれど、指が装置に伸びかけては止まる。
脳裏をよぎるのは、昨日のファミレスや路上での記憶だ。
好奇の視線。子どもの悪気のない無邪気な問いかけと母親の心無い言葉。
そして、教室のドアを開けた瞬間に浴びせられるであろう、同級生たちの嘲笑。
それらを想像しただけで、心臓が早鐘を打ち、指先が微かに震えた。
結局、ぼくは装置をカバンの中に押し込んだ。
「顎が疲れたから」という、自分への精一杯の言い訳を握りしめて。
登校、彼女とは、今日から待ち合わせをして、一緒に登校する約束をしていた。
(もう、待ってくれている)
朝の元気な太陽に、彼女のメタルブラケットがダイヤのように輝く。
「おはよう。……あ、今日は着けないんだね」
彼女はぼくの顔を見て、すべてを察したようだった。
ぼくはうつむきながら「朝起きたら顎が重くて……」と言葉を濁すと、彼女は責めるような真似はせず、優しく微笑んて、
「いいよ、初日だもん。いきなり昼も夜もは、きついって。少しずつ慣れていけばいいんだよ」
彼女は、ぼくの弱い本当の心をわかっていた。
その言葉は温かかったが、弱気な自分を肯定されたようで、胸の奥がチクリと痛んだ。
席についた。口の中の装置の、痛みとわずらわしさで、唇を動かすことができす、もどかしい。
そして、何よりも、銀色の装置を見られないようにするため、手で覆って隠していたり、ハッキリとしゃべらないようにしているので、さらに不自然さを増す。
昼休み。
歯が痛くて、何も食べられない。
ヨーグルト一個が精一杯だった。
その『異変』を彼らは見ていた。
「うわーこいつ、矯正始めたみたいだぞ。銀歯野郎だ。みんな銀歯野郎って呼んでやろうぜ」
「銀歯野郎!銀歯野郎!」
「痛いって言ってるから、みんなで、歯押してやろうか」
「これ、見たことあるそ、獅子舞みたいだ」
ニヤニヤと下品な笑みを浮かべた男子たちが、ぼくの机を取り囲む。
ぼくは黙っていた。下手に反論して、メタルブラケットも見られたくない。
「女みたいに手で口隠してしゃべるなよ」
彼らの言葉はより執拗に、より攻撃的に突き刺さる。
ぼくは言い返す言葉も見つからず、ただヨーグルトのスプーンを握りしめて耐えるしかなかった。
「ちょっと、いい加減にしたら?」
凛とした声が教室に響く。
彼女だ。
彼女は迷いのない足取りでぼくの前に立ち、男子たちを真っ向から睨みつけた。
「人の治療を笑うなんて最低だよ。あなたたちに関係ないでしょ」
気圧された男子たちは、「ちぇっ、また機械顎のお姫様の登場かよ」と捨て台詞を吐きながら離れていった。
嵐が去った後の静寂の中で、ぼくは彼女の背中を見つめていた。
彼女に守られるのは、これで何度目だろうか。
彼女が強くあればあるほど、ぼくの不甲斐なさが浮き彫りになる。助けられた安心感よりも、守らせてしまったという自己嫌悪が澱のように溜まっていく。
これは「救い」などではない。ぼくにとっては、優しさという名の「罪」を重ねられているようなものだった。
彼女の隣に立つ資格を得るためには、このメタルの重圧に耐えるだけでは足りない。
心の弱さを反転させなければならないのだと、ぼくはカバンの中の冷たい装置に触れながら、静かに唇を噛んだ。
放課後、彼女が「帰ろ」と言った。
ぼくたちは、ともだち以上であることは、明らかだ。好き同士というものでもない特別な関係だ。
これから、ぼくたちはどう反転を繰り返していくのか。
不安ながらも、期待と、決意に満たない決意の芽が混じるのだった。
「ねぇ、お母さんから遊園地の券、もらったんだ。二枚だから… 週末、」
視線を少し落としながら、金属のカップをなでている。
少し間が空き、
「一緒に、どうかな、って…」




