常識
「軽く6階層を見に行こう」
さすがに帰るには早すぎる。
肩慣らしのゴブリンエリートと30秒で終わったボス戦しかこなしていない。
まだ昼時もなっていないしな。
6階層の敵はオウガスタ・オーラムフィッシュである。
6階層に降りて扉を開けると、早速光の粒子が集まってモンスターが現れた。
「……なんだろう。魚って空を泳ぐものなのか?」
「何を言っているんですか。水の中にいるに決まっているじゃありませんか」
シルヴァーナが、さも当然のことのように言う。
目の前には30cm超の巨大金魚がふわふわと浮いている、否、泳いでいる。
なんだろう。
透明なクリスタルの壁と青く静かに輝く流体に囲まれた部屋。
その中を朱金の金魚が優雅に泳いでいる。
まるで金魚鉢の中に吸い込まれたような……。
やたら涼しげな光景だな。
「……でもさ、あれ、魚だよね?」
「旦那様、あれはオウガスタ・オーラムフィッシュでございますわ。魚ではありません」
……アリア、君が何を言っているのか分からないな。
「だって、金魚じゃん。魚類じゃん」
そう言うと、アリアが困った顔をして反論してきた。
「……旦那さま、魚の定義とはなんでしょうか?」
む、難しいこと聞くね
「なんだろうな……。鱗があって……いや、鱗が無い魚もいるのかな。じゃあ、鰓を持っていて……水中で鰓呼吸する生き物?」
「そうでございますね。では、ここは水中ですか?」
「……い、いや。あいつは空中を泳いでいるな」
「それなら魚ではないじゃありませんか」
……すげぇ三段論法だ。
なるほど……、いや、納得できるか! こんな話!
頭では分かるが、心が全力で拒否している。
あいつは魚だ!
「で、でも! 魚でも陸上を移動したり、あいつみたいに空を飛ぶ奴もいるじゃないか!」
俺の反論にメリアも困惑の表情を浮かべる。
「アキト様! それはもう魚類じゃありませんよ。たしかに姿形は魚に似ていますけど、オウガスタ・オーラムフィッシュは空中に生息します。だから魚じゃありません。オウル先生も間違えやすいから気を付けろって仰っていました!」
「そうすると、なにか? 魚類は必ず水の中にいるのか?」
「そうですね……。オウガスタ・オーラムフィッシュはどちらかというと鳥に近いのかもしれません」
「はぁ!? 鳥!? あの金魚が鳥!? そんな無茶苦茶な話があるか!」
思わずメリアに食って掛かってしまった。
メリアも困って項垂れてしまう。
……しまったな。
「あ……、いや、すまん。ちょっと混乱してしまったようだ」
セルマが優しくメリアの頭を撫でてフォローして慰めてくれている。
アリアが再び俺を説得してきた。
「旦那様、そもそも鳥類の定義とは……」
だめだ……。
アリアの三段論法が強烈すぎた。
あいつ、魚は水の生き物、鳥は空を飛ぶ生き物っていう大前提で話してきやがる。
水の中で生きるのが魚、空を飛ぶのが鳥。
いや、そりゃそうなんだけどさあ。
でも、その論法でいくとオウガスタ・オーラムフィッシュは鳥ということになってしまう。
あ、金魚は三枚におろしました。
「なぁ、シルヴァーナ。ちょっと武器を交換してみないか?」
6階層でも、まだ楽勝だ。
元々、3人で十分に安全マージンを取って探索していた上、人数が6人に増え、更に武器防具も新調した。
色々と重なって、パーティ単位での戦闘力が劇的に上がりすぎてしまったようだ。
もう一度言おう。
楽勝である。
ということは退屈である。
それに、シルヴァーナが楽しそうに戦鎚を振り回しているのを見ると、つい自分でも使ってみたくなってしまう。
「……よろしいのですか?」
「ああ、ちょっと試しにね」
戦士のジョブを付ければ巨大戦鎚でも一応は扱えるだろう。
戦士のジョブは近接武器全般に適性があるので、シルヴァーナの方も俺の剣を使えるはずだ。
アリアの双剣も後で試しに使わせてもらう予定だ。
アリアのジョブであるソードダンサーは剣以外は使えない代わりに、剣には戦士より高い適性を示すらしい。
うまく考えて武器を交換していかないとな。
とりあえず、最初は俺の片手剣をアリアが、アリアの双剣をシルヴァーナが、シルヴァーナの戦鎚を俺が使うことにした。
「むっ……、結構重いな」
シルヴァーナから戦鎚を受け取って、二三度振ってみる。
なんだろう、シルヴァーナはもう少し軽々と振っていたような気がする。
銀狼戦士と普通の戦士のジョブに違いがあるのか。
それともレベルアップによる成長に個人差があるのか。
アリアとシルヴァーナもそれぞれ武器を試し振りしている。
「む、難しいですね。一本一本は軽いのですが、両手で扱うとなると……」
さすがのシルヴァーナも、初めての双剣には苦労しているようだ。
明らかに動きがぎこちない。
「シルヴァーナさん、あまり無理をするとと自分で自分の手を斬ってしまいますよ。ゆっくりでいいので、一撃一撃をしっかりと振ったほうが」
そういうアリアは手慣れた様子で俺の片手剣を扱う。
剣闘士時代に色々と武器を扱った経験があるようだ。
俺もシルヴァーナも戦士職を持っている。
色々な武器を扱えるようになったほうが良いだろう。
ユーティリティという奴だ。
手元に自分の得意武器が無い場合だってあるかもしれない。
「あー、安物でもいいから練習用に何種類か武器を買っておくか」
ある程度感触を確かめ、さっそく次の部屋に入る。
「いくぞ! よいしょっとお!」
情けない掛け声を掛けながら、右脇に構えた戦鎚を、踏み込みと同時に左に振り払う。
その瞬間、オウガスタ・オーラムフィッシュがスイっと泳いだせいで、近間に入りすぎてしまった。
戦鎚のハンマー部分に当たらず、柄の部分に引っ掛かってしまう。
ぼよーん、と情けない音をたてて、オウガスタ・オーラムフィッシュを掬い上げるような形になった。
そのまま2,3Mほど飛んで、地面に落ちる。
……ビチビチいってらあ。
この魚類め!
誰が何と言おうとお前は魚だ!
そのまま俺は戦鎚を持ち上げ、地面に落ちたオウガスタ・オーラムフィッシュに叩きつけた。
ひとしきり魚類で遊んだ、もとい、武器の練習をした後、今日は早めに切り上げることにした。
「ホッホー、帰ったか。今、大麦の粥を煮ておるところじゃ」
いつものようにオウルが出迎えてくれる。
大麦の粥か……。
そっとアリア達の様子を見ると、さすがに食事内容には文句を言わないものの、どことなく気分が落ちているように見える。
シルヴァーナ達もあまり歓迎はしていないようだ。
「あ、あのな、オウル。用意してもらって悪いんだが、大麦の粥って大丈夫なのか? ほら、みんなあまり好きそうじゃないだろ」
「なにを言っておるんじゃ小僧よ。大麦の粥は健康に良いんじゃぞ。最近、贅沢のしすぎだわい」
オウルがそう言うと、女性陣も頷いて同意する。
「そうですよ、アキト様。大麦の粥も慣れれば美味しく頂けます。蜂蜜やオリーブ油を掛けても美味しいんですよ」
シルヴァーナは蜂蜜を掛ければ大抵のものは美味しそうに食べるんじゃないかな。
「そうじゃぞ。玉ねぎやニンニクで味を付けた大麦の粥が剣闘士達の力の源じゃ」
「ちょ、ちょっと待って。とりあえず玉ねぎとニンニクは勘弁してくれないか」
さすがに御粥にニンニクはハードルが高すぎる気がする。
「ふむ、それなら小僧、ちょっと火を見ていてくれ。味付けは任せる。儂はちょっと風呂の用意をしてくる」
そう言われて、俺は台所に入っていった。
手伝いとしてメリアがくっついてくる。
他の連中は武器防具の軽い手入れと掃除だ。
鍋には粗く引いた大麦の粥がぐつぐつと煮られている。
「ほう、これか。うん、結構麦の匂いがするな」
「はい! 匂い消しにニンニクなどをいれるんですよ。それに、御粥は消化が良くて栄養満点です!」
たしか、麦飯なんかは健康に良いって聞いたことがあるな。
白飯に比べて食物繊維やビタミンが豊富だとか。
江戸時代の都市部では食事が白飯ばかりになって脚気が流行ったって話も聞いたことがある。
それに……俺、意外と麦飯が好きなんだよな。
麦の香りも嫌いじゃないし、なんて言うかな、あの素朴な感じが好きなんだ。
米は無いけれど、これは期待大かもしれん。
「そういえば……粥は消化にいいんだよな? 消化って、なんだ、普通に消化するのか?」
「……え!?」
あ、これは聞き方が悪かった。
どうも昨日から気になって仕方がないんだ。
イズマイールの消化って本当に地球と同じメカニズムなのか?
「うーん、難しいな。俺って栄養吸収してるのかな。いや、栄養を吸収するメカニズムなんてよく分からないしな……。あ、そうだ! なぁ、メリア、今、俺達は御粥を煮てるよな?」
「は、はい! 大丈夫ですよ、私達はちゃんと御粥を煮てますよ」
メリアが優しい声で確認してくれる。
「鍋がぐつぐついっているが、これは沸騰か?」
メリアが唖然とこちらを見てくる。
「あー……沸騰じゃ分かりにくかったかな。何と言ったら良いか……、その、火で水が熱せられると温度が上がってお湯になるんだよな?」
「も、もちろんですよ。沸騰! 沸騰です! 大丈夫ですよ!」
何が大丈夫なのか分からんが、一応確認せねばなるまい。
「そのままお湯を熱し続けると、どんどん水分が蒸発するんだよな?」
「は、はい! 蒸発、蒸発します!」
ここからが肝心だ。
なんせ魔法や魔石がある世界だ。
本当に熱することによって温度が上がっているのだろうか。
今日なんかふざけたことに空飛ぶ魚がいたんだぞ。
みんな、あれを魚じゃないなんて言いやがって! どう見ても魚だろうが!
いや、違う。話がずれた。
ここはイズマイールだ。
魔法があり、魚は空を飛び、神が実在する。
こんな世界で普通に気化のメカニズムが働くか? いいや、働かないね。
少なくとも疑うに足る問題だ。
なんせ、この世界じゃ誰も原子の動きなんて観測していないからな。
「メリア……よく聞いてくれ。そして正直に答えて欲しい。水が沸騰するのは……本当に火のお蔭か?」
みるみるうちにメリアの顔が青ざめていく。
「変なことを言っているように聞こえたか? しかし、よく考えてくれ。水を火にかけると沸騰する。一見、火のお蔭で水が沸騰しているように見える。しかし、本当はどうだ? 実は……」
「じ、実は……?」
ごくり、と喉が鳴った。
「もしかして、魔法的な力が働いているんじゃないか……? いや、それとも神の力が……。魔石を使って火を起こしているというのも怪しいぞ」
メリアが青い顔を更に青くしてガタガタと震えだした。
「……怖いか。そうだ、それが哲学の怖さだ。今まで当然と思っていたことを新しい観点から見つめ直す。すると、どうだ。今までの常識が崩れるんだ!」
「ひぃっ……!」
ふふふ、考えろ、考えるんだ!
「……そうだ! もしかしたら蒸発は精霊のせいかもしれないな!」
脱兎のごとくメリアが駈け出して行った。
「おねえちゃーーーーん!! シルヴァーナさーーーーーん!! オウルせんせーーー!! アキト様の頭がおかしくなりましたーーー!!!」




