メタルキス第十話 ハーフムーンメタル(前編)
メタルキス第十話 ハーフムーンメタル(前編)
放課後の空気は、いつもより少し冷たかった。
彼女の通院日。
と同時に、いよいよ自分に矯正装置が与えられるかもしれない大事な一日。
ぼくと彼女は、ぼくの母と途中で合流し、一緒に、彼女の通う矯正歯科へ向かった。
受付で名前を告げると、予定通り彼女が先に診察室に呼ばれた。
心臓がバクバクと音を立てている。
数分も経たないうちだった。
医師が診察室からぼくと母のいる待合に顔を出し、「はじめまして、こんにちは。きみ、せっかくなので、遠くからだけど、彼女の診察見てみるかい?雰囲気だけでも知るのにいいと思うよ。彼女もいいって言ってるし。」
これには、とてつもない興味があった。
彼女につらい思いをさせているその正体を知ることができるのはそう機会はないこと。
そして、それ以上に、今回は、これから自分にもされうるであろう処置が不安でたまらなかったからだ。
感情を押し殺すように「はい」 とだけ返事し、診察室へと案内された。
ぼくの不安を知ってか知らずか、その背中を母も不安げに見つめていた。ぼくは独りで診察室に入った。
彼女の治療が始まる。
彼女はすでに診察室のイスに座っていて、こちらの存在に気づくと、ちょっと照れくさそうに、一回だけカッっと金属カップを人差し指の爪で弾いた。いつもの合図だ。
「じゃあ、今日も調整していくね。まずはチンキャップ外すよ」
助手が頬にかかるゴムのストラップを外し、
顎を包んでいた金属のカップが、助手の手の中に受け止められて、顎が解放される。
続いて、医師が器具を手に取り、
「じゃあ、ワイヤー外すね。力抜いて」と、
パチッ、チッ、チッ…と静けさの中で小気味よく何かを切っていく音を何度も立てながら、やがて下の歯、上の歯と、メタルブラケットを連結していたワイヤーが外される。
(こういう仕組みになってるんだ…)
「少し上向いて、大きく口を開けて」と医師が指を彼女の上顎の奥へと入れたとき、
(なに、あれ…)
彼女の上顎の両奥歯には銀の輪がはめられており、上顎の天井をピッタリと覆う銀の装置とくっついてひとつの塊となっているのがわかる。
(…あれが上顎急速拡大装置?…ちょっとだけ本屋でかじった知識)
口の中が金属だらけなのが痛々しくも、機械美、金属美であり、神聖でカッコいいものにも見えた。
(サイボーグの世界みたいだ…)
自分がどうなるかという不安、痛みへの怖さ。なぜか胸の奥に湧いてくるちいさなワクワク感。
金属の摩擦音が、静かな診察室に響く。
彼女の歯列が“素の状態”を見せる。
「うん、特に装置の状態に問題はない」
医師は淡々と、しかし丁寧に確認していく。
彼女が痛みで一瞬顔がゆがむこともあるが、身体は微動だにせず、
痛みに耐える姿勢を崩さない。
ぼくはその姿を息を呑んで見守っていた。
「じゃあ、ワイヤーを調整していくね」
金属を曲げる音。
微細な調整。
そして――
「はい、セットするよ。少し締まるけど我慢してね」
パチン、パチン……針金を切る音が響く。
うずくような痛みだろうか、彼女の眉がわずかに震えた。
でも、声は出さない。
いつものように、凛としている。
最後に医師が言う。
「じゃあ、チンキャップ装着して。」
彼女は顎にカップを当て、
ゴムのストラップを引き、
金属が彼女の下顎にピッタリと密着する。
彼女の顎がまた装置の一部へと還っていく。
ライトの光が彼女の金属のカップを半月状に反射する。
最後に、医師がゴムの強さと引っ張る方向を確認し、彼女の処置は終わった。
「お待たせ」
どこか照れくさそうに、
一度だけ顎の金属のカップを爪で弾いた。
彼女のハーフムーン。




