メタルキス第十一話 ハーフムーンメタル(後編)
メタルキス第十一話 ハーフムーンメタル(後編)
「じゃあ、次はきみの番だよ」
医師に呼ばれ、ぼくと母は診察室に入った。
彼女は椅子の横で、いつもの銀色の笑顔で、何かに期待を膨らませているかのように待っていた。
ワイヤーが締め直されると痛みや不快感があるはずなのに、その笑顔は揺らがない。
医師がぼくに向き直る。
「まずはお口の中、見せてもらうね」
ぼくは緊張で喉が渇きながら、口を開けた。
ライトがまぶしい。医師の手からは消毒の香り。静けさと一緒に不安を増幅させる。
医師の視線がぼくの歯列をなぞる。
「うん……下の歯と下顎が前に出ているね。
噛み合わせも上下逆。典型的な「受け口」、下顎前突ともいうんだよ。これはきみが言っているとおり、ずっと気になっていたはずだ」
模型や図を示しながら、医師は続ける。
「治療方針としては、マルチブラケットという装置で歯列を整えながら、歯の傾斜を少し変えて、前後関係を逆転させつつ、顎間ゴムというゴムを歯にかけて、下の歯列全体を後ろに下げていく。二、三年くらい時間はかかるけど、大きく改善すると思うよ」
ぼくは、咄嗟に2つの違和感を医師に投げかけた。
医師が手にした模型のブラケットは、白くて遠くからは目立たないものだ。でも、彼女は銀。
「装置って、白いんですか?」
「最近は目立たない装置を希望する人が多くて、ウチではまず、白いセラミックブラケットを提案してるんだよ。」
「彼女と同じにしてください」
彼女の目が驚きで丸くなる。
母もぼくが何を言ってるのか理解できないでいる。
「目立つよ。あとでやっぱり白いのがいいって言われても、もう替えられないよ。彼女はどうしても必要だから使ってるだけだからね」
「彼女と同じにしてください」
「わかったよ。金属の装置は、材料費が安いので、費用のところで、またお話ししましょう」
さて、ここからが本番、勇気を出して切り出す。
「彼女と同じチンキャップはないのですか?」
これには、医師も意表を突かれたらしく、ちょっとびっくりしていた。
彼女は、目をまん丸くして、推移を見守っている。
「きみと彼女の状態は大きく違っていて、彼女は何年もの長い期間、顎の成長をしっかりコントロールしていく必要があるんだ。きみの場合は、下顎の成長のピークが過ぎているから、劇的な変化までは、期待できないんだ」
と、言いつつ、医師は少し考えた。ぼくの言葉の意図を理解したのか、「うーん、成長がすべて終わったわけではないから、効果が全く無いとまでは言えない。寝るときとか、家にいるとき12時間以上、装着しないと効果はないけと、頑張れる?」
「学校で付けてはだめですか?」
医師は、一瞬、意表を突かれた表情を浮かべたが、真顔になると、少し迷った顔をした。
普通は、家の中でも嫌がる子が大半だからだ。
医師は彼女とぼくを交互に見比べ、やがて降参したように笑った。
「……12時間以上。理論上、装着時間が長いほど抑制効果は高まる。だが、相当な覚悟がいるよ。……いや、きみなら、もう決めているんだね」
そう言うと、助手が持ってきた真新しいチンキャップが、目前に置かれた。新品の金属カップが、室内灯の光を、半月状に冷たくもまばゆく反射させている。
彼女と同じものだ。ぼくの胸が熱くなる。
医師はさらに、費用の説明、支払い方法、期間の目安を丁寧に話してくれた。
「彼女から事情は聞きました。彼女の紹介ということ、安い金属の装置にするということ、何よりもお子さんの熱意にも負けました。お母さんこれでいかがでしょうか。これは分割にしてもいいですよ」
母は真剣に聞き、最後にひと呼吸し、ぼくを見た。
「……本当に、やりたいんだね」
もう、ウソや迷いはない。
「うん。やりたい」
母は小さく息を吸い、 医師に向かって言った。
「お願いします。この子の治療、始めてください。」
「わかりました。ねえ、きみ、この治療は決して安いものではないから、親御さんに感謝するんだよ。」
その瞬間、ぼくの視界が少しだけ滲んだ。
横を見ると、彼女が静かに微笑んでいた。
帰り道、 彼女がぼくの横で言った。
「なんか、先生と戦ってるみたいで、かっこよかったよ。これで、ほんとに一緒だね」
ぼくのハーフムーン。




